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教会を出ると風が出ていた。
丘の上、という事もあるのだろう。吹く風は地上より強く、その冷気も一段と鋭い。
冬木の冬が暖かいといっても、ずっと外に立っていたら風邪くらいは引くかもしれない。
「シロウ。話は終わりましたか」
広場ではセイバーとアーチャーが互いに背を向けて立っていた。
険悪な雰囲気ではないようだが、さりとて仲が良いようにも見えない。まあ、仲が良くても困るのだが。
セイバーはこちらを確認すると真っ直ぐ衛宮士郎の下に近寄ってきた。セイバーとは背を向けて立っていたアーチャーも、少し遅れて私に歩み寄ってくる。
「終わったか、凛」
「衛宮くんも状況は把握できたみたいだし、ここにはもう用は無いわ」
「そうか、では・・・」
「―――ええ、明日からは敵同士よ。あなたもそのつもりでね」
私がそう言うとアーチャーは僅かに表情を変える。だが、それも一瞬。そうかと頷くと、セイバーと私の間へと立ち位置を替える。
一瞬見せた表情が気にはなったが、あえて訊くこともないだろう。問題があるのなら彼から言ってくるはずだ。
ふと、セイバーたちの方に視線を向ける。彼らは随分仲良くなったようで、握手なんかを交わしていた。
「―――ふぅん。その分じゃ放っておいてもよさそうね、貴方たち」
そう言うと、彼らは随分と慌てた様子でこちらを振り返った。衛宮くんはそういうのに慣れてなさそうだからいいとして、セイバーまで顔が赤くなっているのはどういうことだろうか?
「仲いいじゃない。さっきまでは話もしなかったのに、大した変わり様ね。なに、セイバーの事は完全に信頼したってワケ?」
なにやらしどろもどろになりながらも言い返してくる。こちらは普通に話しかけただけなのだが、何故そんなにも慌てるのだろうか。
「はぁ・・・・・・凛、このままでは埒があくまい。彼らは聖杯戦争に参加するのだろう? ならば今の関係もここまでだ。相手の覚悟を確かめる必要もあるまい。倒し易い敵がいるのなら、遠慮なく叩くべきだ」
「む・・・・・・そんなコト、言われなくても判ってるけど」
「判っているのなら行動に移してもらいたいのだが・・・・・・まあ、それも君が君である
「―――っ!? そ、そんなワケないでしょう! 変なこと言うんじゃないわよ、アーチャー!」
「そうか、それは失礼した。いや、安心したよ。私のマスターは少なくとも男を見る目はあるらしい」
何気に失礼なことを言いながら、アーチャーは口元に笑みを形作る。その態度が気に障ったのか、セイバーはムッとした表情でアーチャーのことを睨みつける。
アーチャーはそれに軽く肩をすくめると、その視線から逃れるように霊体化する。
衛宮士郎もアーチャーの言葉にムッとしていたが、何かを言う前にアーチャーに霊体化された為、憮然とした表情で固まっている。
「さて、それじゃあ町に戻りましょうか。明日からは敵同士だけど、ここまで連れてきたのはわたしだし。それくらいまでは面倒見てあげるわ」
三人で坂を下りていく。とうに寝静まった町にカツカツという足音だけが響く。
三人は無言。私が一人先行している為か、これといった会話もないまま坂道を下りきった。
ここから先は単純な分かれ道。新都へと続く大通りか深山町に繋がる大橋か。
その交差点の前でピタリと立ち止まる。
「遠坂? なんだよ、いきなり立ち止まって。帰るなら橋の方だろ」
「ううん。悪いけど、ここからは一人で帰って。衛宮くんにかまけてて忘れてたけど、わたしだって暇じゃないの。せっかく新都にいるんだから、探し物の一つもして帰るわ」
そう、せっかく新都にいるのだ。あのランサーのマスターがこちら側にいるのはわかっているのだから、そいつを探しておかない手はない。
「―――探し物って、他のマスターか?」
彼もそれが分からないほど鈍感ではないみたいだ。さっきまでは右も左もわからないようなヤツだったくせに、もう自分で考えて答えを出すようになってきている。
彼の答えに「そう」と頷く。
「だからここでお別れよ。義理は果たしたし、これ以上一緒にいると何かと面倒でしょ。きっぱり別れて、明日からは敵同士にならないと」
あんまり一緒にいると情が移っちゃうしね。
「―――ああ。遠坂、いいヤツなんだな」
は? 突然何を言い出すのだろうコイツは。
「なによ突然。おだてたって手は抜かないわよ」
「知ってる。けど出来れば敵同士にはなりたくない。俺、おまえみたいなヤツは好きだ」
「な―――」
絶句する。
街灯の下でなくてよかった。明るいところにいたら顔が赤くなっているのがわかってしまうだろう。
まったく。突然なんてこと言い出すのだろうコイツは。 恥ずかしいとか、そういった感情が抜けているんじゃないだろうか。
「一つ言おう、セイバーのマスターよ。そういうことはあまり軽はずみに言わない方がいい。いらぬ誤解を招きかねん」
いつの間に実体化したのか、アーチャーがそんな事をコイツに言っている。
「なんでさ? 別におかしなこと言ってないだろ」
「はあ・・・・・・気付いてすらいないとは重症だな」
大きく溜息までついている。
セイバーは主を馬鹿にされたからか、きつい眼差しでアーチャーを睨みつけている。アーチャーはそれを無視したようだが。
「まあいい。些末な事だ。少なくとも我々には・・・な。しかし・・・・・・」
そこでアーチャーが坂の上へと視線を向けた。
「盗み聞きとは、最近の淑女はあまり良い趣味お持ちではないようだ。なあ、狂戦士よ・・・」
!!?
アーチャーの視線の先に急いで目を向ける。
いつのまにか雲は去っており、空には煌々と輝く月があった。
月明かりに照らされ、狂った異形が映し出される。
灰暗く青ざめた影絵の町に、酷く、あってはならぬモノがそこにいた。
「―――ねえ、お話は終わり?」
◇
幼い声が夜に響いた。
歌うようなそれは、まぎれもなく少女のものだろう。
遠坂に釣られるように、視線が坂の上へと向かう。
そこには―――
「―――バーサーカー・・・」
聞き慣れない言葉を漏らす遠坂。
それの意味するところは判らないまでも、アレのもつ異質さは嫌というほど感じ取れる。
圧倒的なまでの死の気配。その絶対的なまでに死を予感させる威圧感は、先ほどの蒼い槍兵を軽々と凌駕する。
「こんばんはお兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね」
微笑みながら少女は言った。
昼間一度だけすれ違った少女。その無邪気さに、
その少女の姿は背後の異形とあまりにも不釣合いで、悪い夢でも見ているかのようだった。
いや、背筋なんて生やさしいものではない。体はおろか意識まで完全に凍結する。
アレは化け物だ。視線さえ合っていないのに、ただ、そこに在るだけで身動きがとれなくなる―――
「ふむ・・・なかなかどうして、大した威圧感だな。単純な能力では全サーヴァント中最強だろう。―――まったく、大した英霊を召喚したものだな」
軽口を叩くアーチャー。
遠坂は舌打ちをしながら、頭上の巨人を睨みつける。
「どうするね、凛。逃げるのは容易いが、ただ逃げるだけというのは面白みに欠けるというものだが・・・・・・ふむ。ここで倒しておくのもまた一興か」
「―――――!?」
な・・・に・・・・・・?
アーチャーの台詞に絶句する。
見ると、遠坂も同じ様子だ。それだけアーチャーの発言はとんでもない。
遠坂だけでなく、俺の横にいるセイバーまでもが驚愕に目を見開いている。
「―――ふーん、勝てるつもりなんだ。私のバーサーカーに」
異形を連れた少女が笑う。アーチャーの言葉がいかに無謀な事かと。
自分のサーヴァントが最強であることを確信している顔だ。
それはそうだろう。アレに勝てる生物はこの世にいない。無論、アーチャーもその類に漏れないだろう。アレの放つ威圧感はそれほどのものだ。それを、仮にも英霊であるはずのアーチャーに判らぬはずがない。
にもかかわらずアーチャーはそう口にする。言葉だけでなく、その両の手に刀を構え異形のサーヴァントと対峙する。
「!?―――待ちなさいアーチャー、アレは力押しでなんとかなる相手じゃない。ここは貴方本来の戦い方に徹するべきよ」
それを遠坂が慌てて引き留める。
それにアーチャーは不服そうにしながらも頷き、遠坂の方へと一歩下がる。
「それはいいが守りはどうする。凛ではアレの突進は防げまい」
「こっちは三人よ。凌ぐだけならなんとでもなるわ」
それに、アーチャーは納得したのか頷きながらこう続けた。
「・・・・・・ふむ、了解した。この場はセイバーにまかせるとしよう。・・・ああ、凛。念のために訊いておくが―――本当に
それに、遠坂は無言で頷く。
「分かった、マスターの意向に従おう」
アーチャーは刀を消すと、俺たちの視界から消えた。一瞬で跳躍したアーチャーは夜の闇に溶け込み姿を隠す。
「―――衛宮くん。逃げるか戦うかは貴方の自由よ。・・・・・・けど、出来るならなんとか逃げなさい」
「相談は済んだ? なら、始めちゃっていい?」
軽やかな笑い声。
少女は行儀良くスカートの裾を持ち上げて、貴婦人のようにお辞儀をする。
「はじめまして、リン。わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えばわかるでしょ?」
「アインツベルン―――」
その名前に聞き覚えでもあるのか、遠坂の体がかすかに揺れる。
少女はそれを笑い、
「―――じゃあ殺すね。やっちゃえ、バーサーカー」
歌うように、背後の異形へと命令した。
巨体が飛ぶ。バーサーカーと呼ばれたモノが、坂の上からここまで、何十メートルという距離を一息で落下してくる―――!
「―――シロウ、下がって・・・・・・!」
ゴヒュウッ!
空を裂く鋭い音。
流星じみた幾条もの弾丸―――!
残像すら残すことなく飛来したそれは、落下してきた
「■■■■■■■■■」
正確無比、とはこの事を指すのだろう。
高速で落下する巨体を射抜いていく銀光は、紛れもなく矢による攻撃―――!
いや、矢と呼ぶなどおこがましい。あれは機関銃だ。
その一撃一撃は岩盤すら容易く穿ち貫くだろう。
だがそんなものは、
「うそ、効いていない―――!?」
黒い巨人には、何の効果も得ることはなかった。
ギィィンッ!
落下地点まで走り寄ったセイバーがバーサーカーの大剣に剣をぶつける。
「ふっ・・・・・・!」
「■■■■■■」
激突し合う剣と剣。
あの小さな体に一体どれほどの魔力が籠められているのか。明らかに力負けしている筈のセイバーは、その実一歩も譲ることなくバーサーカーと剣を打ち合う。
黒い旋風にしか見えない大剣を受け、弾き、正面から切り崩していく。
息を飲む。英霊の戦いというのはここまで次元の違うものなのか。
あの少女も、遠坂も、ただその戦いに見惚れていた。
セイバーが正面からバーサーカーの大剣を受ける。
その瞬間、巨人の背後の闇に赤い影が浮き上がる―――!
キィン!!
黒塗りの鞘から引き抜かれた刀は、バーサーカーの体に激突し折れ飛ぶ―――!
それを見届け、アーチャーはまたも夜の闇へと体を溶かす。
なんという肉体強度か・・・・・・!
巨人の肉体はいかなる守りによるのか。アーチャーの奇襲の一撃でも傷一つ付けられない。
アーチャーの一撃をものともせず、バーサーカーはセイバーへと大剣を打ち付ける。
ドゴォッ!
鳴り響く剣戟。
再び交わった剣は夜の町に小規模な爆音を響かせる。
「ぐっ・・・・・・!?」
横殴りに振るわれたそれにセイバーは体ごと弾き飛ばされる。
それを追撃する黒い巨人。旋風を伴って必殺の一撃を叩き込もうと肉薄する。
ゴヒュウッ!
再び銀光が奔る。追撃を阻止せんと放たれたそれは、正確に巨人の体へと突き刺さる。
だが効かない。流星のようなそれは
「■■■■■■――――――!!!」
巨人は止まらない。
横薙ぎに振られた大剣を、セイバーは咄嗟に剣で受け止める・・・・・・!
ドゴォォッ!!!
「セイバー・・・・・・!」
そんな叫びがなんの役に立つのか。
ボールのように弾き飛ばされたセイバーは坂の中ごろに落下した。
「―――!」
目が眩んでいるのか。
セイバーは地面に膝をついたまま動かない。
「――――――トドメね。潰しなさい、バーサーカー」
少女の声が響く。
黒い巨人は主の命に答え、黒い旋風となってセイバーへと突進する。
「―――アーチャー、援護!!」
叫びながら遠坂は走り出した。
―――セイバーに加勢するつもりなのだろう。
懐から石のようなものを取り出しながら坂道を駆け上っていく。
その時。
「―――え、アーチャー・・・・・・? 離れろってどういう事・・・・・・?」
訳も分からず急停止する遠坂と、遥か遠くから向けられた殺気に気が付いた。
「――――――」
坂の上。何百メートルと離れた教会の屋上に、弓を構える弓兵の姿を見た。
悪寒がする。
アイツが構えているのは弓だ。直撃ですらバーサーカーに傷一つ付けられなかった物。
そんなものに脅威を感じることなど―――
「――――――」
そこで、アイツが弓に添えているものを見た。視力を魔力で水増しし、その概要を認識する。
それは矢ではなく・・・・・・
「セイ―――」
そこで気付く。
あれが放たれる先にいるのはバーサーカーだけではない。
そこには・・・・・・
「ちょっ、待―――!?」
全力で少女へと走る。
「え―――?」
きょとんとした顔。
自分へと向かってくる俺を見て、呆然と立ち尽くしている。
”間に合う―――!”
間近へと迫る危機感。
いまだ呆然としている少女へと全速で近づき腕を掴む。
「え―――?」
まだ驚いているのか、なんの抵抗もなく腕を掴ませる。
そのまま抱き寄せて、全力で跳んだ。
―――
今まで何の効果も示さなかったアーチャーの矢。
それをどう感じたのか。
「■■■■■■■■■■■■」
黒い巨人はセイバーへの突進を中断し、全力で迫り来る矢を迎撃した。
その瞬間―――
あらゆる音が、失われた。
「――――――!」
少女を地面に組み伏せ、ただ耐えた。
聴覚が麻痺したのだろうか。何も聞こえない。
判るのは体を震わせる大気の振動と、肌を焦がすほどの熱さ。
爆風で弾き飛んできた様々な破片の一部が、ごっ、と重い音をたてて、俺の背中に幾つも突き刺さる。
「っ・・・・・・・・・・・・!」
歯を食いしばってそれに耐える。
白い閃光は、その実一瞬だったのだろう。
体はぎりぎりで致命傷を免れ、その破壊をやり過ごすことができた。
「うそ―――」
俺の下で、少女が呆然とソレを見ていた。
何が起きたのかは判らない。
ただ、アーチャーが放った矢がこの破壊を引き起こしたという事実だけを知っている。
爆心地であったろう地面は抉れ、クレーター状になっている。
それほどの破壊を、アーチャーはたった一本の矢で巻き起こした。
だがしかし―――
「バーサーカー・・・」
ほっ、とする少女の声。
それほどの破壊を以ってしても、あの巨人は健在だった。
火の粉が夜の闇に溶けていく中で、黒い巨人は微動だにせず炎の中に佇んでいた。
カラン・・・
「え・・・・・・?」
硬い音をたてて、おかしな物が転がってきた。
「・・・・・・剣・・・・・・?」
否、それは
・・・・・・たとえそれが剣なのだとしても、
「――――――」
それが、どうしてそこまで気になるのか。
バーサーカーによって叩き折られた矢は、炎に溶けるようにして消えていった。
それが―――
―――ひどく尊いもののように感じられた。
「・・・・・・助けてくれたのは感謝するけど、
・・・・・・少しムッとしたような少女の声が聞こえる。
「あ―――そうか、ごめん」
ぐらぐらする頭のまま、なんとか答える。
・・・・・・頭痛がする。
まるで魔術回路の形成に失敗した時のように背骨が熱くなる。
少女から手を放して、立ち上がろうとした瞬間、みっともなく尻餅をついてしまった。
「お兄ちゃん? どうしたの、気分でも―――お兄ちゃん、その背中・・・・・・!」
切迫した少女の声。
・・・・・・頭痛が強いためか、少女の顔がよく見えない。
「―――無事ですか、シロウ!?」
セイバーの声が聞こえる。どうやらセイバーも無事だったようだ。
セイバーが焦った様子でこちらに近づいてくる。
それに少女は迷った表情を見せ、
「また会おうね、お兄ちゃん」
そう言い残して夜の闇の中へと去っていった。
「衛宮くん、無事!?」
・・・・・・遠坂が駆け寄ってくる。
それに、一応無事だ、と手をあげて答えた。
「どこが無事だというのですか! これだけ大きな負傷をしておいて、よくそんなことが言えますね!」
セイバーの怒った声が聞こえる。それと共に背中に手を当てられ、
「・・・・・・・・・・・・!!?」
背中に激痛が走る。
どうやら背中に刺さった破片を、セイバーが強引に抜いているらしい。
「あ―――っ、この、乱暴、もの―――」
乱れそうになる呼吸を整える。
背中に羽が生えていたとして、その羽を抜かれるとしたら、こんな感じなのかもしれない。
「・・・・・・良かった、鞘の効力は健在なのですね」
胸を撫で下ろしながら、セイバーはおかしな事を言った。
鞘とはなんの事だろうか。
遠坂も疑問に思ったようだが、特には追求せずに話を始める。
「さて、わたし達も行きましょう。幾ら人避けと無音の結界が張られていたとはいえ、その効果ももう続いてないし。そのうち人が来るかもしれないわ。バーサーカーも退いてくれたみたいだしね」
ほら、と長い髪をなびかせ、遠坂は坂道を降りていく。
「――――――」
それを追いかけようと地面を蹴った瞬間。
目の前が、唐突に真っ白になった。
「シロウ・・・・・・!?」
体が崩れ落ちる。それを支えてくれる感触。
それもすぐに消え、あっけなく、ほとんどの機能が落ちてしまった。
―――残ったのは一振りの剣の像。
巨大な破壊を巻き起こしたアーチャーの矢。
それが、最後まで心に残っていた。