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「ネギーーッ!」
 学校も終わった放課後。
 昼と夜の境にあるこの時間帯。
 夕焼けが寮を紅く染め上げ、幻想的とも言える風景を描き出している。
 生徒たちの多くは部活に励んでいる為、寮の中にはまだ人の気配が少ない。
 ちらほらとしか見えない生徒の影が夕陽に映し出され、小さなアクセントとなってその美しさを際立たせている。
 明日菜はその風景に時折目を奪われながらも、いつの間にか隣から消えていたネギを探していた。
 授業中に少し気落ちしていたかと思ったら、放課後にはさらに顔色が沈んでいたのだ。
 あれからさらに思いつめていたのだろう。
 明日菜が見る限り、ネギはエヴァに狙われている事を心配している様子ではなかった。
 いや、少しは気にしているのだろうが、どちらかと言うと自分の不甲斐無さを責めているようだった。
 10歳の子供にしてはがんばっていると思うのだが、ネギはそれでも足りないと思っているらしい。
 なんとしてもエヴァを捕まえて改心させたいと思っているようだった。
 だが、それに見合わない自分の実力。
 それがネギを気落ちさせている原因だった。
 パートナーと言う言葉を発したのも、その気持ちが原因だろう。
「・・・・・・ほう。神楽坂明日菜か」
 突然声を掛けられて明日菜は急停止してそちらを振り向いた。
 そこにいたのは予想通りと言うべきか。
 ネギの悩みの種であるエヴァと茶々丸の二人がいた。
 明日菜は二人の姿を確認して身構える。
 ―――もしかしたらネギを攫ったのはエヴァたちかもしれない。
 明日菜の頭には昨夜の出来事が浮かんでいた。
 そのため、安直な考えではあったが、その考えは実に的を射ているように思えた。
「あ! あんた達。ネギをどこへやったのよ」
 明日菜は勢い勇んで問い詰めた。
「ん? 知らんぞ」
「え・・・・・・」
 そして予想外の反応に硬直した。
 ポカーンとした顔をして明日菜は戸惑う。
 エヴァはそれを見て軽く溜息をつき、
「―――何を早合点したのかは知らんがその辺りは安心しろ、神楽坂明日菜。少なくとも次の満月までは私たちが坊やを襲ったりする事はない」
「え・・・・・・? どういうこと」
 エヴァの話が信用できないのか、明日菜は疑惑の視線を向ける。
 まあそれも当然の反応。
 ここであっさりとエヴァの話を信じたらそれは人がいいどころの騒ぎではない。
 きっぱりとアホである。
「今の私は満月の前後まで魔力がガタ落ちになるのでな。次の満月までは私もただの人間。坊やを攫っても血を吸えないと言うわけさ」
 ホラ、と言いながらエヴァは口を広げて己の歯を見せた。
 昨晩のようにその歯は鋭く尖っていない。
 それにようやく明日菜は納得して頷いた。
 なるほど、これなら血を吸うことはできないだろう。
「フフッ・・・・・・やけにあの坊やのことを気にかけるじゃないか。子供が嫌いだったと記憶しているが、同じ布団で寝ていて情でも移ったか」
「なっ・・・・・・か、関係ないでしょ!」
 エヴァの思わぬ一言に赤面する。
 自分でも自覚があるだけに他者に言われると尚更恥ずかしいものがある。
 別に恥ずかしがるようなものでもないのだが、明日菜にとってはそこそこ恥ずかしいものだったのだろう。
「とにかく! ネギに手を出したら許さないからね、あんた達!!」
 明日菜のその言葉さえもエヴァにはおかしく聞こえる。
 エヴァにとっては明日菜もまだまだ子供。
 エヴァは自分では精神的にはまだまだ若いと思っている。
 だが、こうやって少女の初々しい感情を見るとそれを可愛らしく思ってしまうのはやはり歳のせいか。
 明日菜の赤い顔をニヤニヤした表情で眺める。
 こうやって見ると自分の魔法障壁を破れるほどの能力を秘めているとは思えないが、まあ油断は禁物だろう。
 学園長が己の孫娘の側にやっているのだからそれなりに意味はあるのだ。
「フフ―――さて、私は仕事があるのでね。これで失礼するよ」
 もう少しその顔を見ていたかったが、これ以上遅れるわけにもいかなかった。
 あまり遅れると侵入者の形跡がなくなってしまうかもしれない。
 エヴァはそう考えると明日菜に背を向け、茶々丸と一緒に階段へと向かっていった。
「仕事・・・・・・? それって・・・・・・」
 エヴァの仕事が何なのかを聞こうとしたのだろう。
 明日菜はエヴァの背に声を掛けようとした。
 だが、
「・・・・・・キャーーーッ・・・・・・!」
「!?」
 大浴場の方から聞こえてきた悲鳴により中断した。


 時を遡る事少し前。
 学校も滞りなく終わった放課後。
 ネギと明日菜は寮に帰り、自分たちの家である部屋へと戻ろうと歩いているところだった。
「だから悩みすぎなのよネギは。別にあんたが悪いってわけじゃないんだから」
「それはそうなんですけど。でもあの時捕まえる事ができていれば、やめさせる事ができたのも確かなわけで」
「それはもう聞いたわよ。でもあんたまだ子供じゃない。できる事とできない事があんのよ」
「それは・・・・・・」
「とにかく! 今度何かあったら手伝ってあげるから、元気出しなさいよ。一人じゃ無理でも、二人ならできるかもしれないでしょ」
「アスナさん・・・・・・」
「ん? 何よ」
「いえ、その・・・・・・ありがとうございます」
「どういたしまして」
 ぷいっと、明日菜が廊下の外へと視線を逸らした。
 夕焼けが原因ではない赤みが頬にかかっている。
 それを見てネギ微笑を浮かべる。
 明日菜は自分を気遣ってくれた。
 その事実が嬉しかった。
「アスナさ・・・・・・!?」
 明日菜に声をかけようとしたネギの視界が突然真っ暗に染まった。
 と、思いきや体が地面から離れ、両腕と両足が拘束される。
「もがもが!? もががっ!?」
 何かを言おうとしても、真っ暗な視界の外から口を押さえられて声が出せない。
 頭には黒い布を被され、少なくとも二人以上の人数で抱えられてネギは何処かへと運ばれていく。
 体をじたばたと動かして逃れようとするも全く動かす事ができない。
(何がどうなってるんですかーーー!? ていうかなんで脱がそうとするんですかーーっ!!?)
 ネギを運んでいる者たちは、器用な事にその状態のままネギの服を脱がしていく。
 まずスーツのボタンが外される。
 ネクタイが緩められ、シャツのボタンを外しながらベルトが緩められていく。
 そしてズボンが脱がされシャツが脱がされると、その下には肌着とパンツだけが残った。
(パンツだけは! パンツだけは勘弁してくださいーーーーー!!)
 慈悲などなかった。
 ネギの心の声など聞こえるはずもなく。
 情け容赦なくネギのパンツは、肌着もろとも脱がされてしまう。
 辺りにネギと誘拐犯以外はいなかったのは、ネギにとって良かったのか悪かったのか。
 周りに他の人間がいたらその凶行を止めただろうが、その代わりにネギのまだ小さなそれは見事に晒される事となっただろう。
 ・・・・・・いなくて良かったのかもしれない。
 かくてネギの自尊心は守られ、代わりに誘拐犯に丸裸にされて連れ去られる事となった。
「――――――!?」
 突然体にかかった浮遊感にネギは体を緊張させる。
 体の拘束は解かれ、宙へと体が投げ出された。
 反射的にネギは体を丸め、来るべき落下の衝撃に備える。
 目隠しでいつ来るかもわからない地面の到来備え、
「もがががががっ!?」
 予想していなかった着水に混乱した。
 ネギが水だと思ったのはお湯のようであった。
 水温は熱すぎず温すぎず。
 丁度いいくらいの温度に保たれているようだった。
「ぶはっ!」
 何はともあれ息継ぎをしなくてはならない。
 あまりにも突然すぎた着水はネギを混乱させ、溜め込んでいた息を全て吐き出してしまった。
 ケホケホッとむせ返る。
 目に入ってくるお湯を手で拭うと、ネギは辺りを見回した。
「お風呂・・・・・・?」
 ネギがいるのは女子寮にある大浴場だった。
 ネギは普段ここに入る事はない。
 だが麻帆良に来てすぐぐらいの時に、一度だけ明日菜に入れてもらっていた事を覚えていた。
 ネギは気付いていないのか。
 彼の後ろには30人あまりの女子生徒がいる事に。
 それが全員彼の受け持つクラスの生徒であり、そして一人の例外もなく水着を着用している事に。
 あまつさえ数人は狼が羊を見るかのように見つめている事に。
 ・・・・・・まあ気付いていないだろう。
 気付いていたらその場に留まるはずもないだろうから。
 それはつまるところ―――
「ようこそー、ネギ先生!」
 ―――これから起こる不幸―幸福?―を、全てその一身に受けると言う事だった。


 そして時は進み、
「キャーーッ、ネズミーーーッ」
「イタチだよ!」
「ネズミが出たーーーーーーッ」
「へぶっ、ぷろっ、もがっ!?」
 30余名の女生徒による逆セクハラを、ネギが一身に受けていたときにそれは出現した。
 風呂の中にネズミが出たともなれば、中学生くらいの女の子たちはもはや混乱して大騒ぎするしかない。
「―――ん?」
「ござー」
「・・・・・・」
 ―――何事にも例外は存在するらしい。
 これっぽちも気になってない生徒も数人いた。
 まあ風呂なのに野太刀を持ってきている子とか語尾がござるだったりする子とかこっそり風呂桶にデリンジャーを隠し持っている子とか。
 まあそんなのはほんの少しにしか過ぎないわけで。
 そして大多数の生徒はネギに群がってセクハラをしていたわけで。
 そんな中で混乱して大騒ぎ―暴走―なんかしてしまったわけで。
 中心にいたネギにはそれを回避する術がなかったわけで。
「キャーーーーッ! ネギくーーーん!!」
「あらあら」
 こうなる事はつまり必然だったのである。
 もみくちゃにされたネギは目を回し、風呂に顔を下に向けて浮かんでいた。
「無様・・・ね」
 リ○コさん?
 平行世界を越えてまで発言するほどなのか。
 きっと深く考えてはいけないのだろう。たぶん。
 大浴場では状況がさらに悪化しているようだった。
 舞う。
 舞う。
 とにかく舞う。
 さらに舞う。
 それは紅い布だったり白い布だったり黄色い布だったり。
「このネズミ水着を脱がすよーーー!」
「いやーん!」
「エロネズミーー!」
 つまるところ水着なのである。
 少女たちのまだ幼い柔肌を、かろうじて包んでいた薄い布なのだ。
 それが脱がされると言う事は、当たり前だが裸になると言う事。
 裸って言うのは生まれたままの姿なわけで、まだそういう知識に乏しい少年にも刺激が強すぎたりするもの。
「あわわわわわわわわわ」
 窒息する前に復活できたネギが最初に見たのはそんな風景だったりする。
 顔を真っ赤にして慌ててその現場から顔を背ける。
 とても初々しい仕草で、それは見る人が見たら母性本能をこれ以上ないくらい刺激するものだったろう。
 うっかり少女たちの誰かに見られていたら抱きすくめられたに違いない。
「ネギ! どうしたのよ!!」
「ア、アスナさん!」
 悲鳴を聞きつけた明日菜が風呂場へと駆け寄ってくる。
標的補足ターゲットロックオン。姐さーーーん!)
「――――――!」
 足元から飛び掛ってくる小さな何かに、明日菜は反射的に腕を振るった。
 急停止し、軸足を基点に体ごと旋回。
 手に持った風呂桶をその小さなものに叩きつける。
「っ!?」
 ジャストミート。
 それはものの見事に跳んで来た何かに命中した。
 小さな何かは一直線に床に叩きつけられるも、素早くその場を後にする。
 小さい上にすばしっこく、そして風呂場の湯煙で、明日菜はそれをあっさりと見失ってしまう。
「わっ!」
 明日菜の制服の前が開いた。
 どうやらあの一瞬の攻防でボタンだけを外したらしい。
 スケベ根性もここまでいけば大したものだろう。
 良い子は見習ってはいけない。
 君とお兄さんの約束だ。
「な・・・・・・なによ、今の小さいのは・・・・・・」
 呆然と呟く。
 それもまあ当然の反応。
 まさか風呂場に来るなりいきなり脱がされようとは思いもよるまい。
 しかもそれが人でなかったら尚更に。
「って」
 ぐるり、と体ごと視線をネギたちの方へと向ける。
「あんた達も素っ裸で何やってるのよー! ネギまで連れ込んでー!」
「いえ、アスナさん、これは誤解・・・・・・」
「元気付ける会なんだよー!」
 どこの世界に逆セクハラを元気付ける会と称する人間がいるのだろうか。
 ・・・・・・ここにいましたか。
 明日菜は前後の事情など知りえないが、直感で事実にたどり着いたのだろう。
 その直感は98%くらいあっているので、明日菜の直感は未来予知くらいすごいのかもしれない。
 大浴場涼風に、騒がしい少女たちの声が響き渡った。
 ―――主に怒声と言い訳で。


 己の主がいかなる受難にあっていようと、学園都市内を探索しているエミヤには全然全く無問題だった。
 知っていたら止めていただろうが、それを知る術はエミヤにはない。
 それよりもエミヤは現状をどうやって打破しようかと考えあぐねていた。
「うーん・・・・・・」
 呻き声が彼の足元から聞こえてくる。
 まだ歳若い、明日菜たちと同じくらいの年代の少女の声。
 上げていた視線をゆっくりと声のしている方へと戻していく。
 エミヤの視線の先にいたのは麻帆良学園の女生徒だった。
 何故そう断言したかと言うと、別にエミヤが頭脳明晰に推理したとかではなく、たんに制服を着ていたからだったりする。
 長い髪を可愛らしくツインテールに纏めており、それが小柄な彼女によく似合っている。
 少女は目を回して仰向けにひっくり返っていた。
「―――しまった。まさか人をねてしまうとは」
 撥ねる。物や人をはじきとばす。form大辞泉。
 エミヤが侵入者を見つけようと、学園都市内を走り回っている時の出来事である。
 強化の魔術まで行使しての全力疾走。
 それでもそこは英霊。
 ちゃんと人を撥ねたりしないよう気を配っていたのである。
 ちゃんと前方やら後方やら左右やらに注意はしていたのだ。
 だがまさか、まさか頭上に、、、人がいようとは。
 軽く跳躍して民家の屋根に登ろうとした時の衝突事故だった。
「どうしたものかな・・・・・・」
 まあたとえ予想外の場所に人が居たとして、だからと言ってエミヤに責任がないわけではない。
 幸い怪我はないようだが、それでもまさかここに放置するわけにも行くまい。
 寮からさほど遠くない場所での衝突事故だったので、エミヤはとりあえず自室へと運んで介抱する事にした。
 そう考え、少女を胸の前で抱きかかえる。
 いわゆるお姫様抱っこと言うやつだ。
 そうして少女を運ぼうとした矢先、エミヤは不意に横へ跳ねた、、、、、
「―――貴方。愛衣メイをいったいどこに連れて行くおつもりですか」
 エミヤが先ほどまで立っていた位置には、小さいながらも風穴が開いていた。
 エミヤが視線を屋根の上へと向ける。
 そこには、月明かりに浮かび上がった、夜よりも幾分浅い闇を纏った少女がいた。