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 懐かしい夢を見る。
 まだ自分がただの子供であれた時の夢。
 大好きだったお母様とお父様と一緒だった時の夢。
 自分の身の上など関係なく、ただ毎日が楽しかったあの日。
 もう決して訪れることなどない、終わりを迎えた日常。

 だから、終わりをもたらした人間を憎んだ。
 復讐を望んだ。
 血縁者を全て屠ろうと誓った。
 関係者全てを消し去ろうと誓った。
 千年の妄執など、そのついででしかない。

 でも、その誓いを消してしまおうとする人がいる。
 父親と同じ気配を持つ少年。
 自分より世間を知らなくて、危なっかしい弟のような存在。
 自分を裏切った男の息子なのに、殺そうと考えることができない存在。
 どうして? どうして? どうして?
 わからない。
 でも―――それが、どこか心地よい。

 少女が少女でなくなったあの日から初めて―――白き魔女は少女へと戻った。




 今日もシロウと学び舎へ行き、いつも通り凛とアーチャーと会った。
 やることも、結界がなくなる以前と変わりはない。ただ、あった出来事を話し、情報を交換するだけ。―――イリヤの事は意図的に話してはいないようですが。そんなに凛が怖いのですか、シロウ?
 お互いに新しい情報はない。ライダーのマスターの生死もいまだ不明。昨日、間桐邸へも寄りはしたが、桜も行方を知らないと言う。同じ間桐の姓を持つ者なので、もしやとも思いはしたが、あの兄の身を案じる表情は嘘ではないでしょう。
 お互いに収穫がないことを知ると、凛はひどく難しい顔をした。ライダーが倒れ、結界がなくなったのは行幸だが、自分たちの行動が全くと言っていいほど実っていないのであれば、それも当然かもしれませんね。
 結局、話し合いもそこそこに場を切り上げ、凛たちとは別行動をとることになった。相変わらず成果はないが、やらないよりはマシだとは、凛の弁だ。

 放課後、タイガは職員会議で遅くなり、今日は衛宮邸には来ない事を確認して私たちも巡回を開始した。凛たちとは校門で別れ、新都の方を凛たちが、橋のこちら側を私たちが担当することになった。
「それで、私たちはどうするのですか、シロウ?」
 巡回をすると言っても、どこから回るかによって些か具合が違ってくる。今日はタイガが来ないので家には戻らず、深夜まで歩き続けるのはすでに決まっていた。
「とりあえず、柳桐寺の方から回ってみようと思うんだ」
 キャスターの手によってではあるが、深夜に柳桐寺に行った時には人の気配は感じなかったと、シロウは語る。アサシンがいるから入ることは適わないだろうが、昼間なら深夜とはまた違った事に気づけるかもしれない、との事。
 確かに、山門ごしとはいえ、本来あるはずの人の気配を微塵も感じることはできなかった。キャスターの結界に阻まれていたから、と言ってしまえばそれまでだが、それでも試してみるだけの価値はある。何もしないよりは遥かにましでしょう。
 どうだろう、と視線で確認をとってくるシロウへと頷きで返し、彼の後ろに追従する。
 キャスター。―――前回は英雄王アーチャーによって屠られはしましたが、直接の戦闘は行っていないので、その実力は未知数。なにより、あの宝具は危険だ。アレはあまりにも禍々しすぎる、、、、、、。私の対魔力ならばキャスターの攻撃など効きはしないでしょうが、あの短剣だけは別でしょう。いったいいかなる効力があるのかは知りませんが、アレはあまりにも嫌悪感を抱かせすぎる。
 シロウの後姿を見ながら、来るべき戦いへと思いを馳せる。
 なんにしろ、何かしら進展がないことには動きようがない。すでに私の知る聖杯戦争とは差異が開きすぎている。こうなってしまえば私も次を予測することなどできはしない。
 ふと、教会があるであろう方角へと視線を向ける。
「・・・・・・」
 あそこにシロウの歪みがある。だが、私にはそれを救うことができない。その資格もない。
 聖杯戦争。それがもたらした治しようのない傷跡。
 それは、あの少女、、にも深く残されているのでしょう。
 貴方は、その全てを見てきたのでしょう。―――少女を守護する、誇り高き大英雄よ・・・・・・




 ぼんやりとした意識がゆっくりと覚醒していく。目の前に広がっているのは、すでに見慣れた天井だった。こちらの別荘に来た当初は貧相だと思ったが、慣れてくるとそうでもないと思うようになった。
 体を包んでくれている布団を押し上げ、上半身を外気にさらす。突然触れた冷たい空気に、体がぶるりと震える。・・・・・・寒いのは、嫌い。
「セラ」
「はい、イリヤスフィール様」
 扉の向こうへと声をかけると、すぐに返事が返ってきた。声をかけた時は、必ずセラが扉の前に控えている。最初はそれが当たり前だと思っていたし今もそう思っているが、何故私が起きる時刻が分かるのか、それが不思議と言えば不思議だった。
 入ってくるように促すとゆっくりと扉が開き、着替えを手に持ったセラが入ってきた。いつもと同じメイド服に身を包み、ゆっくりとベッドまで近づいてくる。
 服を受け取ると、セラは扉の横まで下がって行った。別に私が追い払ったわけではないが、その方が着替え易いので特には引き止めたりはしない。
 もそもそと持ってきた服へと着替えていく。屋敷の中はそれなりに暖房が効いているが、それでも全体に行き渡るほどではない。私は寒がりというわけでもないが、寒いのは嫌いだった。だから朝は屋敷の中でも服の上から毛皮を着たりする。
 私が着替えを終えたのを見ると、セラはこちらへと近寄って来る。髪を梳くためだ。私の髪は大好きなお母様譲りの銀だ。娘の私から見ても美しい人だった母と同じ髪は私の自慢だ。だからこそ、髪を梳いている時間を大切にしている。
 セラに髪を梳いてもらいながら、お母様の事を考える。大好きだったお母様。優しくて、でも時々厳しくて、それでもやっぱり大好きだったお母様。そして、お母様の隣にいた・・・・・・
「――――――っ!」
 唇を軽く噛んだ。―――あんな男は知らない。私を、お母様を裏切ったあいつなんて知らない。
 うまく押さえ込んだつもりだったが、少し顔に出てしまったのだろう。セラが怪訝そうな顔をして、髪を梳く手を止めた。
 気にしないように言い、続きを促す。セラはやっぱり怪訝な顔つきをしていたが、彼女はメイドの鏡だ。主人の命に従い、それ以上なにも言わず梳くのを続ける。
 髪を梳くのが終わる頃に、リズが朝食を持ってきてくれた。セラはそれになぜか渋い顔をしたが、私が何も言わないのを見て黙っている。たぶん、リズの持ってきた朝食が、3人分なのがいけなかったんだろうな。
 しかし、そのリズの行動が私にはうれしい。一人で食べるのは慣れてはいたが、一度あの騒がしい食卓を知ると、どうしても味気ないものに思えてしまっていた。
 朝食を摂り終え、セラが次の仕事をするために下がっていく。セラは最近、中庭の花壇をどうにかしようとしているみたいだ。今は貧相な中庭だけれど、セラが整えてくれているならすぐに立派な中庭になるのだろう。
「リズ、貴女も下がっていいわよ」
 リズにもリズの仕事があるだろう。そう思って、リズを下がらせようとする。
「・・・・・・うん、わかった。でも・・・・・・」
「? どうしたの?」
「―――なんでもない。リズ、仕事してくる。何かあったら呼んで」
 どこかおどおどとしてリズが扉の向こうへと去っていく。どうかしたのだろうか?
 まあ、考えても仕方がないだろう。セラはともかく、リズは何かあったらすぐに言ってくるはずだ。彼女は良くも悪くも素直な女性だから。
「今日は何をしようか・・・・・・」
 公園に行ってシロウと会う。
 初めに出てきたその考えを、頭を振って否定した。今日は会いたい気分ではない。あんな夢を見てしまった後では、シロウと会った時にどんな顔をすればいいのか判らない。
 それに今シロウに会うと、何かが決定的に壊れてしまう、、、、、、、、、、。そう、意識の奥深い所が告げていた。
 今日は屋敷で大人しくしておこう。あまり、セラとリズに心配をかけたくもないし。
「・・・・・・ん?」
 ふと、何かの視線を感じた気がして窓の外を振り向いた。そこにはどこまでも続く森が広がっているだけ。何もこちらを見てはいなかった。
「気のせい・・・か」
 そう結論すると、私は屋敷にある執務室へと足を向けた。結界に反応はなかったのだから。

 だから、だろう。どこまでも続く森。その一点に存在する、赤い眼を持ったカラスに気づくことはなかった。




「おお、衛宮ではないか」
 柳桐寺へと続く長い階段の下から観察していたところ、一成が階段から降りてきた。
「俺に何か用事でも? 衛宮の頼みごとなら大抵の事は引き受ける心算ではあるが」
「いや、そういうわけじゃないんだが」
 まさかお前の家を観察していた、なんて言いづらいことこの上ない。・・・・・・ん? お前の家?
 そういえば一成は柳桐寺に住んでいるんだから、キャスターの事とか知っているかもしれない。知らなくても、何か異常があれば感じているかもしれない。―――訊いてみるか。
「そういえば一成。柳桐寺で何か変わった事ってないか?」
「変わった事? これはまた、唐突で漠然とした質問だな」
 そう言いながらも、フムと律儀に考えを巡らせてくれている。持つべきものは良き友人だ。しばらく顎に手を当てて考え、そういえばと前置きをして一成は話し出した。
「しばらく前に宗一郎兄が許婚の女性を連れて来られたのだが、今朝から姿を見かけなくてな。礼儀正しい方で、どこかへ外出するならばいつも一声かけてくださっていたのだが。それが変わった事と言えば変わった事だな」
「宗一郎兄?」
「うむ。葛木先生の事だ」
「―――って、葛木先生もここに住んでるのか?」
「ああ。ずいぶんと前からなのだが、知らなかったか?」
 もちろん知らない。何せ、今初めて知ったのだから。
 一成はこれから買出しがあるらしいのでその場で別れると、俺たちは柳桐寺を後にした。
 一成がくれた葛木先生の情報はある意味では衝撃だった。が、それよりも・・・・・・
「シロウ・・・・・・」
「ああ。多分、キャスターはもうここにはいない」
 一成の話を聞くやいなやセイバーが魔力の流れを確認したところによると、柳桐寺に向かって流れている魔力は感知できなかったらしい。キャスターは根城を移動したと考えていいだろう。
 だが、いったい何故・・・・・・?
「考えても仕方がない・・・か」
 陣地としてこれ以上ないほどの場所をあえて手放したキャスターの意図は掴めない。遠坂ならあるいはわかるかもしれないが、俺程度の知識ではさっぱりだ。ただ、柳桐寺が戦場になることはなくなったので、それだけはよかったと思う。一成を巻き込みたくはない。
「どうしますか、シロウ」
「・・・・・・とりあえず、公園に行こう。それで何もなかったら帰りに何か買って家でご飯でも食べようか」


「いない・・・か」
 公園に、イリヤは来ていなかった。また会うと約束をしたわけでもないが、それでも来ているのではないかと考えていたので少し気落ちする。
 待っていたら来るかもしれないので、少しの間だけ公園で待ってみることにした。備え付けのベンチに腰をかける。

 ・・・・・・来ない・・・か。
 30分ほど待ってもイリヤは来なかった。なら、今日はもう来ないのだろう。見れば、日はずいぶんと傾いており、辺りからは人の気配がなくなっていた。・・・・・・なくなっていた?
「――――――っ!!?」
 セイバーが完全武装の状態で実体化する。不可視の剣を構え、感覚神経を鋭敏化。全力で周囲の警戒にあたる。
 こちらもベンチから立ち上がり、手ごろな長さの棒切れを探す。・・・・・・あった。
 そこらに落ちていた棒切れを手に取り、
「―――同調トレース開始オン
 ・・・・・・よし。うまくいった。
 セイバーと契約してから強化の魔術の成功率は格段に上がっていた。それでも度々失敗するのだが、今回はうまく成功してくれたみたいだ。こんなものではサーヴァントの攻撃を防ぐことは適わないが、それでもないよりはマシである。焼け石に水といったところだが。
 セイバーの横にならんで一緒に辺りを警戒する。少なくとも目に入る範囲内では人はいない。辺り一帯に人払いの結界が張られているのだろう。ということは話し合いで終わるような手合いじゃない。神秘を隠匿するために人目を取り除いたのだから。
「ふふ。ずいぶんと顔色が悪いわよ、坊や」
 ―――!!?
 前の空間が揺らぎ、徐々に人影が実体化していく。
「キャスター・・・・・・」
「久しぶりね。アーチャーにやられた傷はもういいのかしら?」
 自分の優位を確信しているのか、キャスターの口調からは余裕が感じられる。その態度が癇に障ったたのか、セイバーが一歩キャスターの方へと踏み出す。
「キャスター・・・・・・。貴女の方から挑んでくるとは、手間が省けます。貴女はここで仕留めます」
「あら、怖い事を言うのね。可愛らしい顔が台無しよ」
 セイバーの気迫を前にしてもキャスターの余裕は消えない。絶対に勝てると確信している態度。
「でも、貴女の期待には応えられそうもないわね。私は交渉に来ただけよ」
「戯言を。貴女と私との間にその二文字は存在し得ない」
「ふふ、勇ましいわね。でも、貴女のマスターにとってはそうではないかもしれないわよ」
 キャスターが腕を振り上げると、横の空間が歪み、中から一つの人影が現れた。柔らかなコートに身を包まれたその人影は・・・・・・
「イリヤ・・・・・・!!?」
 キャスターの左腕に抱えられ、最強のサーヴァントバーサーカーのマスターは意識を失ってそこにいた。キャスターの右の手がイリヤの首かかり、こちらを嘲るように笑う。
 少しでもしかけようとすれば、キャスターは呪文を呟く。それは俺よりも、セイバーよりも速い。セイバーが突進しよとも、それよりも先にキャスターの指先が灯る。そうすれば、きっと、トマトみたいにイリヤの顔が飛び散る。
「さあ、私の要求は一つよ。坊やたち、私につきなさい。報酬は・・・・・そうね。聖杯、というのはどうかしら?」
「――――――」
 キャスターが何かを言っている。だが、それは耳で聞こえてはいても頭が理解していなかった。
 思考が止まっている。その原因は怒りだった。
 怒りで視界が真っ赤になりそうなぐらい、気が違っている。
 だというのに頭はひどく客観的だった。怒りは限度を超えると冷静になるなんて、今まで知りもしなかった。
「ふふ、本当はセイバーだけが欲しかったのだけど、坊やのあり方は貴重だわ。戯れで調べただけだったのだけど、まさか貴方にあのような過去があるなんて・・・ね」
 撃鉄があがる。客観的なりすぎて冷えきった思考に熱が戻る。
「―――イリヤを放せ」
「・・・・・・話を聞いていなかったのかしら。私に降りなさい、と言ったのよ」
「うるさい。イリヤを放せ」
 それ以外には何もない。
 俺がこいつに渡すものは、何一つだってありはしない。
「――――――」
 ぎり、という音。
 キャスターは忌々しげに歯を鳴らした後、気を静めるように嘆息した。
「・・・・・・解ったわ。交渉は決裂というわけね」
「無論だ、シロウはそのような虚言に惑わせれたりはしない」
「虚言? あら、失礼ね。坊やを気に入ったというのは本当よ。なにせ、坊やと私は境遇が似ているのですもの。不当に自信の幸福を奪われた、、、、、、、、、、、、、というその一点において・・・ね」
「――――――」
 瞬間。
 心が、ギチリと凍り付いた。




「キャスター・・・・・・貴様―――っ」
「あら、怒ったのセイバー。でも事実よ。坊やは聖杯を憎んでいるのでしょう? だからこそ聖杯という万能の器にたいしてそのような態度を取れる」
「――――――」
「知っているわよ、衛宮士郎。前回の戦いは十年前だったんですって? そのときに貴方は全てを失った。原因は知らないけど、それに聖杯が関わっていた事は間違いない」
 怒りで思考がうまく働かない。冷静であろうとする理性を、キャスターの言葉が徐々に削り取っていく。
「そして、ある魔術師に拾われて貴方だけが、、、、、 助かった。ああ、その一点においてだけは幸運だったのかしら? なんにしろ貴方にとって、聖杯は幸福を奪い去った憎むべき敵だった。そんな貴方がこの戦いに参加するなんて皮肉な話ね」
 我慢の限界だった。無遠慮にシロウの傷跡を抉るキャスターの言葉に、はらわたが煮えくり返るほどの激情が湧き上がってくる。際限なく湧き上がってくるそれが、キャスターへ向けて体を突き動かす。
「キャスターーー―――っ!!」
 怒りで視界が真っ赤に染まり、一瞬、イリヤの存在を忘れた。魔力の節約など一切考えずに全力で放出。一瞬でキャスターへと間合いを詰め、一気に滅ぼそうと斬りかかる!
 それは予測していたのだろう。キャスターは空間を渡り、少し離れたところへと現れる。その口を愉快気に歪め、右腕に力を―――
「そう、なら―――」
 体が加速する。イリヤに手を出す隙など与えはしない。魔力を放つ時間すら与えず、瞬時に滅ぼし尽くそうと剣に魔力を乗せて叩きつける!!
 だがそれは・・・・・・
「―――だめだ、止めてくれセイバー・・・・・・!!!!」
 シロウの心からの願い―――令呪の行使によって止められた。
「な―――シロウ、令呪を―――」
 キャスターに敵対する一切の行動が封じられ、その為に動いていた体は急制動をかける。
 そこへ―――とすん、と。雪に足跡をつけるような容易たやすさで、短刀が突き立てられた。
「な―――」
 いつの間に出したのか。それはキャスターの宝具に間違いない。いびつな形状をした、明らかに実戦向けではない儀礼用の短刀。
「キャスター、貴様」
「そう。これが私の宝具よセイバー。なんの殺傷能力もない、儀礼用の鍵にすぎない。けれど―――これはね、あらゆる契約を覆す裏切りの刃。貴女もこれで私と同じ。主を裏切り、その剣を私に預けなさい」
「っ―――!?」
 赤い光が漏れる。禍々しい魔力の奔流。
 それは私の全身を行き渡り、私を律していたあらゆる法式ルール を破壊し尽くし―――私と、シロウとの繋がりを完全に断っていた。




「士郎、無事!?」
「遠坂!?」
 私たちが異常を感じ取り駆けつけたときには、状況はすでにこれ以上ないほどに悪くなっていた。
「はは。あはは、あははははははははは・・・・・・・・・・・・!!」
 キャスターが狂ったように笑い声を上げる。実際、面白くて仕方がないのだろう。自分の策が何もかも予定通りに運ばれたのだから。
 新都のビルからこちらを見てみれば人払いの結界が張られていたのでもしやと思って来たのだが、どうやら物事は悪い方向にばかり進むようにできているらしい。
 セイバーの額には何か、痣のような刻印が浮かび上がっている。傍らに立つキャスターには三つの刻印が浮かんでいた。―――サーヴァントを縛る令呪だ。
 セイバーと衛宮士郎との契約は断たれた。これで、セイバーはキャスターに従わざるを得ない。セイバーはキャスターの命令など従おうとはしないだろうが、令呪には抗うことはできまい。
「キャスターに令呪―――っ!? そんな、いったいどうやって・・・・・・!?」
「驚いたかしら。これが私の宝具、“破戒すべき全ての符ルールーブレイカー”。この世界にかけられたあらゆる魔術を無効化する、裏切りと否定の剣」
「ぁ――――――く」
 地面に伏したセイバーが喘いでいる。まるで、体内に侵入した毒と戦うように。―――事実、戦っているのだろう。キャスターの魔力と、令呪という聖杯からの束縛から。
「アンタ―――サーヴァントのくせに、サーヴァントを―――」
「ええ、使い魔にしたのよお嬢さん。これで計画通り。まあ、本当はそこの坊やも欲しかったのだけれど、そこまで望むのは贅沢というものね。この娘さえ手中に収めてしまえば恐れるものは何もない。―――まったく、あの野蛮人バーサーカーは規格外ね。主を守る理性が残っている狂戦士なんて、非常識にもほどがあるわ」
「な―――に―――?」
 衛宮士郎が呆然と呟く。
「あら、まだ気づいていなかったの? 貴方がセイバーを止めてまで救おうとしたこの娘は偽者だということよ。大した設備もなしに作った人形にしてはよく出来ているでしょう?」
 そう言い、手に持っていたモノに魔力を流す。すると、その少女を模っていたものは霧となって消え去った。
「あ・・・・・・」
「ふふ、なかなか面白い見せ物だったわよ。駄賃として、この場は見逃してあげましょう。けれど―――」
「・・・・・・まあ、そういう流れになるだろうな」
「ええ、戯れはここまで。アーチャー、あの時私を仕留めなかった事を後悔しなさい。セイバー、彼らをこの場で殺しなさい。邪魔になるようだったら、貴女のマスターだった子も殺していいわ」
「ぐっ・・・・・・ふざけるな、誰が貴様などに・・・・・・!」
 跪いたままキャスターを睨むセイバー。今なおキャスターの魔力に抗っているのだろう。自身に備わった最強の対魔力と、騎士としての誇りをもって。
 だがそれも・・・・・・
「いいえ、従うのよセイバー。貴女はもう私のモノ。この令呪がある限り、身も心も私には逆らえない」
 キャスターが令呪を使うまでだった。
 キャスターの右の手にある令呪が淡く光り、刻印が一つ消える。
「あ―――、ぐ―――!」
 セイバーの声はいっそう苦痛を帯びる。
 ・・・・・・だが、その反面。
 セイバーの意思とは別に、彼女の体はゆっくりと起き上がった。
「あ―――は、あ―――!」
 セイバーの体が流れる。その速度は以前と変わりはしない。凛の横に立って身構える私へと突進し、その剣で斬りつけようとなぎ払う。
 それを瞬時に顕現した日本刀“小烏”で受け流し、力のベクトルを外され泳いだ体を右足で蹴って後退させる。彼女のスピードはともかく、剣の技量は格段に下がっている。令呪に全力で抗っている証拠だ。
 だがしかし、蹴り飛ばしたのは失態だ。セイバーが私に剣を振るったことは、想像以上に私に動揺を与えていたらしい。衛宮士郎の近くにセイバーが寄ってしまった。
 セイバーは衛宮士郎に向かってその不可視の剣を振り上げ―――振り下ろす直前でその動きを停止した。
「―――! 馬鹿な、セイバーの対魔力は令呪の縛りにさえ抗うというの・・・・・・!?」
 驚愕するキャスター。
 セイバーは俯いたまま、ただ必死に唇を噛みながら剣を押し留める。
「―――げ、て」
 絞り出される囁き。
 ぽたり、と。俯いた頬から涙を流して、
「―――逃げて、シロウ・・・・・・!!!!」
 血を吐くような懸命さで、セイバーは訴えた。
 セイバーの言うとおり、ひとまずこの場は下がった方がいい。あのキャスターは影でしかあるまい。この場であれを倒したとしても本体は残る。そうなればセイバーによって私が倒されれ、凛も衛宮士郎も生き残れまい。
 だが、それを感情が許容しない。剣士としての誇りをかなぐり捨てて、逃げろという彼女を見捨てたくはない。
「―――! 下がるわよ、アーチャー。士郎、来なさい・・・・・・!」
 しかしその思いを全力でねじ伏せる。この場には凛がいる。彼女を守らなくてはならない。
 セイバーの対魔力なら何日かは持ちこたえるだろう。令呪を使われればそれまでだが、数には限りがある。あっさりと使ったりはするまい。
 凛と衛宮士郎を抱え、全力でその場を離脱する。目指すは遠坂邸だ。あそこならば凛の結界がある。キャスターの追撃も防げよう。
 セイバーの身を案じながら、キャスターに対する敵意を押し隠し、ただひたすら遠坂邸へと急いだ。