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 ―――夢を見る。
 血液が流れるように、繋がった細い回路から、手の届かない記憶を見る。

 男を殺した。
 テロを起こし、多くの人たちを殺そうとしたから。
 女を殺した。
 麻薬を配り、大勢の人を狂わせようとしたから。
 老人を殺した。
 戦争を起こし、たくさんの悲劇を生もうとしたから。
 子供を殺した。
 そうしなければ、より多くの人が死んでいたから。

 殺して、殺して、殺した。
 殺した代償に、より多くの人を救っていった。
 表面上は冷酷に、内面では血の涙を流しながら。
 生前も、そして死後も、それを続けていた。
 いつまでも慣れることのない他者の死。
 それによって救われる多くの人。
 それを仕方ないと割り切ることはできた。必要な犠牲だったと。どうしようもなかったのだと。
 だが、それをしようともせず、彼はただひたすら自らを鍛えた。ただ自分の力が足りなかったからだと。
 誰も死なぬように、誰も傷つかぬように。
 ただ自分の周りにいる人たちだけでも笑顔で居てもらうために。

 こいつがそう願った理由は、ある少女の笑顔だった。
 自分が愛した、たった一人の少女の笑顔。
 別れ際にたった一度だけ見せた、少女の心からの笑顔。
 特に何を約束したわけではない。
 少女もそれを強制したわけでもないだろう。
 ただコイツは、皆が少女のように笑って欲しかったのだ。

 死に際になっても、コイツはたった一つの無念すらなくその生涯を終えた。
 笑顔を守りきれたから、そうあることが自分の望みだったから。
 見知らぬ誰かの為ではなく、ただ自分がそう望んだが故の生き方だったから。
 ただ一つだけ、コイツは死に際になって一つだけ願いが出来てしまった。
 決して自分だけの力では届く事がない奇跡。
 ただひたすらに笑顔を守りつづけた騎士の願い。
 記憶の中の、一番大切な思い出の中の、少女の笑顔をもう一度見たいとコイツは願ったのだ。
 契約した理由は、ただそれだけ。
 死後の隷属と引き換えに、叶うかどうかもわからない願いを求めた。

 ただ笑顔を守るために動き続けた騎士。
 こいつが求めた少女の笑顔。
 それはいったい誰のものだったのだろうか。
 その顔は、朝焼けの光にとけて、はっきりと見る事はできなかった。
 ただ思ったのは、その顔を、私は知っている気がした。

 そこで、私の意識は覚醒した。



 ―――夢・・・か・・・・・・
 明らかに私のものではない夢。
 私自身、知るはずの無い出来事。
 ということは、やっぱりあれはアーチャーの記憶なのだろう。
 サーヴァントとマスターは魔術的な繋がりがあるため、それを通してアーチャーの記憶が流れてきたのだろう。
 他人の記憶を無断で覗いてしまった為、気分はいつになく悪い。たとえそれが、意図したものではないにしても。
「アイツに、あんな過去があったなんて・・・ね」
 それはひどいものだった。
 命がけで助けた相手に殺されかけ、信頼した友に裏切られた。戦争を終結させれば、それを勃発させた張本人として罪に問われた。
 普通なら、それに絶望してもおかしくない。世を、人を見捨ててしまっても仕方がないだろう。
 しかしそれでも、
「・・・・・・どうして、あんなに嬉しそうなのよ・・・・・・」
 そう、アイツは笑顔だったのだ。
 不条理な世に、理不尽な人に、なんら恨み言を言うことなどなく、それに満足したのだ。
 ただ笑顔を守れればそれでいい、そう本気で考えていたのだ。
 不覚にも、涙がこみ上げてきた。別に同情しているわけではない。それはアイツに対する侮辱だ。
 ただ、その綺麗な生き方に感動しただけ。自分には決してできないだろうその生き方に、不覚にもなみだ したのだ。
 そして、アイツをそうした少女の笑顔を思い浮かべる。
 朝焼けに包まれた少女の顔は、はっきりとは見ることはできなかった。
「セイ・・・バー・・・・・・?」
 いや、とかぶりを振る。
 はっきりと見えたわけではないし、なにより知り合いであるならばアーチャーから言ってくるはずだ。
 どこかで見た事がある気もするが、それも確かではない。
 ふう、とため息をつく。
 夢が夢だっただけに寝覚めは悪かった。だが起きないわけにもいかない。
 ベッドから起き上がると、制服を手に取った。

「そういえばアーチャー。貴方、記憶の方は戻ったの?」
 朝食を食べ終え、食後に紅茶を飲みつつ、後片付けをしているアーチャーに問いかけた。
 朝食は食べない主義だというのに、最近では食べないと調子が出なくなってしまった。まったく、人の生活習慣を変えるなんて、なんというサーヴァントだろう。
「む、突然だな。どうかしたのかね?」
「別に、いい加減時間も経つし、そろそろ戻ってもいい頃なんじゃないかなって思っただけ。真名の方もできるなら早めに知っておきたいし」
 アーチャーの力を疑う訳ではないが、それでも真名を知っているのと知らないのとでは戦略の幅が違う。アーチャーをより信頼するためにも必要な問いかけだ。
「―――なるほど、了解した。しかし残念だが、いまだ記憶は完全ではない。だいたいは思い出せているのだが、肝心の真名が都合悪く思い出せん」
「・・・・・・そう、残念ね。長所とか弱点だけでもわからない?」
 それに、いや、と首を振る。
 予想はしていたがやはりため息がこぼれる。 これだけ時間が経っても戻らないとなると、聖杯戦争中は戻る事はないと考えた方がいいかもしれない。
 それにしても・・・・・・
「―――アーチャー。今さらなんだけど、なんか手馴れてるわね」
 本当に今さらだ、アーチャーの家事は。だが疑問に思ってしまったものは仕方がない。今まで疑問に思わなかった方が不思議なのだ。なにせ違和感がまったくない。それが当然であるかのように振舞っているので、それに気付かなかったのだ。
「うむ。実際、慣れてるのでな。生前はよく友人に料理を振舞ったものだ」
 どことなく嬉しそうにアーチャーはそう言った。
 ちょっと頭痛がする。
 まあいい。別に困らないし、むしろ助かってるし。
「片づけが終わったら学校に行くわよ。少し早いけど、別に早くて都合が悪いなんてことないし」
「了解した。それまでゆっくりしていてくれ」


 今日もやる事は昨日と変わらない。
 昼休みには情報交換をして、放課後は結界の邪魔をした後に間桐君を探す。―――その予定だった、、、
「結界が、消えてる・・・・・・」
 そう、消えていたのだ。綺麗さっぱり、跡形もなく。
 結界を解除する方法は大雑把に分けたら2つ。術者が解除するか、他者が破壊するかだ。
 間桐君やライダーが自ら解除するとは思えない。ならば、他の誰かがそれを破壊したのだろう。
「凛、もう一つあるぞ。ライダー、もしくはそのマスターの死、、、、、、だ」
 私の考えを先読みしたようにアーチャーが答える。
 確かにその可能性もある。というより、そちらの方が確率は高いのだ。
 ライダーの張ったと思われる結界は並大抵のものではない。少なくとも、現代の魔術師に解けるようなものではないはずだ。
 キャスターならあるいは可能かもしれないが、それをするメリットもないだろう。
 ならば、
「・・・・・・士郎に伝えないとね」
 間桐君の生存はきわめて絶望的だろう。アレの性格なら自分のサーヴァントと離れるような事をするはずがない。ならば一緒に屠られたと考えて間違いないだろう。
 その結論に、チリッと胸が痛む。
 結界が解けたのは都合がいいし、間桐君の命などはっきり言ってどうでもいい。しかし、その死を悲しむ者がいるのも事実なのだ。出来るならその顔を見たくはなかったが仕方がない。なんにせよ、情報交換は必要なのだ。
 友人の死を悼む士郎の顔を思い浮かべ、少しだけ足が重くなった。



 ライダーのマスターの死の可能性を聞いて、シロウは明らかに悲しみの色を見せていた。シロウならば誰の死でも悲しむのだろうが、友人の死であるなら余計にその悲しみは大きいのでしょう。

 学び舎での生活が終わった後、私たちはまっすぐに帰途へとついていた。結界がなくなった今、一緒に行動するよりは別々に動いて情報を集めた方がいい、という凛の言葉に従ってのことだ。
 途中、シロウが寄りたい所があると言い、一緒にそちらへと向かう事になった。先に帰ってくれていいとシロウは言ったが、いままで先に帰っていたのは凛とアーチャーがシロウと一緒にいたからである。
 そうシロウに言うと、何故か困ったような表情をした。私が一緒だと何か不都合なことでもあるのだろうか。
 シロウが足を止めたので、私もそれに倣う。辿り着いた先は、商店街にある小さな公園。
 そこにある小さな長椅子に腰かけ、軽く天を仰いだ。どこまでも澄んだ青空は、その下で行われている血みどろの戦争など知らないかのよう。
 横で待機している私の方を見ると、シロウはやはり困ったような顔で、誰が来ても驚かないで戦闘をしようとしないでくれ、と頼んできた。どうやら私も知っている人物で、しかも敵対関係にあるらしい。そう考えると思い浮かぶのは一人だけ。それは、
「あ・・・・・・」
 銀の魔女、狂戦士の主人、雪の少女。最強のサーヴァントを従えた、もっとも勝利者に近いマスター。
「よっ、こんにちは、イリヤ」
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
 彼女はシロウに声をかけられてキョトンとした顔をしている。これは心の底から驚いている顔だ。
 昨日、シロウが帰ってきた時に沈んだ顔をしていた事と関係があるのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・」
 イリヤは呆けた顔をして固まっている。彼女のマスターとしての顔をしか知らない者が見れば、どうしたことかと疑うに違いない。
 そうしてしばらく固まっていたが、やがて思考がまとまったのか、可愛らしく頬を膨らませて怒りをあらわにする。
「シロウ!」
「なに?」
「『なに?』じゃないでしょ! もう私に会っちゃ駄目って言ったじゃない!」
 そんな事を言ってたのですか。昨日のシロウの顔の原因はそれですか。
 それにしても、私の知るイリヤの性質とはまたずいぶんと違っていますね。あれほどシロウに懐いていたというのに。
「そうだっけ? でもまあ、こうして会っちゃったもんは仕方ないだろ?」
 とぼけた口調でシロウは言う。
 イリヤが来ると分かっていてここで待っておきながらその言い草。
 見なさいシロウ。イリヤが怒っていますよ。幾らバーサーカーを連れていないといっても、貴方を殺すなど造作も無いのですから。まあ、今は私が牽制になっていますが。
 むぅーっと頬を膨らませてイリヤはシロウに怒りをぶつける。
「仕方なくない! シロウは昨日私が言った事忘れたの!? 私、キリツグを、シロウを殺す為に来たのよ!」
 それは初めて聞きましたよシロウ。自分を殺すと宣言した相手の前に出るとは、一体何を考えているのですか。横目でそう問いかけるが、シロウはそれに気付かなかった。
「忘れてないよ」
「だったらどうして!」
 イリヤは本気で怒っている。
 それは、本人にもよく判らない感情の発露なのでしょう。実際、自分の感情に戸惑っている様子を示している。隠そうと試みているようですが、まだまだ経験が浅いためか、それはうまくいっていない。
 シロウもそれに気付いているのでしょう。微笑みながら、イリヤの顔を正面から見つめている。
「だって、イリヤに会いたかったんだから仕方がないじゃないか。親父を、俺を殺しに来たとか、そんな事はどうでもいいんだ。ただ、イリヤと話がしたい。だからここに来たんだよ」
「――――――っ」
 シロウの、嘘偽りの無い真っ直ぐな視線を受けてイリヤは狼狽する。それは、イリヤには理解できない感情なのでしょう。アインツベルンのマスターとして教育されたであろうイリヤには。
 ちらりと、イリヤが私に視線を向ける。霊体化しているので見えるはずはないのだが、そこは聖杯の器。サーヴァントの存在ぐらい感知できるのだろう。
 それは、事の真意を問いかける視線。シロウのサーヴァントである私に訊ねるのはどうかと思うが、それほど混乱しているのだろう。その視線に、黙って頷いて答える。
 それに納得したのか、私には判断がつかない。だが、イリヤはシロウと話をする事を選んだようだ。
 どこか拗ねた様子で話すイリヤと、それを困った表情で受けるシロウ。それを横で待機しながら見つめる。イリヤはシロウに絶えず怒っていたが、私にはそれが隠しきれない喜びを誤魔化しているように見えた。


 イリヤとの会話は1時間ほどだろうか。それぐらいの時間が経ち、イリヤはアインツベルンの城へと帰っていった。
 イリヤは終始怒っていたが、それでも最後には嬉しさが隠しきれなかったのか、笑顔を僅かにだが見せていた。それをシロウも見つけたのか、やはり嬉しそうに笑って見送った。
 こうして見ると、シロウとイリヤは兄妹のようにしか見えない。あの時もそうだったが、今回は様々な要因が重なってか、その色が濃いように見える。その変化が、どこか心地よい。
 イリヤを見送った後、衛宮邸へと足を向ける。早く帰らねばタイガが私が家にいないことに気付いてしまうでしょう。そのことをシロウもわかっているため、自然と急ぎ足になっている。
 今日の夕食はいったい何が出るのでしょうか。




「ライダーが逝った・・・か」
 深夜、凛が寝静まった後、いつものように屋根に登り、周囲の監視を開始する。
 もはや日常と化している夜の巡回。今夜も色々と巡ったが、当たりどころかその片鱗すらなかった。まあ、私の覚えている限りでは、新都を根城にしているのはランサーだけなので、それも当然と言えたが。なにせ、マスターがアレだからな。
 しかし、ライダーが倒されてしまったのは少しばかり予定が違ったと言うしかない。
 恐らくだが、ライダーを倒したのはランサーだろう。ライダーの対魔力はセイバーには及ばないものの、かなり上位の強度だ。キャスターではあるまい。バーサーカーが相手でも、逃げに徹すれば逃走することは難しいことではないだろう。
 ライダーの敏捷性を上回り、かつライダーに宝具を使わせずに屠る。ランサーしかあるまい。
 だが、アイツが自ら行動を起こしたとは考え難い。そういう存在だからだ。ということは・・・・・・
「アレを隠す為か・・・・・・」
 それならば説明がつく。
 なんにしろ、ライダーが倒れてしまったのは良くない。我が目的を果たす前に、聖杯に英霊を溜める事、、、、、、、、、、は避けなければならない。
 まあ、過ぎたことは仕方が無い。それに、こちらの与り知らぬところでの出来事だ。何をしても無駄だっただろう。次こそを止めればいい。
 聖杯が現れるまで、後幾日もないだろう。その時こそ、我が悲願は達成される。

 暗い夜空に浮かぶ蒼い月。それは、赤い騎士とともに、寝静まった町を見守っていた。