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遠坂邸。アンティークな家具が並ぶその居間で、時計の針は静かに時を刻んでいる。
すでに日は沈み、冬木の町もゆっくりと眠りに着く。聖杯戦争が始まってから、冬木の住人も本能的に危険を感じ取っているのか、夜は家から外に出ようとはしない。
俺は居間に置かれていたソファーに座り、遠坂はいらだたしげに立ったまま眉間にしわを寄せている。アーチャーはその後ろで実体化して壁に背を預けていた。
セイバーがキャスターの手に落ち、遠坂邸に逃げ込んでからずっとこの調子だった。
もう遠坂とアーチャーには事の顛末は話した。隠しても仕方ないと思ったし、できるなら協力してセイバーを助けて欲しかったからだ。悔しいが俺一人では、サーヴァントがいない俺ではセイバーを助けることはできない。
「―――士郎、貴方はここで降りなさい」
「な・・・・・・っ」
唐突に、遠坂がそう静かに告げてきた。
最初、何を言われたのか判らなかった。
「聞こえなかった? 貴方はここで降りなさいと言ったのよ」
二度言われて、ようやく脳がその言葉の意味を理解した。
「馬鹿言うな、セイバーをあのままにしておけるか・・・・・・!」
「・・・・・・ふう。衛宮君ならそう言うと思ったけどね。でも―――貴方は無力よ。サーヴァントはサーヴァントでしか対抗できない。そのサーヴァントを失った貴方がセイバーを助けるコトなんて出来ない」
そんなことは・・・・・・
「判ってるさ。だけど、他にどうすればいいって言うんだ!」
「教会に避難しなさい。そうすれば少なくとも死ぬことはないわ」
遠坂は無表情にそう言ってくる。
その言葉に言い返すことができない。頭では遠坂が正しいと判ってはいるのだ。魔術師ですらない俺ではサーヴァントであるキャスターに勝つコトは出来ない。ならばセイバーを助けられないという結果も必然だ。
だが、それでも・・・・・・
「・・・・・・俺はセイバーを助け出す」
そう、助け出すのだ。あの時、セイバーは泣いていた。騎士の誇りを捻じ曲げてまで俺を守ろうとしたのだ。そのセイバーを見捨てる事など俺にはできはしない。
遠坂はじっと、無言で俺を見つめている。
長い時が、実際にはほんの少ししか経っていない時間が過ぎていく。
遠坂がふうっとため息をついた。
「―――今夜は
「――――――」
結跏趺坐に姿勢をとり、呼吸を整える。
頭の中はできるだけ白紙に。
外界との接触はさけ、意識は全て内界に向ける。
「―――
俺に出来ることは本当に少ない。
俺は魔術師ですらなく、ただ魔術が使えるというだけで後は一般人と変わらない。唯一使える魔術も完全に使えるというわけでもない。
「―――基本骨子、解明」
だが、俺にはこれしかないのも判っている。なんの才能もない俺がやれることはただ努力する事だけ。セイバーを助ける手段が思いつかない以上、自分の力を底上げするしかない。
「―――構成材質、解明」
目前にあるのは公園から逃げるときも手放さなかった木の棒。
これに魔力を通し、もっとも単純な硬度強化の魔術を行使する。
「―――構成材質、補強」
熟練した魔術師なら容易いものなのだろう。
だが、魔力の生成さえままならない俺では一番簡単なはずのこの魔術ですら遠い。
セイバーと契約した影響なのか、あの時から強化の成功率は格段に上がっていた。だが、それでも100%というわけでもないのだ。
「っ、くっ・・・・・・!」
強化の魔術を終了する。
木の棒は外見的にはなんの変化もないが・・・・・・
「―――失敗・・・か」
セイバーとの契約はキャスターによって断たれた。セイバーとの契約が魔術の成功率に関係しているのであれば、この結果は当然なのかもしれない。
「くそ―――っ!」
悔しい。
俺にはセイバーを助ける力がない。たった一人の人間を救うことすらできないのだ。
正義の味方を目指しているだと? まるでお話にならないじゃないか。
棒を床に置き、天井を仰ぐ。電気は既に消しており、月明かりだけが静かに居間照らしていた。
ふと、視界の隅で何かが動いた。
魔術に集中して気づかなかったが、それはどうやら人であるらしい。遠坂はすでに自室で寝ている。ということは残るのは一人だけ。
「アーチャー・・・・・・」
それには応えず、赤い騎士は静かに床に放られた棒を手に取る。
「強化の魔術か。にしてもひどい出来だな」
「っ・・・・・・!」
蔑みも何もなく、ただ事実だけをたんたんと語る。
それに何も言い返せない。実際、自分でもひどいものだと思う。
「なんだよ、見張りはどうしたんだよ」
アーチャーはただ感想を言っただけなのだろう。だが、それがひどく気に入らない。
何故かこのサーヴァントとは馬が合わない。そう心の底から思う。
「見張りなどここに居ても出来る。屋根に上っていたのはただの飾りだ。魔力の流れを感じたのでな、放っておこうかとも思ったが、見るに見かねてな。一つ助言をしてやろうと思ったのだ」
「助言・・・・・・?」
こいつが俺に?
自分で言うのもなんだが、こいつも俺のことを毛嫌いしていたはずだ。
実際、その助言をしてやると言ったときの態度もこちらを蔑んでいるようだった。
「お前は格闘には向いていない。元からあるものに手を加えてそれを使おうなど高望みをしすぎだ。それほど器用な存在ではなかろう」
「な・・・・・・!」
「戦いになれば衛宮士郎に勝ち目など存在しない。お前程度の力では何をやってもサーヴァントには通じない」
「・・・・・・」
「ならば―――せめてイメージしろ。現実で敵わない相手ならば、想像の中で打ち勝て。自身が勝てないというのであれば、それに
「な―――」
なぜかは分からない。
ただアーチャーの言葉は、どうしようもなく素直に、この胸に落ちた気がした。
忘れるな、と。この男の言っている事は、決して忘れてはならない事だと、誰よりおれ自身が思っている。
いつの間にかアーチャーの目からは蔑みの色が消えていた。代わりにその目に浮かんでいるのは―――焦燥?
だがそれも一瞬。アーチャーに目にはなんの感情も浮かんでいなかった。
「壊す者でも、使う者でもない。衛宮士郎、お前は“創る者”だ。―――言いたい事はそれだけだ」
アーチャーが消える。
再び屋根の上に戻ったのだろう。
「・・・・・・なんだ、あいつ」
居なくなった相手に向かって、ぼそりと文句を言う。
応えなど返ってはこない。
やけに頭に残るアーチャーの台詞を反芻しながら、俺は魔術の再開した。
◇
「本当にやるのかね、凛」
「もう決めた事よ。変更は効かないわ」
凛の決意は揺るがない。
まったく、そうまで義理立てる必要もないだろうに。
「キャスターを討と言うのは分かる。あれはいずれ討たなければならないのだから、それが早いか遅いかというだけだろう。だがセイバーを救いだすというのはどういうつもりだね? 敵を自ら増やすなど愚か者のすることだ」
「セイバーは聖杯を求めてはいないわ」
「それはセイバーがそう言っているだけで確証はないだろう。そう言える根拠はどうしたのだ?」
「女の勘と言うのはどうかしら?」
「話にならん。女と言うような色気か。何より可愛らしさが分かりづらい」
「失礼ね」
こういったやり取りをしていても凛の決意は変わらない。
宝石箱からストックを出し、その発展途上の体に身に付けていく。
本心を言えば凛がキャスターを討とうとするのは賛成だ。
キャスターごとき魔女がセイバーの傍にいるなど許せるものではない。
だが、それは私の本来の目的とそぐわない。
大聖杯に英霊を溜めるのは可能な限り回避すべきだ。それだけ破壊が困難となるからだ。
そして、凛の目的ともそぐわない。
凛は聖杯戦争に勝利することが目的なのだ。
キャスターの手にはセイバーと、そして恐るべき剣豪であるアサシンがいる。
セイバーはまだ陥落していないだろうが、それとて命呪を使われれば即座に敵に回る。
そうなれば3対1だ。どう考えても分が悪い。
それは凛も分かっているはずだ。
「だが、それでこそ遠坂凛・・・か」
そっと、凛には聞こえない程度の声量で呟く。
決して己の信念を曲げず、誰よりも魔術師らしく、どうしても甘さを捨てきれない。
今もその甘さのために、衛宮士郎という一人の人間の為に行動を起こそうとしている。
それが遠坂凛という一人の人間の性質だ。
―――だからこそ、マスターであることを認めたのだ。
―――だからこそ、
「―――行くわよ、アーチャー。早ければ今夜にでもキャスターは見つかるでしょう」