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「おはよう、ネギ先生」
「おはようございます、先生」
「おはようございます、エヴァンジェリンさん、茶々丸さん」
学校の昇降口。
朝の登校時間真っ只中の時間帯のここは、多くの生徒たちで賑わっている。
始業時間まであと5分ほど。
生徒たちが登校する中で、もっとも昇降口が混雑する時間帯だ。
生徒たちは遅刻すまいと急ぎ足で上履きに履き替えている。
「フフ、今日もまったりとサボらせてもらうよ。ネギ先生が担任になってから、色々と楽が出来ていい」
少し挑発するようにエヴァは話しかける。
「うーん・・・・・・あんまり授業をサボるのは感心しないんですけど・・・・・・」
対するネギは挑発を気に止めず、落ち着いた様子で返答する。
ネギはエヴァが授業をサボるのを止めようとは思わない。
授業を受ける受けないは生徒の自由だと思うし、今の世の中では学歴など大した問題ではないとわかっているのだ。
それに、エヴァは力ある吸血鬼である。
見た目はネギと同じくらいの年齢にしか見えないが、実際は100歳を軽く越えているに違いない。
そんな彼女にとって、中学生の授業など大した意味を持たないのだろう。
「まあ気が向いたらでいいですから、授業に出てくださいね。卒業できなくなっちゃいますよ」
「いや、授業に出ても卒業できないんだが・・・・・・」
エヴァはあっさりとサボりを容認するネギに拍子抜けする。
てっきり授業に出るよう強要すると思っていたのだが・・・・・・
「?」
「どういうこと?」
「ああそうか。坊やたちには言ってなかったな。私は15年前にサウザンドマスター―そこの坊やの父親の事だが―に呪いを掛けられていてね。魔力も極限まで封じられ、延々と中学校生活を送らなければならないんだ。―――まったく、ふざけた呪いだよ」
やれやれ、と体全体で溜息をつく。
別に大した物ではないように装っているが―――目は全く笑っていなかった。
まあ当たり前だろう。
15年間も中学生をやらされていては、授業の内容も退屈極まりないに違いない。
それに外見はともかく、エヴァは実年齢100歳以上の吸血鬼なのだ。
自分は大人だが、周りは子供。
クラスメイトと話をしても、自分の趣味と合うわけがないのだから、面白いはずも無いだろう。
「―――まあ屋上で昼寝でもさせてもらうよ。陽の光を克服したと言っても、私が夜の住人であることに変わりは無いからな。昼は眠いんだ」
「そうですか・・・・・・茶々丸さんはどうなさるんですか?」
「私は授業に出席しますが」
「わかりました。それではまた」
「フン」
「失礼します、ネギ先生」
エヴァは面白くなさそうに、茶々丸は普段通りの反応を返して、教室とは反対の方向へと去っていった。
「エヴァちゃんも茶々丸さんも相変わらずね」
「いつもあんな感じなんですかい、姐さん」
「うーん・・・・・・ネギがこっちに来たばかりの時はそうでもなかったんだけど・・・・・・」
「彼女は吸血鬼で、この前色々あったんだよ。詳しい話は省くけど、僕の血を狙ってるみたいなんだ」
「兄貴の血を? そりゃまたなんで・・・・・・ああ、そういえばさっき兄貴の父ちゃんが呪いをかけたって言ってたから、その関係ですかい?」
「たぶん・・・・・・」
「彼女、最近の吸血鬼事件の犯人なのよ。それでネギが捕まえようとしたんだけど」
「逆に返り討ちにあっちゃって」
「兄貴がですかい? そんなに強い魔力は感じなかったすけど」
カモは首―胴体?―をかしげる。
彼の知る限り、ネギの実力はそこらの一般的な魔法使いより上だ。
扱える呪文も二桁に上り、攻撃系の魔法にも長けている。
そんな彼が、一般人より僅かに高い魔力しかもたない少女に負けるとは思えなかった。
それになにより、彼にはあの
そんなカモの考えに気付いたのか、ネギはクスリと笑うと
「いつまでもエミヤに頼っていられないからね。その時は一人で戦ったんだよ」
「いや、それでも兄貴が一対一負けるとは」
「茶々丸さんがエヴァさんのパートナーなんだよ。エヴァさんを追いかけて、茶々丸さんが待っているところに誘い出されて惨敗しちゃったんだ」
「パートナー? ああ、だから
「わかるの?」
「そりゃーわかるっすよ。俺っちもこの道に入って長いっすからね。・・・・・・そうか、パートナーか・・・・・・」
カモは何かを考えるようにブツブツと口の中で呟き出した。
明日菜はその様子に不安を覚え、カモが何かよくない事を企んでいるのではと考えた。
「ちょっ・・・・・・」
「そうだ!! パートナーっすよ!」
明日菜の言葉を遮るようにカモは叫んだ。
その声量に、ネギは誰かが聞いたのではないかと慌てて辺りを見回す。
幸いな事に生徒たちは始業時間が近いせいか、昇降口の周りには少なくそれを聞いた人物はいないようだった。
「ネギの兄貴と姐さんがサクッと仮契約を交わして、相手の片一方を二人がかりでボコッちまうんだよ!」
こいつは名案だぜ、と言わんばかりに興奮してカモは自分の考えを言葉にした。
「えーーっ!? 何それっ!?」
「僕とアスナさんが仮契約ーー!?」
それに驚いたのは勿論ネギたちだ。
ネギと明日菜はまだ懲りてなかったのか、と言う目でカモを見つめる。
いわゆるジト目と呼ばれるソレに、残念ながらカモが気付く事はなかったが。
「旦那に頼らずに奴らを倒せて、パートナーもできて一石二鳥! ささ、兄貴、姐さん。ほらブチューッとウラッ!!」
「ねえ、そろそろホームルームに間に合わなくなるわよ」
明日菜が時計を見ながら言う。
実際、後5分程度でホームルームが始まる時間だった。
「あっ、そうですね。じゃあ教室に急ぎましょう」
いつまでも昇降口にいたら間に合わなくなる。
ネギと明日菜は急ぎ足で教室へと歩き出した。
「・・・・・・・・・・・・」
ポツーンと取り残されるカモ。
さすがのカモも、スルーと言う反応は予期していなかった。
もうちょっとこう・・・・・・アレな反応を期待していたのだが。
「って、待ってくださいよ兄貴ーーー!」
いつの間にかネギと明日菜の姿は階段の向こうへと消えていた。
カモは慌てて走り出し、ネギに追いつくべく4本の足を駆使して廊下を駆けて行った。
学園都市に入ってきた侵入者の一件が片付き、エヴァのこともネギが頼ってくるまでは傍観する予定である今、エミヤは特にする事も無く散歩などをしていた。
朝、慌しい登校時間と言うものが終わり、寮内の清掃も業者に任せた後となってはそれが終わるのを待つだけ。
夕食に作る中華の買い物も先ほどすませた。他に買うものも無いし、結界も不具合なく張られている為見回りも必要ない。日に何件かある悪意有る存在の気配も、今日に限って一度も現れてはいない。
つまり、ただいまのエミヤは相当に暇なのである。
「まあ、今に始まった事ではないのだが・・・・・・」
苦笑する。
それはつまり
別段エミヤは刺激を求めていたりはしない。
むしろ平安な日常をこそ望んでいると言ってもいい。だからこそエミヤとしてはこの平和なひと時は大歓迎してしかるべきなのだ。
街の中心部から離れ、郊外へと向かう広い道路を北上する。
そういえば、純粋に散歩を楽しむというのも久しぶりだな。
エミヤはイギリスでの散歩を思い出して頬を緩めた。
あの時は隣にネギやネカネ、アーニャがいたが自分は今日本にいる。そして今頃ネギは教卓にたって学徒に対して教鞭を振るっている事だろう。
一人での散歩となると、それこそ生前が最後なのかもしれないな。
長い坂道を登り、中央に小さな噴水を持つ広い広場がある教会が見えてきた。
近くには外人墓地が存在しており、どことなく冬木の教会を思い起こさせる。
エミヤは生前の事もあって、教会に苦手意識を持っていないではなかったのだが、それを差し引いてもこの教会の広場は素晴らしいと思える。
とても丁寧に世話がされているのが、ざっと眺めただけでもわかるのだ。この広場を眺める為だけにあの長い坂道を登る価値はある。
備え付けられているベンチに座り、エミヤはぼんやりと広場を眺めた。
平和の象徴たるハトが、朝と昼の間のまどろみを楽しむお年寄りたちにパンくずをもらってついばんでいる。
そのお年寄りの孫であろう子供たちも、ハトに餌をやって無邪気な笑顔を浮かべていた。
―――とても平和な光景である。
「おや? 懐かしい顔がいるね」
突然声をかけられ、エミヤがそちらに顔を向けると、そこには黒い髪を持つ美少年が立っていた。
エミヤの目が驚きで軽く見開かれる。
「・・・・・・何故君がここにいる?」
「やだなぁ、僕は神父だよ? 神父が教会にいるのは当然じゃないか」
「・・・・・・ピッツァはないぞ」
「あら、それは残念」
少年は本当に残念そうに肩を落とした。
そしてテクテクと言う擬音が聞こえてきそうな歩き方でエミヤへと近づき、ベンチの空きスペースであるエミヤの隣へと腰掛けた。
少年の歳は12歳くらいだろうか。
髪は肩口の辺りで切り揃えており、幼い顔にあどけない笑顔を浮かべてエミヤの顔を眺めている。
服装は、少年が言った通り神父が着るような服を着ていた。
紺を基調とした地味と言うほどではなく、さりとて派手と言うわけでもない調和のとれた、まさしく聖職者が着ている服の見本のような服装である。
それは少年には少し大きいのか袖口はゆったりとしており、足元も少しだぶついているようだった。
「僕からも質問だけど、君はどうして
「マスターが所用で此方に移住したものでね。それに従ってきたまでだ」
「なるほど、まあそんなものだろうね。僕に会いに来てくれたのかとも思ったりしたんだけど」
「脳が溶けてしまったか」
「ひどい事言うね」
「原因はチーズの食べすぎだ」
「チーズの食べすぎでそうなるのなら、それもまた本望だねー」
「くっくっくっ・・・・・・今晩我が家へ来るといい。久しぶりにピッツァをご馳走しよう」
「それはありがたいね。お言葉に甘えようかな」
エミヤはひとしきり笑うと、ベンチに背を預けて空を見上げた。
「―――それで、頼んでいたものは?」
「手に入れておいたよ。さすがに携帯できるようなものでもないから、後で君のところへ届くように手配しとくよ。感謝してよ? すっごい苦労したんだからさ」
「携帯できない?・・・・・・ああ、そうか。一応君は悪魔に分類されるのだったな」
「一応じゃなくて、ちゃんとした大魔獣なんだけど・・・・・・」
ははは、と少年は苦笑いを浮かべる。
その姿はどう見てもエミヤや少年が言うような悪魔や魔獣には見えない。
その辺に自覚があるのか、少年もあまり深くは気にしていないようだ。
「・・・・・・さて、この辺で失礼するよ。そろそろお祈りの時間なんでね。ほら、僕は一応神父だからさ」
「一応ではなくて、れっきとした神父だろうに・・・・・・」
「それもそうだね」
「―――まあいいさ。ありがとう。
「お礼なら君の焼いてくれるピッツァでいいよ。できればレシピも教えて欲しいなぁ」
「はは、了解した。食べきれないほど焼いて待っているよ」
「それは楽しみだね」
嬉しそうに少年は笑った。
「では、またねエミヤ。夕方には終わるからその後に」
「ああ、また後ほど」
少年は教会へと戻っていった。
少年が教会の中へ入るのとほぼ同じくらいに、リンゴーンと正午を知らせる鐘が鳴った。
広場に響き渡る鐘の音。
エミヤはその音色を楽しみながらベンチから立ち上がり、広場を後にするように歩き出した。
目指すは中央にある商店街。
中華の予定を変更し、ピッツァの食材をそろえるために動かなければならない。