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「――――――」
 懐かしい夢を見て、目が覚めた。
 大好きだった切嗣オヤジの夢。父の代わりに、正義の味方になると約束したときの夢。
 衛宮士郎の行き先を決定付けた別れ。

 窓からは鮮やかな朝の光が差し込んでいる。
 毛布にくるまった体は微かに冷えているが、風邪をひくほど寒くはなかったようだ。
「・・・・・・まいった。またここで眠っちまったのか」
 眠気を払うように軽く頭を振って、学生服へと着替える。
 時刻は朝の六時前といったところか。
 桜の事だから、もう起きて朝の支度をしているだろう。
 土蔵から庭へと出て、朝の新鮮な空気を胸一杯に吸い込む。

 ―――いい朝だ。

 これで家に入れば女の子が三人もいる、という事がなければ、だが。
 ―――いや、あの虎は女の子とはいえないか。というか、人類なのかどうかも怪しい。

 なんでこんなことになったのだろうか。
 藤ねえと桜が泊り込みをすることになったときのことをゆっくりと思い出していく。




 昼飯を作っていたら電話がかかってきたので、セイバーに代わりに出てもらったのがそもそもの始まりだった。ちょうど手が放せなかったので、特に気にもしないで頼んだのだ。
「―――はい、衛宮ですが」
 セイバーの応対に問題はなかった。問題があったとすれば、それは電話をかけてきた側にあるのだろう。
 セイバーは電話をかけてきた人物と2,3言葉を交わし、調理に一区切りをつけた俺へと受話器を手渡す。
「―――はい、代わりまし・・・」

「どーいうーことよーーーーーっ!!!!!」

 何の心構えもないところに破壊的な音波が受話器から叩きつけられる!
 耳がぁ!
 耳がキーンとする、キーンと!
「士郎! 今のは何よ!? 何で家にいるの! どうして士郎と一緒にいるの! 答えなさーい!!」
 鼓膜が破れかねないほどの声を叩きつけてくれた電話の主は、さながら機関銃のようにまくしたててくる。
 強大な虎の気配を感じ取ったのか、セイバーが鎧を纏って身構えるのが見える!
 大丈夫だぞ、セイバー! 大丈夫じゃないけど、敵じゃないから!
「―――藤ねえか・・・・・・いきなりなにすんだよ。鼓膜が破れるとこだったじゃないか」
「そんなことはどうでもいいわよ! いいから質問にさっさと答えなさーい!!」
 どうでもいいとは、人の鼓膜をなんだと思っているのだろうかこの虎は。
「今の子は切嗣おやじの知り合いの娘さんだよ。ほら、親父って色んなところ飛び回ってただろ。その頃知り合ったんだってさ」
 セイバーと視線を交わす。急な出来事に戸惑っているようだが、それでも事情を把握したのか頷いて応えてくれる。
切嗣きりつぐさんの? じゃあその子、切嗣さんを訪ねに来たの?」
「そういう事。でも親父はいないだろ。それでお茶を出してもてなしをしてるんだけど・・・」
「―――うっ。それは悪い事をしたわね」
「もういいよ。それで、藤ねえはどんな用事だったんだ? まさかこんな話をするつもりで電話をしたわけじゃあないだろ」
「―――! そうなのよ〜。士郎、わたしお弁当が食べたいな〜。士郎が作った甘々の卵焼きとかどうなのよう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「以上、注文おわり。至急弓道部まで届けられたし。そこにいる子もいっしょにね。お姉ちゃんもあいさつしときたいし」
 カチリと電話が切れる。
 ・・・・・・ほんと。なんなんだろう、あの先生は。
 吼えるだけ吼えて落ち着いたと思ったら、きっちり餌まで要求するとは。
「・・・・・・ったく。しょうがないか、猛獣ってハラ減ると暴れるって言うし・・・・・・」
 どうやら今日の昼飯は弓道場で食べることになるようだ。作りかけの料理を完成させるために台所へと向かう。
 ・・・・・・どうせ昼飯はまだだったんだし、たまにはこういうのもいいだろう。卵焼きの一品くらいササッと追加できるし。
「シロウ、なんだったのですか? 今の電話は」
「―――ん、藤ねえだよ。家によくご飯を食べに来る大トラ。そうそう、これが完成したら重箱に詰めて学校に行くから、セイバーもいっしょに来てくれ。向こうでいっしょに食べよう」
「はあ、シロウがそう言うのであれば。しかしわたしが行くのはどうかとは思いますが。霊体化すればともかく、実体化したままだというのは。人目というものもありますし」
 ・・・・・・しまった。セイバーがドレス姿なのを考慮してなかった。
「―――仕方がない。学校に行く前に商店街へ行こう。セイバーの服を買うから霊体化してついてきてくれ」
「―――いいのですか?」
「いいも何も、そうしてもらえると助かる。藤ねえがセイバーに会いたがってさ。会わせないとどんな目に合わされることやら」
「わかりました。ではお言葉に甘えます」



 学校に着いた。商店街で服を買っていたので、少々遅くなってしまったが弓道部は大丈夫だろうか。
 セイバーは今はドレス姿ではなく、白のブラウスに青いスカートといった、質素で清純なイメージの服を着ている。何を買えばいいのかわからなかったので、セイバーにどれがいいのか訊ねたら「これがいい」と言ったのだ。店内の更衣室で着替えてもらったところ、それは実によく似合っていた。 生前にそれと似た服でも着ていたのか、どこか懐かしむような表情をしている。

「お、衛宮じゃないか。なに、もしかして食事番?」
 校門をくぐると、弓道場の方から美綴が歩いてきていた。気心の知れた知人、というのは便利なものである。俺の顔を見ただけで、その用件まで看破したらしい。
「お疲れ。察しの通り飯を届けに来た。藤ねえは道場に居るか?」
「いるいる。いやあ、助かった。藤村先生ったら空腹でテンション高くて困ってたのよ。学食も休みだし、仕方がないんで買い出しに行くところだったのよ」
「そこまで深刻だったか。悪かったな、遅くなって」
「気にしない気にしない。いつものことだからさ。ところで―――」
 と、唐突に体を寄せると、内緒話でもするように耳元に近づいて、
「・・・・・・衛宮。あれは何者よ。凄い美人だけど、知り合い?」
 なんて、緊張しきった声で言ってきた。
 まあ、普通はセイバーを見たら驚くだろうな。実際、控えめに言ってもセイバーはとんでもない美少女だ。、それが俺なんかといっしょにいたら尚更おかしいだろう。
「知り合いといえば知り合いだろうな。親父の知り合いの子なんだが、藤ねえが会いたがってな。だからあいつが部室に入っても、みんなが騒がないように言い含めてくれると助かる」
 事前にセイバーと口裏合わせを決めていたので、詰まることなく美綴に説明できた。
「・・・・・・ふーん、なるほどね〜。いいよ、それくらいなら。藤村先生を静めてもらわなきゃならないしね」

 弓道場へと向かう。
 昼休みあとの弓道場に入ると、そこはまさに戦場だった。詳しくは身内の名誉の為に割愛させてもらうが、それはそれは阿鼻叫喚の地獄絵図だったのである。
 空腹でテンションが際限なく高まった虎を鎮めるために、射場で弓を構えている女生徒に声をかける。
「おーい、桜ー」
「え、先輩・・・・・・!?」
 桜は手にした弓を置いて、目を白黒させながら駆け寄ってきた。
「先輩! ど、どうしたんですか今日はっ。あの、もしかして、その」
「ああ、藤ねえに弁当を届けにきたんだ。悪いんだけど、あそこで無茶苦茶言ってる教師を連れてきてくれ」
 そう言うと、さっきの笑顔はどこにいったのか、桜は元気なく肩をすくめる。
「―――そういえば先生、電話してました」
「そういうコト。藤ねえ、ハラへって無理難題言ってるんだろ。手遅れかもしれないけど、とにかく弁当作ってきたから一緒に食べよう。・・・・・・それと、昨日は遅くなって悪かった。晩飯作っといてくれてさんきゅ」
「・・・・・・はい。そう言ってもらえると嬉しいです、けど・・・・・・」
 ちらり、と俺の後ろに視線を向ける。
 その先には弓道場には不似合いな、金髪の少女が立っている。
「なんでしょうか?」
 少女から話しかけてくるとは思わなかったのだろう。桜は驚いて目を白黒させる。
「あ、いえ、その・・・・・・」
「・・・・・・まあ、自己紹介は後に回そう。まずは藤ねえを呼んで昼飯を食べよう。桜の分も作ってきたら、よかったら一緒に食べてくれるとうれしい」
「そ、そうですねっ。あの、それじゃごちそうになりますけど・・・・・・先輩、今日はずっと道場にいるんですか?」
「―――そうだな、せっかく来たんだし、部活が終わるまでは学校にいるよ。昨日はすっぽかしちゃったし、今日の夕飯は俺が作るから、桜も食べに来てくれ」
「―――はい、喜んで。それじゃあ、すぐに先生を呼んできますね」



「へえー、セイバーちゃんはイギリスから来たんだ。切嗣さんを訪ねに来たって士郎から聞いたけど、切嗣さんとは仲が良かったの?」
 休憩室。
 ずずー、とお茶を飲みながらデザートの羊羹をついばむ藤ねえ。
「はい、切嗣とは懇意にさせてもらいました。所用で日本に来たので、挨拶だけでもしたかったのですが・・・・・・」 
 セイバーもお茶をちびちびと飲みながら持ってきた蜜柑をつまんでいる。
「あー、切嗣さん死んじゃったからねー」
「はい、姿を拝見できなくて残念です」
 昼飯を食べ終わったところで自己紹介を始める。
 セイバーは親父を訪ねに来た外国の子ということになっている。事前にした口裏合わせの賜物だろう。藤ねえの質問にもスラスラと答えが出てくる。
「用事で来たって言ってたけど、セイバーちゃんはどんな用事で冬木まで?」
 しまった。その手の質問に対する用意はしてなかった。どうしたものかとセイバーに視線を向けるが、彼女はその質問は予想していたのか落ち着いた様子で、
「探し物です。といっても、物質的なものではなく、多分に精神的なものなのですが」
 と、よくわからないことを言った。―――探し物?
 だが藤ねえは思うところがあったのか、うんうんと頷くと、
「そっか。セイバーちゃんも年頃だものね、そういうことを考え出してもおかしくはないか」
 などと勝手に納得しだした。
 虎よ、一体何を考えているのだ。
「それで、セイバーちゃんはどこか泊まるあてはあるの?」
「いえ、これといってあてはないのですが・・・」
「ふーん・・・・・・じゃあ、士郎の家に泊まればいいじゃない」
『―――え?』
 俺とセイバーと桜の声が重なった。
「泊まるところないんでしょ? だったら士郎の家は部屋に空きがあるし、わたしが一緒に泊まれば間違いも起こらないでしょ。ホームステイと思えばいい経験になるし」
「それは、そうですが・・・」
「あ、桜ちゃんもどう? おうちの方にはわたしから連絡入れておくから安心だよ。女の子三人、一緒にいたほうが楽しいでしょ?」
「あ・・・・・・・・・は、はい、是非! 藤村先生、たのもしいですっ!」
 いや。
 どうしてそこで、そうやって力んで構えるのか桜。
 というか俺が驚いて何も言えないところにそうやって畳み込まれるとなすすべもないというか。
「じゃあ決定。士郎もそれでいいわね」

 そうやってセイバーたちの宿泊が決定したのだった。




 いただきます、という声が重なり合う。
 朝の食卓、四人でテーブルを囲むという情景に、こういうのもいいなあ、とつい和んでしまう。
 セイバーたちは昨日の晩に仲良くなったようで、気負うところも無く自然な朝の会話を楽しんでいる。
 セイバーという新しい空気がいるせいか、いつもよりも2倍くらい食卓が騒がしい。藤ねえはいつものように食卓を騒がせ、桜がそれをなだめて、セイバーが静かにいさめている。
「―――今朝未明に発見された被害者は五十名を超え、現在は最寄の―――」
 そんな情景に心を和ませていると、ひどく物騒なニュースがテレビから流れる。
 物騒ねー、と藤ねえ。心配になったのか俺にバイトは控えろとまで言ってくる。子供じゃないんだから・・・
 一方でセイバーは厳しい顔でニュースを見ている。
 様子を見るに、目的などわからないがこの事件は敵方のマスターによる物なのだろう。今まで同様、死者が出てないだけ幸いと言えるが―――

 藤ねえと桜を送り出し、後片付けを済ませる。
 学校に行く準備が整ったところで、セイバーが声をかけてきた。
「学校へ行くのですか?」
「ああ、聖杯戦争中だからって普段の生活を変えることなんてできないしな」
「では、私もついていきましょう。幾ら人が大勢いるところとはいえ、一人でいるのは危険ですから」
 セイバーが霊体化をする。
 割と心配性なセイバーに苦笑しながら玄関を出る。
 時刻は朝の七時過ぎ。
 この時間なら急がなくても十分 に合うだろう。




 さて、セイバーが来たか。
 私の探査区域内にセイバーたちの気配を感知したので凛に伝える。
 凛は頷くと、私に伝言を頼んだ。彼女らとは一応協力関係にあるので、学校の結界について教えておくとの事だった。
 私から直接衛宮士郎に話すわけにもいかないので、セイバーに頼んでおくことにした。
 セイバーは私が出向くと驚いたようだったが、私の用件を聞くと軽く頷き、マスターに伝えておくという返事を貰った。これで昼休みには屋上に来ることだろう。


 昼に学校に張られた結界について話をした後、私たちは再び別行動をとった。彼らにアレの事を話す必要は感じなかったのだが、凛曰くその方が都合がいいらしい。―――まったく、甘いことだ。
 そして放課後。
 衛宮士郎たちとは別に、私たちは学内を探索する。無論、結界の基点に溜まった魔力を消去するためだ。あたりを警戒しながら一つずつ魔力を押し流していく。
「ふう・・・・・・これで終わり。後は―――!?」
 最後の基点の消去を完了し、後は見回りをするだけという段階に入ったところで思わぬ事態が発生した。

 人の悲鳴。
 完全に人がいなくなったはずの校舎にて上がる悲鳴。それに凛は即座に立ち上がり駆け出す。
 一階に下りると、女生徒らしい人影が廊下に倒れていた。
 ―――ちぃ、遅かったか。
 凛がすばやく駆け寄り、病状を見る。
「―――危険な状態だわ。早く治療しないと」
 凛がしゃがみ込み、懐から石を出して倒れた女生徒を介抱する。
 私は再びやってこないとも限らない襲撃犯に備え、感覚の網を広げて警戒する。
 すると、弓道場の方にサーヴァントの気配を感じた。―――速い。ランサーもかくやという速度で学校を離れている。この段階ではもう追いつくことは不可能だろう。
 しばらくそうしていると衛宮士郎がやってきた。セイバーとは別行動をとっているのか、その付近には気配が感じられない。
「遠坂、何があったんだ!?」
 倒れている女生徒に気付いたのか、衛宮士郎が駆け寄ってくる。
「―――敵のマスターの仕業よ。この子を襲って魔力を蓄えようとしたんでしょうね。随分と血を吸われてる」
「―――!」
 凛の言葉にかなり驚いた様子で衛宮士郎は目を見開いている。
「別に驚くことでもないだろうに。自力で劣る物が他で補うというのは戦争における定石だ。ならばこういった事が起こる事は予想してしかるべきだろう」
 まったく、まだ甘さが抜けていないらしい。
 といっても私もその点は同様か。
 サーヴァントの接近に気付かず、このような事態を引き起こしてしまったのだから。
 衛宮士郎は悔しそうに歯を食いしばっている。
「さて、治療も終わったようだし帰るとしよう。かなり足の速いサーヴァントのようだ。最早気配をたどることもできん。今回は追うのを諦め、次の機会を待つとしよう」


 女生徒を無人の保険室へと運んだ後、私たちは遠坂邸へと行くことになった。
 学校の結界とそれを張ったマスターについての対策を練るらしい。そこで衛宮士郎がセイバーを連れていない事に気付いた凛は随分と機嫌が悪くなった。
 衛宮士郎曰く、
「ああ、ちょっと気になることがあったんでセイバーを先に帰して残ってたんだ。藤ねえたちが帰ったときにいなかったら不審がられるから」
 との事。
 どうやらセイバーの存在が家のものに知られてしまったらしい。なんとも間抜けな話だ。一体どうやったらそんな事態になってしまうのか。
 今の自分とは違う存在と頭では理解しているが、それでもため息が出てきてしまう。まったく、この頃の自分の馬鹿さ加減には嫌気が差す。セイバーも苦労していることだろう。


 時刻は夜の七時前。衛宮士郎と凛の話はかなり長い時間に及んだ。
「じゃあ遠坂、マスター探しは学校でするんだな?」
 どうやらバーサーカーよりも先に学校の結界をどうにかすることにしたらしい。・・・戦闘の間だけの同盟ではなかったのかね、凛。
 まあ凛の甘さは今に始まった事ではない。それはそれとして諦めよう。それに、その甘さは嫌いではない。
「ええ。明日の放課後、廊下で待ち合わせましょう。あ、それと帰りはアーチャーを付けてあげる。わたしはやる事があるから送って上げられないけど、アーチャーがいれば問題ないでしょ?」
 む、私が送るのか。
 まあセイバーが家に拘束されているのではそれも仕方がないだろうが、まさか自分を護衛することになろうとは。
 実体化して凛の横に立つ。
 あまりやりたいとは思わないが特に断る理由も思いつかん。マスターの意向に従うとしよう。
「・・・・・・・・・・・・」
 見ると衛宮士郎もいかにも嫌そうな顔をしている。
 ええい、そんな嫌そうな顔をするな! 私だってやりたいとは思っておらんわ!
「よろしくねアーチャー。同盟を結んでるんだから、襲ったりしちゃ駄目よ」
「・・・・・・君は私をなんだと思っているのかね」
 凛のあんまりな言葉にため息をつく。人を獣か何かだと思っているのだろうか。後で追求しておこう。
 しぶしぶ霊体化し、衛宮士郎の背後に立つ。
 大した危険はないだろうが、受けた命は最後までやりとげねばサーヴァントとはいえないだろうさ。


 衛宮士郎を何事もなく送り届けることができた。
 家の門で別れを告げると遠坂邸には向かず、町の探査を開始する。
 すぐに凛の下へ帰ってもよかったが、それではあまりにも芸がない。
 今後の展開に備え、幾らかの仕掛けをしておくとしよう。