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現界して最初に感じたのは奇妙な浮遊感だった。
上を見上げると空がかなりの速さで堕ちていく。
つまり、この身は落下しているのだろう。それもかなりの高さから。
ドガァッ!
予想通り強い衝撃があった。家の屋根を軽々と突き破り、この身は地面へと到達する。
衝撃はかなりのものではあったが、英霊の身であるため大事には至ってはない。
召喚される際に刻まれた知識によれば聖杯戦争のサーヴァントとして召喚されたらしい。
自身の状態を把握し、私は部屋を軽く見回す。恐らくは居間であろう部屋は完膚なきまでに破壊しつくされている。だが、肝心のマスターとおぼしき人影は無い。
「ふむ・・・。どうしたものかな」
一体私を召喚した者はどこにいるというのか。
魔力は感じるがそれはこの部屋から感じるものではない。
が、他に魔力を感じることもまたない。
「やれやれ。いきなり失敗か、まだ見ぬマスターよ」
どうやら私のマスターそれほど期待できないようだ。聖杯戦争で一番重要とも言うべきサーヴァントの召喚がコレでは、マスターの程度が知れるというもの。
軽くため息をついていると、バタバタと焦った様子で駆けてくるのが聞こえた。
「扉、壊れてる!?」
取っ手をカチャカチャとまわす音が聞こえる。
どうやら、先の衝撃でドアが歪んでしまったらしい。
声は若い女性のようだが、混乱している様子が手に取るようにわかった。
しかしこの声、どこかで・・・・・・
「―――ああもう、邪魔だこのおっ・・・・・・!」
どっかーん
激しい音と共にドアが吹き飛ぶ。
どうやら、なかなか開かないドアに業を煮やしたマスターが蹴破ったらしい。
ドアを蹴破ったのはまだ少女の域を脱していない赤い服を着た女性だった。
「・・・・・・また、やっちゃった」
大きく長い、自分を責めるようなため息をつく少女。
その少女を見て何故か懐かしいと感じる自分がいる。
―――なんだ?
いぶかしむ。この少女と自分にいかなる接点があるというのか。
過去の記憶を遡り少女との接点を見つけようと試みるがどうにもうまくいかない。
召喚が不出来だった代償だろうか。記憶に多少の混乱が見られる。
こちらが思考に没頭している間に少女は頭を切り替えたようだ。
すぱっと頭を切り替えるように顔を上げると、
「・・・・・・やっちゃったことは仕方ない。反省―――それで。アンタ、なに」
ずいぶんと失礼なことを言った。
「開口一番それか。これはまた、とんでもないマスターに引き当てられたものだ」
いままで色々言われてきたが、初対面で『なに』と訊かれたのは初めての体験だった。
仮にも英霊と呼ばれる存在に対して失礼な。
―――これは貧乏くじを引いたかな。
小声で言ったのだが、どうやら聞こえたらしい。彼女はムッとした表情になる。
「確認するけど、貴方はわたしのサーヴァントで間違いない?」
「それはこちらが訊きたいな。君こそ私のマスターなのか。ここまで乱暴な召喚は初めてでね。正直状況が掴めない」
「わたしだって初めてよ。そういう質問は却下するわ」
「・・・・・・そうか。だが私が召喚された時に、君は目の前にいなかった。これはどういう事なのか説明してくれ」
「本気? 雛鳥じゃあるまいし、目を開けた時にしか主を決められない、なんて冗談やめてよね」
むぅ。ああ言えばこう言う。なかなか口が達者なマスターだな。
「まあいいわ。わたしが訊いてるのはね、貴方が他の誰でもない、このわたしのサーヴァントかって事だけよ。それをはっきりさせない以上、他の質問に答える義務はないわ」
―――召喚に失敗しておいてそれか。
なんとも無茶苦茶なマスターだ。この場合、他に言うべき事があると思うのだが。
「確かに、私は君が召喚したサーヴァントだ。だが、君は私のマスターなのかね?」
「あっ、当ったり前じゃない・・・・・・! 貴方がわたしに呼ばれたサーヴァントなら、貴方のマスターはわたし以外に誰がいるっていうのよ・・・・・・!」
「・・・・・・質問の仕方が悪かったな。私は君にマスターとしての証を示してもらいたい、と言っているのだがね」
ああ、それなら。
そう言って彼女は右手をかざした。
「ここよ。貴方のマスターである証ってコレでしょ」
赤く浮かび上がる、三つの神秘の具現によって彩られた幾何学模様の紋章。聖杯戦争参戦の証。
ふふん、と何が嬉しいのか自慢げに右手をかざしながら、彼女は言い捨てる。
「納得いった? これでもまだ文句を言うの?」
軽く頭痛がしてきた。
「・・・・・・はあ。まいったな、本気で言っているのかお嬢さん」
「ほ、本気かって、なんでよ」
むっと頬を膨らませる。
確かに令呪はサーヴァントを縛る戒めの類であり、それを御する資格を持つものとしての最低限の持ち物ではある。
が、それとこれとは話が違う。
「私が訊いているのはそういうことではない。君がマスターとして尊敬に値する人物なのか、それを訊いているのだ」
「なによ? 令呪があるだけじゃ不満って言うの」
「不満はない。確かに私は君が召喚したサーヴァントなのだからな。ただ、私の気分の問題だ。君とて、明らかに自分より下の者の命をきくのは本意ではあるまい?」
「・・・・・・誰が誰より下ですって?」
「君が私より、だ。先に言ったように不満はない。ただ私は今後、君の言い分には従わない。戦闘方針は私が決めるし、君はそれに従って行動する。これが最大の譲歩だ。それで構わないなお嬢さん?」
見たところ戦闘経験は皆無のようだ。これでは目的を果たす前にマスターに死なれかねない。それならば下手に令呪を使われるよりは自分で指示をした方が良い。
だが、マスターは不満であるらしい。かなり不満そうな顔で睨んできている。心なしか眉も釣り上がっている様に見える。
私としてもマスターのためになると思って言ったのだが。
「いや、もちろん君の立場は尊重するよ。私の勝利は君のものだし、戦いで得た物は全て君に提供しよう。どうせ私には必要のないものからな。それなら文句はないだろう?」
ぞくぅっ、と強烈な寒気が私を襲う。致命的な何かを踏んだときに感じる何かしらの前兆めいた予感。
見ると、少女は般若のごとし表情でこちらを睨みつけていた。
ダンと彼女は床を蹴り、
「あったまっきたぁーー!! いいわ、そんなに言うなら――!!」
轟く怒号。その声の大きさより、私は彼女の言った言葉に声を失った。彼女は、なんと言ったのか。
「――
ふっ、と魔力がもれる。
「な――まさか・・・・・・!?」
あまりにも不吉な魔力の行使。
まさかも何も、本気で令呪を使用するというのか、目の前の少女は。
奇跡の具現。サーヴァントを律する三回限りの絶対命令権。
切り札の中の切り札であるそれをまさか本当に、ただ頭にきたというそれだけの理由で使うというのか。
「そのまさかよこの礼儀知らず!
口から流れ出る魔術仕儀の呪文。作法に則ったこれ以上なく流麗に流れる呪文式は、なんの不具合も無く令呪を起動させる。
それは間違いなく、彼女の右手のラインは私の存在基底に直結し、膨大無比な魔力の流れを生み出すだろう。
なんというか。まさに、度を越えた無鉄砲。
「ば・・・・・・!? 待て、正気かマスター!? そんなコトで令呪を使うヤツが・・・・・・!」
「うるさーい! いい、アンタはわたしのサーヴァント! なら、わたしの言い分には絶対服従ってもんでしょうー!?」
「なんだとー!?」
そんな馬鹿なことがあるか、と内心呟くがそれは口に出す気力こともできない。
「か、考えなしか君は・・・・・・! こ、こんな大雑把な事に令呪を使うなど・・・・・・!」
言ってもそれは後の祭り。令呪は滞ることなく発動し、その戒めはサーヴァントの身である私にかけられる。
聖杯戦争勃発以来初の、口喧嘩の帳尻合わせに世界の至宝が発動された。
◇
―――で。
廃墟みたいになった居間から引き上げて、とりあえず私の部屋に移動した。
目の前には私の令呪で”絶対服従”になったはずのサーヴァントがいる。
いるんだけど―――
「・・・・・・なるほど。君の性質は大体理解したぞ、マスター」
これのどこが絶対服従なんだって言うのかっ。
「念のため訊ねるが、君は令呪がどれほど重要か理解しているのか、マスター」
「し、知ってるわよ。サーヴァントを律する三回きりの命令権でしょ。それがなによ」
「・・・・・・はあ。いいかね、令呪はサーヴァントを強制的に行動させるものだ。それは行動を止めるだけでなく、”行動を強化させる”という意味でもある。例えば、私は長距離を一瞬で移動する事はできないが、それでも君が令呪を使って”行け”と命じた場合、それが君と私の魔力で叶う範囲の事ならば空間を越えてでも実現する。令呪とはそういうものだ」
「し、知ってるわよそんなコト。いいじゃない、まだ二つあるんだし、貴方に命じた規則は無駄じゃないんだし」
「・・・・・・ふう。確かに、これは私の誤算だった。本来、令呪は曖昧な命令には働きが弱くなるのだが。どうも、君の魔術師としての性能はケタが違ったらしい」
「?」
呆れているのか、嬉しいのか。サーヴァントは溜息をつきながらも、口元を緩ませている。
「前言を撤回しよう、マスター。君はたしかに私のマスターにふさわしい。子供と侮り、戦いから遠ざけようとしたのは私の過ちだった。無礼ともども謝ろう」
居を正して、礼儀正しく頭を下げる。
「え―――ちょっ、止めてよ、たしかに色々言い合ったけど、そんなのケンカ両成敗っていうか・・・」
「いや、それでは私の気が済まない。君の実力に気づかなかったのは私の落ち度。だからせめて謝るくらいはさせてくれないと、こちらとしても立つ瀬が無い」
・・・・・・ちょっと意外だ。
そりゃ令呪で強制的に従わせてはいるけど、人間以上であるサーヴァントが素直に私をマスターと認めてくれるなんて。
「わかったわ。でも、そんなに気にしないで。令呪を使ったのは間違い無くわたしの落ち度なんだし。幾ら強制させているからといっても、そこまで下手になる必要はないわ」
「別に強制されているから、というわけではないのだが・・・・・・。それにあのような曖昧な命令ではサーヴァントの行動を律する事はできはしない。せいぜい”マスターの意見を少しは考慮してやろう”といった程度だ」
なんだそれは?
「・・・じゃあ、わたしのさっきの令呪は無意味って事・・・・・・?」
だが、それではこいつがわたしをマスターと認めるはずはないのではないだろうか。
「無意味ではない。誤算というのはその事だ。君の魔力がケタ違いだったためだろう。君の意見に異を唱えると、そうだな・・・・・・ランクが一つばかり落ちるようだ。君の意向に逆らうと体が重くなって動き辛いといったところか」
「―――えっと」
・・・・・・って事は、さっきの令呪は無駄じゃなくて、むしろプラスに働いたんだろうけど。仮にこのサーヴァントが逆らって力が落ちたとしても、わたしなんかじゃ十人いても太刀打ちできないんじゃないだろうか・・・・・・?
それでもこいつがわたしをマスターとして認めるっていうことは・・・・・・
「その顔だと理解してくれたようだな。つまり、私が君をマスターとして認めるのは令呪で強制されたからではなく、自身がその意思で君をマスターとして認めたということだ。魔力の提供量も十分だ。さきほどの令呪といい―――マスターとしてこれ以上の存在はいまい」
「っ―――ふ、ふん。今さら褒めたって何もでないけど」
気恥ずかしくなって視線を逸らす。
あー恥ずかしい。
なんだって私がこんな思いをしなければならないのか。
「・・・・・・で? 貴方、何のサーヴァント?」
意識を切り替えて本題へと移る。
「見て判らないか。ああ、それは結構」
・・・・・・こいつはわたしを尊敬しているのか馬鹿にしているのか。
「・・・・・・分かったわ、これはマスターとしての質問よ。ね。貴方、セイバーじゃないの?」
「残念ながら、剣は持っていない」
即答される。
予想はしていたが、少しは期待していただけに気分は沈む。
「・・・・・・ドジったわ。あれだけ宝石を使っておいてセイバーじゃないなんて、目も当てられない」
「・・・・・・む。悪かったな、セイバーでなくて」
「え? あ、うん、そりゃあ痛恨のミスだから残念だけど、悪いのは私なんだから―――」
「ああ、どうせアーチャーでは派手さに欠けるだろうよ。いいだろう、後で今の暴言を悔やませてやる。その時になって謝っても聞かないし許さないからな」
「・・・・・・はい?」
今こいつはなんと言ったのか。
「なに、癇に障った、アーチャー?」
「障った。見ていろ、必ず自分が幸運だったと思い知らせてやる」
半眼となって抗議の視線を送ってくる。
どうやら拗ねてしまったらしい。
嫌味な事ばかり言っていたため、こういう子供っぽい所を見るとイイ奴なんだな、と考えてしまう。
「そうね。それじゃあ必ずわたしを後悔させてアーチャー。そうなったら素直に謝らせて貰うから」
「ああ、忘れるなよマスター。己が召還した者がどれほどの者か、知って感謝するがいい。もっとも、先ほど言った通りそう簡単には許しはしないがな」
どうやらだいぶ気に障ったらしい。ずいぶんと拗ねてしまっている。
そんな子供っぽい仕草が妙に似合っているのがまた面白い。
「わかったわよ。それで貴方、どこの英霊なの」
「――――――」
そう訊くとアーチャーは黙ってしまった。なにか言いにくそうに顔を困らせている。
「アーチャー? マスターであるわたしが、サーヴァントである貴方に訊いているんだけど?」
「――――――それは秘密だ」
「・・・・・・は?」
「私がどのようなモノだったかは答えられない。何故かというと―――」
「あのね。つまらない理由だったら怒るわよ」
「――――――それは」
間があく。アーチャーが言いよどんでいるのを視線で促すと、少しばかり申し訳なさそうな顔になって、
「―――私にも分からないからだ」
そう言い放った。
「はああああああ!? なによそれ、アンタわたしの事バカにしてるわけ!?」
「・・・・・・マスターを侮辱するつもりはない。ただ、これは君の不完全な召喚のツケだぞ。どうも記憶に混乱が見られる。自分が何者であるかは判るのだが、名前や素性がどうも曖昧だ。・・・・・・まあさして重要な欠落ではないから気にする事はないのだが」
「気にすることは無い―――って、気にするわよそんなの!アンタがどんな英霊か知らなきゃ、どのくらい強いのか判らないじゃない!」
「なんだ、そんな事は問題ではなかろう。些末な問題だよ、それは」
本当にどうでもいいとでも言うように、彼はこちらに笑顔を向ける。
無論、それで納得する私ではない。
「些末ってアンタね、相棒の強さが判らないんじゃ作戦の立てようがないでしょ!?そんなんで戦っていけるワケないじゃない!」
「何を言う。私は君が呼び出したサーヴァントだ。それが最強で無い筈は無く、私たちが組む以上相手が誰だろうが敗北は無い」
絶対の自信と、信頼を込めた視線を向けてきた。
「な―――」
絶句する。怒りで赤らんでいた顔が、怒り意外の理由で耳まで赤くなるのを自覚する。
まったく、なんてこと言うのよこいつは。
「分かった、しばらく貴方の正体に関しては不問にしましょう。―――それじゃアーチャー、最初の仕事だけど」
「む、いきなりか戦闘か?随分と好戦的なのだな、君は」
なにを勘違いしたのか楽しそうに笑う。
そんなアーチャーに私はチリトリとホウキを手渡す。
「違うわよ。はい、コレとコレ」
「―――む?」
「ここの掃除、お願い。アンタが散らかしたんだから、責任もってキレイにしといてね」
「・・・・・・待て、君はサーヴァントをなんだと―――」
「使い魔でしょ?ちょっと生意気で扱いに困るけど」
絶句する。まさかそう言われるとは思わなかったのだろう。
十秒ほど立ち尽くすとアーチャーは恨みがましくこちらを見て、
「・・・・・・了解した。地獄に落ちろ、マスター」
そう言って居間へと向かっていった。
さて、わたしも寝るとしよう。 明日はアーチャーに町を見せなければ
ならないのだから。
◇
時刻は9時過ぎ。なかなか彼女は起きてこない。
召還を果たしたのが1時頃だったのだから仕方がないことなのかもしれないが。
さすがに退屈なので紅茶を飲むことにした。部屋を散策したときに見つけたのだ。
厨房に入り水を火にかける。しばらくすると水はグラグラと揺れだし、カップとポットに注いだ。
蓋をして香りを閉じ込める。時間を計りだしたとき、上の階の扉が開く音がした。マスターがようやく起きたらしい。
居間の扉が開きマスターが入ってくる。私はその顔を見てぎょっとした。
どうやら我がマスターは相当朝に弱いらしい。美少女と呼べる顔が見る影も無い。
さながら幽鬼のようだった。いささか幻滅する。
「ようやく起きたか。ひどい顔をしているぞ。やはり本調子とはいかないようだな――――ふむ、紅茶でよければご馳走しよう」
暖めておいたカップに紅茶を注ぎテーブルへと運ぶ。新茶の芳醇な香りが居間に満ちた。
「・・・・・・まあいいけど。疲れてるのは事実だし、飲む」
彼女はなにか言いたそうな顔をしたが、結局椅子に腰を下ろしカップを手に取る。
それを見届けて私も椅子に座り紅茶を飲む。
―――うむ、美味しい。
顔を見る限りでは彼女もそう思っているようだ。
美味しいものを飲むと自然と頬が緩むのは人として当然だろう。
「ごちそうさま」
どこか満ち足りた表情で彼女は言った。うむ、入れた甲斐があったというものだ。
「じゃなくて・・・・・・アーチャー」
「む、どうした? ああ、マスターよ。何故この家の時計は全て1時間進んでいたのかね? 理由はわからなかったが不便だったので、とりあえず直しておいたぞ」
がくっ、マスターはうなだれる。なんだ、違ったのか。
「あのねアーチャー。わたしは貴方を茶坊主に雇った覚えは無いの。わたしが求めているのは戦力としての使い魔よ」
「そうか。だがしてはいけないという事ではないのだろう?なに、ちゃんと己の本分は果たすさ」
私がそういうと彼女は頭を押さえた。ふむ、少々意地が悪かっただろうか。
気を取り直すように頭を振ると、彼女は私を見て言った。
「それより――貴方、自分の正体は思い出せた?」
いや、とそれに首を振る。
実際には自分の素性や名前は思い出せてはいるが、言ったところで彼女は知るまい。
なにしろ、まだ存在すらしていない英雄なのだから。
「そう・・・・・・」
少しは期待していたのか若干顔に影がさす。
それを見て申し訳なくは思うがこればっかりは仕方がない。
「分かった、貴方の記憶に関してはおいおい対策を考えとく。じゃ、出かける支度してアーチャー。召還されたばかりで勝手が分からないでしょ? 街を案内してあげるから」
「出かける支度? いや、そんな必要は無いだろう。出るならばすぐ出られるが」
そんな格好じゃ出られない、と彼女は言う。
私は自身が霊体になって彼女以外には観測されないようにできると説明した。
「分かった。じゃあ霊体化して一緒にきて。貴方の呼び出された世界を見せてあげるから」
「そう目新しいものはなさそうだがね」
しかし、どうも失念しているというよりは思いつきもしてないようだ。
このままではいつまで経っても彼女は言ってくれないだろう。私から言う他ないのだろうか。
「―――それよりマスター。君は大切な事を忘れてはいまいか?」
「え? 大切な事って、なに?」
「・・・・・・まったく。君、まだ本調子ではないぞ。契約において最も重要な交換を、私たちはまだしていない」
「契約において最も重要な交換――?」
ぶつぶつとしばらく呟くが、眉間のしわがどんどん深くなっていく。
本当に言わなければ分からないのだろうか。
「・・・・・・君な。朝は弱いんだな、本当に」
「――あ。しまった、名前」
ようやく気付いてくれたようだ。
「ようやく目が覚めたか。それでマスター、君の名前は?これからはなんと呼べばいい」
マスターとサーヴァントの関係は使い魔のそれだが、それでもマスターの名前を知っておきたいというのは当然だと私は思う。
これから共に戦うのだ。相棒の名前くらいは知っておきたい。
彼女は嬉しそうな顔をしたと思ったら急に仏頂面になり、面倒くさそうに言った。
「わたし、遠坂凛よ。貴方の好きなように呼んでいいわ」
―――遠坂凛。
その名前を聞いたとき、私は全てを思い出した。
何故それを聞くまで思い出せなかったのか。
行動の節々に彼女の面影が見て取れたではないか。
彼女が何かを言うたびに妙な既視感を覚えた理由にようやく合点がいった。
二度と忘れることなど無いように、しっかりと名前を噛みしめる。
「それでは凛と。・・・・・・ああ、この響きは実に君に似合っている」
そう言って凛に顔を向ける。
「凛?どうした、なにやら顔が赤いが」
「―――う、うるさいっ! いいからさっさと行くわよアーチャー! と、とにかくのんびりしてる暇なんてないんだから・・・・・・!」
◇
「ここが新都の公園よ。これで主立った所は歩いて回った訳だけど、感想は?」
アーチャーを連れて深山町を一通り案内した後、わたしたちは灰色の公園に来ていた。
「―――広い公園だ。だというのに
「やっぱりそう見える? ま、ここはちょっとした曰くがあるから」
そう言ってわたしは十年前の火事について説明する。
アーチャーはところどころ相槌を打ちながら公園をきつい眼差しで見回している。
「・・・気づいたみたいね。そうよ、ここが前回の聖杯戦争終結の地。わたしも事情は知らないけど、前回の聖杯戦争はここで終結して、それきり」
「―――なるほど。それでこんなにも、ここは怨念が満ちているという訳か」
「ふぅん。判るの、そういうの?」
「サーヴァントというのは霊体だ。その在り方は怨念、妄執に近い。故に同じ”怨念”には敏感なのさ。町中でも濃い場所はあるが、ここは別格だ。我らから見れば固有結界のそれに近い」
固有結界。
通常の結界は元からある土地や建物に手を加え、外敵から身を守る程度のものだが、固有結界はそれとは異なる。
魔術師の心象風景が現実そのものを侵食して結界を構成し、新たな世界を作り出す。
魔法に限りなく近い魔術。
魔術師の最秘奥とも呼べるのがそれだ。それを何故アーチャーが知っているのか・・・・・・
「凛? どうした、考え事か?」
「え・・・・・・? ううん、ちょっと意外だったから。固有結界だなんて、アーチャーのくせに珍しい言葉を知ってるなって」
「なんだ、知っていてはおかしいか」
「だってそうじゃない。固有結界ていうのは魔術師にとっては禁忌の中の禁忌。奥義の中の奥義だもの。アーチャーであるあなたが知ってるなんて筋違いよ」
でしょ? と同意を求める。
すると、横からは溜息がこぼれる。
「凛。英雄とは剣術、魔術に長けた者を指す。アーチャーだからといって魔術に詳しくないと思うのは君の勝手だが、私以外のサーヴァントにそんな甘い考えは持たないでくれよ」
・・・・・・う。
確かに、甘い考えだった。反省。
「痛っ・・・・・・!?」
そんなやりとりをしていると強烈な痛みが左手を襲った。
「―――凛?」
「・・・・・・ちょっと、黙ってアーチャー――誰かに見られてる」
「む」
意識を集中させ思考を拡大する。
魔力を編みこみ四方へと探査の手を伸ばす。
・・・・・・駄目だ。見つからない。
「アーチャー、貴方は?」
「―――私には視線すら感じられん」
「ってことは、見てるのはマスターね」
小賢しい。聖杯戦争が始まる前に一戦やらかそうとでもいうのだろうか。
ふんっ、と息を吐くとアーチャーが話しかけてくる。
「令呪は令呪に反応する。マスターであるのなら、誰がマスターであるかは出会えば感じられる、ということか。だが、それなら凛にも相手が識別できるのではないか?」
「高位の術者なら、自分の魔力ぐらい隠しとおせる。いくら令呪同士が反応するっていっても、その令呪だって魔力で発動するものよ。大本であるマスター自身が魔術回路を閉じていれば、見つけることは難しいわ」
つまりこちらは情報を得れないが、相手には筒抜けということだ。
「厄介だな。では、こちらはいいように位置を知らせているということか」
「でしょうね。ま、私だって家捜しすれば魔力殺しぐらいは見つかるだろうけど」
わたしは、すんと肩をすくめてどうでもいい、というように言ってやった。
「必要ない、と?」
「そ。だって隠さなければ向こうからやってきてくれるでしょう? こっちから出向く手間が省けるわ」
どっちみち、遠くからこちらを見ているだけの小物など論外だ。
アーチャーが何か言いたげな顔でこちらを見てくる。
「なによ。自信過剰はいけないって言いたいの?」
「まさか、君はそのままが一番強い。ああ、小物にはつきまとわせるのがよかろう」
まったく、小気味いい事を言ってくれるわね。
「じゃあ行きましょ、アーチャー。日が落ちるまでには新都も回っておきたいから」
そう言って公園を後にする。
わたしを監視する目は公園を抜けた後もしばらく続いた。
◇
「どう?ここなら見通しがいいでしょ、アーチャー」
「・・・・・・はあ。将来、君とつき合う男に同情するな。よくもまあ、ここまで好き勝手連れ回してくれたものだ」
「え? 何かいった、アーチャー?」
「素直な感想を少し」
そう言って辺りを見渡す。
確かにここは見通しがいい。ここならばかなりの範囲を見通す事が出来る。狙撃ポイントとしてはかなり優良だろう。
散々連れ回された後なのであまり意味はないのだが・・・・・・
「これなら最初からここにくればよかったな。そうすれば手間もかからずにすんだ」
「なに言ってるのよ。確かに見晴らしはいいけど、ここから判るのは町の全景だけじゃない。実際にその場に行かないと、町の作りは判らないわ」
「――そうでもないが」
アーチャーのクラスには鷹の目というスキルが存在する。
魔術で強化されるのともあいまってかなり遠方の細部まで見渡す事ができる。
「そうなの? それじゃあここからうちが見える、アーチャー?」
「いや、流石に隣町までは見えない。せいぜい橋あたりまでだな。そこまでならタイルの数ぐらいは見て取れる」
「うそ、タイルって橋のタイル・・・・・・!?」
自分でも見ようとしているのか、目を細めて橋を凝視している。
私はもとの視力の良さと、クラス特性の鷹の目があるためこれだけの事がこなせるのだが。
彼女がいかに優れた魔術師といえども、この距離での視認は不可能だろう。
「びっくり。アーチャーって本当にアーチャーなんだ」
「・・・・・・凛。まさかとは思うが、君、私を馬鹿にしているんじゃないだろうな」
「そんな訳ないでしょ。たださ、貴方ってアーチャーって言うわりには弓使いっぽくないから、つい勘違いしてただけ」
「それは問題発言だ。帰ってから追求しよう」
全く、勘が鋭い。
確かに私は弓兵ではない。ただ該当するクラスがこれしかなかっただけの話。弓兵としては落ちこぼれと言っても過言ではないのだ。
顔を向ければ、いつの間に移動したのか。屋上の端で、凛が仁王立ちで固まりながら下界を見下ろしている。いや、睨んでいるのか。
「凛。敵を見つけたのか」
「―――別に。ただの知り合い。わたしたちには関係のない、ただの一般人よ」
ずいぶんと苛立った表情で、ドアへ向かっていく凛。
少し気になって凛が見ていた場所を見下ろす。
そこでは赤毛の少年がこちらを不思議そうに見上げていた。
「アーチャー! 行くわよ」
苛立ったように凛が急かす。
私はそれに霊体となって凛に従う。
さて、わたしもそろそろ自らの目的のために動き始めねばな。
家に着いた。
途中、
彼女自身はまだ体調が完全ではないため、夕食を食べて少ししてから寝た。
自分は周囲の監視のために屋根へとあがる。
―――ようやく望みが叶う。
守護者となる前に願った唯一つの望み。それだけの為に私は英霊となり、守護者の地位へと降ったのだ。
その望みがこの聖杯戦争において果たされる。
それがかつて自分が経験した戦いとは皮肉な話だが。
最後のサーヴァントが呼び出されるまで幾日もあるまい。
私は逸る気持ちを抑えながら、夜が明けるまで監視を続けた。