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 救って、救って、救い続けた。
 傷つけられ、裏切られ、ありもしない罪を着せられ。
 それでもなお、あいつは人のために動き続けた。
 笑顔でいて欲しかったから。悲しみで染まった顔を見たくなかったから。
 せめて自分の周りだけでも幸せであってほしい。
 そう願ったのだろう。
 それで自分が傷つくのもいとわずに。

 結局。
 あいつは最後に救ったモノに裏切られて死んでいった。
 硝煙の匂いが漂う剣の丘で。
 朝焼けに包まれるようにその生涯を終えた。
 終えるはずだった。

 “契約しよう”

 世界との契約。
 彼は死に際に何を求めたのか。
 その身と引き換えに世界なんていうものと契約を結んでいた。
 多くの人を救っておきながら、最後まで自分を救わなかった騎士の願い。
 それはいったい誰のための願いだったのか。
 あいつの顔は、これ以上はないほど安らかなものだった。




 朝食を食べ終えて、タイガを学校へと送り出す。
 相変わらず騒がしかったが、それもタイガがタイガである所以なのでしょう。
 それが、とても微笑ましい。
 タイガを送り出した後、シロウが稽古をつけてくれと申し出てきた。体の負傷はもう完治したようです。
 昨夜、アーチャーの剣を私が褒めたからなのでしょうか。シロウはどうもアーチャーに対抗意識のようなものを持っているようですね。
 道場に竹刀と竹刀がぶつかり合う、軽い竹の音が響く。
 下段に構えた得物を逆袈裟に振るう。シロウの一つ上の力量レベルという程度の技量を持って、竹刀と腕の隙間にある胴を狙い打つ。
 素早く引き戻された竹刀によって防がれ、今度は逆に唐竹に竹刀が襲い掛かる。
 それを体を捌く事でかわし、即座に意識を刈り取る一撃を放つ。吸い込まれるように頭頂へと向かう竹刀。
 パンッ・・・・・・!
 それはまたもシロウのもつ竹刀によって防がれた。昨日までのシロウならば先の一撃で戦闘不能になっていた。
 成長している。それも驚くべき早さで。
 その理由は、今シロウがとっている型。
 もともとシロウは体の基礎は出来ている。故に筋の通った型さえ修めれば強くなる資質はあった。
 シロウの成長は素直に嬉しく思う。しかしこれは・・・・・・
「アーチャーの型・・・・・・」
 そう、これはアーチャーと同じ剣筋。
 技量、速さ、力。どれをとってもアーチャーには遠く及ばないが、間違いなくアーチャーの型だった。
「え―――うわ、やっぱり判るのか、そういうの!?」
「当然です。もともとシロウには基本となる型がありませんでしたから。それに筋が一つ通れば、誰が見てもわかります」
 はっきり言って、シロウに剣の才能はない。
 どんなに努力しても精々がただの一流留まり。決して達人、超一流といった到達者にはなれない。
 そしてそれはアーチャーにも言えること。
 アーチャーの剣は確かに完成されたものだった。曇りの無い剣筋からもそれが窺える。
 だがそれでも彼の剣は私には決して及ばない。アサシンにも遠く及ばないだろう。
 彼は弓の英霊だ。剣は使えるだけであって、その到達者ではない。
 彼の剣は彼が努力で培った物なのだろう。凡人と同じ程度の、もしくはそれ以下の才能を、努力と言う血潮で育てた結果。
 その剣は彼だけのものであり、決して他の者が真似できるものではない。努力という執念は、才能だけでは得る事が出来ない彼自身の剣を生み出した。
 ―――故に、これは異常だ。
 シロウの剣はアーチャーの剣とまったく、、、、同じなのだ。
 それに似せる事だけなら私にも出来よう。だがまったく同じ剣筋など、あのアサシンの技量でも不可能に違いない。
 それをシロウは使っているのだ。絶対に真似できるはずもない剣筋を。
 いったいこれはどういうなのでしょうか。
 ・・・・・・いや、考えても仕方がない。シロウの力量が上がった、それで充分でしょう。
 シロウの剣がアーチャーのものであるのは少々気に入りませんが。
「―――っと、もうこんな時間か。これ以上遅れるのはさすがにやばいから、そろそろ学校に行こう」
「・・・・・・! わかりました。では玄関で待っておりますので準備を」
 いつの間にか小一時間ほど時間が経っていた。
 凛にはなんの連絡も入れていないので、心配しているかもしれませんね。



 結論から言えば、凛はシロウの心配などかけらもしていなかった。
 アーチャーから凛が屋上で待つという伝言を受け、昼休みになると同時に移動する。
 屋上へと出ると、凛はずいぶんと肩を怒らせていた。・・・・・・誰がどう見ても怒ってますね。アーチャーからいったい何を聞いたのでしょうか。
 シロウも凛のその様子は想定していなかったのか、かなりびくびくしている。
「―――で、何か弁明はあるかしら?」
「・・・・・・いや。弁明もなにも、どうして遠坂がそこまで怒っているのかがわからないんだけど・・・・・・」
「アーチャーから聞いたわよ。貴方、また無茶をしたでしょう」
 でしょう、と言ってはいるがこれは確認だ。その証拠に疑問符がない。
「無茶ってなんだよ。俺はべつにそんな事やった覚えはないぞ」
「へぇー。キャスターの工房の奥に入り込んでキャスターを倒そうとするのは無茶じゃないと言うつもり? それならそれで貴方の評価を更に下方修正する事になるけど」
 ぐっ、とシロウが言葉に詰まる。
「魔術師にとって工房は研究所であると共に要塞なの。そこでは魔術師は絶対的な優位を保つ事ができる。キャスターほどの存在ならそれこそ魔法の真似事も可能なくらいね。そこで戦うのがどれだけ不利なのか判らないわけでもないでしょう。キャスターを倒そうと考える意気込みは立派よ。でもね、それは確固とした実力が伴わなければただの無謀に成り下がる。それを覚えておきなさい」
 凛の言葉はどこまでも正しい。それはシロウも判っているのでしょう。不満そうにしながらも素直に凛の言葉を聞いている。
 凛は一通り説教をして満足したのか、怒らせた肩を下げて朗らかな笑顔に戻った。
「まあ、貴方の考えは間違いじゃないからそこは褒めてあげる。最後にはアーチャーの指示に従ったみたいだし・・・・・・」
「え? いや、アレは従ったと言うか無理やりと言うか」
「? はっきりしないわね。どうしたのよ」
 ちらりとアーチャーを見る。
 アーチャーはあからさまに顔を逸らし肩をすくめている。私はアーチャーの口元が愉快そうに歪んでいるのを見逃さなかった。
 貴方という人は・・・・・・
「アーチャーを振り切ってキャスターの所に行こうとしたら、アーチャーに行動不能にされて持ち帰られたんだけど・・・・・・」
「―――はあ!? どういうことよ!」
 やはりこうなりましたか。
 凛はアーチャーの方を向きながら怒鳴り声を上げる。人払いと遮音の簡易結界を張っておいてよかったですね、凛。
 凛の剣幕にかけらも動じることなく、アーチャーはつとめて冷静に応える。
「どうもこうもないが。口で言ってもきかなかったので力ずくで従わせたまでだ。コイツがどうなろうと知った事ではないが、セイバーという手札がなくなるのはいただけないのでな」
「それにしたってやりようはあったでしょうが!」
「私には他の方法が思いつかなかっただけだ。それに、コイツの傷はすぐに治癒するからな」
「――――――っ!」
 アーチャーのした事は問題があるが、結果としてシロウは助かっているので凛も言葉に詰まる。
 シロウはそれを少し驚いた顔で見ていた。
「―――その話はここまででいいでしょう。些か手段に問題はあったにしろ、結果的にはシロウは助かっているのです。それよりも凛、本題に移ってもらえますか。まさかそれだけの為に呼び出したわけではないでしょう?」
「そうなのか?」
「当たり前でしょう!」
 シロウの言葉に凛はまたも声を荒げる。この場合は当然でしょうが。
「―――綾子が見つかったわ。今は貧血で病院にいる」
「―――本当か!?」
「嘘を言っても仕方がないでしょう。私が見つけたときは意識がなかったけど、今朝病院に行ったら目を覚ましてたわ。あの分なら来週には復帰できるでしょうね」
「―――そうか、よかった・・・・・・」
 心底ほっとしたように息を吐く。
「綾子を見つけた時にサーヴァントもそこにいたわ。長髪長身の女のサーヴァント、たぶんライダーね。眼帯をしていたから、もしかしたら魔眼持ちかもしれない。そいつは一般人を襲って魔力を蓄えてるみたいなの。アーチャーによるとこの結界もそいつが張ったらしいわ」
「この結界を? 美綴を襲ったサーヴァントが?」
「その通りだ。ライダーとこの結界からは同じにおいがする。濃い血の臭いだ。他のものは誤魔化せても私を誤魔化す事はできん」
 アーチャーの言っている事は正しい。実際これはライダーが張った結界だ。
 私はシロウに呼び出されてライダーと相対した時にそれを知ったが、アーチャーは独自の感覚でそれに気付いたらしい。
 “におい”という表現から察するに、気配か魔力の残滓か。それを見てとったのだろう。
「―――なあ遠坂」
「なに?」
 シロウが深刻な顔をして凛に声をかける。
 その顔を見て、シロウが何を言おうとしているか予想がついた。ライダーのマスターの事だろう。
 昨夜道場でシロウが漏らしていた、知り合いがマスターであったという話。それをここで話すのだ。

 シロウの話を聞き終わると凛は軽く頷いた。どうやら薄々そうだとは思っていたらしい。
「―――なら当座の方針は決まりね。間桐君を早々に見つけて令呪を破棄させましょう」
 凛の言葉にシロウは少しだけ安堵の表情を見せる。
 話を聞いた限りでは、シロウとライダーのマスターは友好関係にあるらしいので、命を奪うのは回避したかったのでしょう。

 話し合いが終わったところでちょうどチャイムが鳴った。授業に遅れるわけにもいかない。
 そう士郎が言うと凛は同意を示し、これからは別々に行動してライダーのマスターを探す事になった。
 屋上を去り、教室へと向かう。
 私の経験した戦争とは、もうすでにかなり違いが出てきている。それがどういう結果をもたらすのか。
 その事を思いながらも、時は変わることなく過ぎていった。




「さて、今日はこれで最後ね」
 放課後、学校を巡って結界の基点に溜まった魔力を押し流す。その作業がようやく終わったのだ。
 作業自体は大した労力ではないが、学校中を歩き回って探したのでそれなりに疲れる。
 時刻は6時を少し回ったところ。日は暮れ、綺麗な夕焼けをグラウンドに魅せている。
 紅く染まったグラウンドを横切って学校を後にする。向かう先は新都だ。
 集めた情報では間桐君は連絡が取れない状態にあるらしい。ならば自宅にいるということはないだろう。
 ライダーは血を吸っていた。魔力を効率よく蓄えるためだろうが、危険な行為には違いない。間桐は堕ちた魔術師の家系だ。とうの昔に魔術回路など朽ちている。どうやってマスターとなったのかは知らないが、魔力供給などできるはずもない。だからこその吸血だろう。
 ぎりっと歯が軋む音がする。昨日の場面を思い出したからだ。
 仕方がなかったとはいえ、ライダーを逃したのは痛手だ。あそこでライダーを倒せていたならば学校の結界も消えていたのだ。綾子を助けるためではあったが、失態は失態だ。
 吸血行為は結界を発動させる為でもあるのだろう。あれが発動さえすれば魔力を大幅に得る事ができるが、発動には一定以上の魔力が必要だ。そして、まだあれは発動されていない。
 それはつまるとこと、ライダーに襲われる人間はこれからも増えるということ。
 報道はされていないが裏では何人かが犠牲になっているだろう。
 冬木の管理者として、魔術師として、なによりも人として許せるものではない。
 士郎にはああ言ったが、最悪腕の一本ぐらいは覚悟してもらおう。


 夜遅くまで新都を巡回したが、結局どのサーヴァントとも出会うことはなかった。
 収穫はゼロ。明日は一から振り出しである。
「ふむ。面倒だな、本拠と思われるところを無差別に破壊できれば楽なのだが」
「なに物騒なこと言ってんのよ。そんなことできるわけないでしょうが」
 アーチャーもいっこうに収穫がないのに苛立っているのか、少々危ない発言が目立ってきた。口調は相変わらず軽かったが。
 時刻は11時を少し回った程度。かれこれ5時間ほどは歩き回ったということになる。
 それだけ歩けば足も疲れてくる。簡単に弱るほど軟弱な鍛え方はしていないが、それでもこれは堪えた。
 深山町へとつづく橋を歩きながら、ふと柳洞寺の方へと目を向ける。
「そういえばアーチャー。貴方どうしてキャスターを倒さなかったの? まさか本当にあんな理由で倒さなかったわけではないでしょう?」
 ずっと考えていた疑問。アーチャーが帰ってきてすぐは色々あって聞けなかった疑問。
 今のいままで忘れていたが、効率の良い行動を好むアーチャーの性質からすればおかしいだろう。
「―――それは、マスターとしての問いかね? それとも君自身のものかな?」
「マスターとしての疑問よ。サーヴァントは倒せる時に倒しておくのが一番よ。それを見逃すなんておかしいじゃない」
 そう、それはおかしいのだ。
 サーヴァントは聖杯を求めている。現界して意思を持ったが故に、生前果たせなかった想いを遂げるために。
 セイバーは例外だったが、アーチャーは違うはずだ。そうそうセイバーのような例外がいるはずもない。
 だからこそ敵のサーヴァントは排除したがるはず。例え私がそう指示していなくても・・・だ。
「なに、ようは効率の問題だ。我々はキャスターは容易く倒す事ができるがバーサーカーには苦戦を強いられる。相性の問題だな。キャスターとバーサーカーの相性はすこぶる良好だ。格の違いはあるが、それでもバーサーカーを疲弊させるぐらいはできよう。ならばキャスターとバーサーカーをぶつけて漁夫の利をさらう方が効率がいい。それだけだ」
 簡単なことだと肩をすくめて―そういう気配だった―アーチャーは答えた。
 なるほどと頷く。確かにセイバーの対魔力ならばキャスターは苦も無く倒せるだろう。魔術が謳歌していた時代の戦場を駆け抜けてきた騎士なのだ。並大抵の魔術では足止めにもなるまい。
 アーチャーの説明は十分納得のできるものだった。どこもおかしいところはないだろう。
 だがしかし―――何故か違和感のようなものを感じた。
「―――凛? どうかしたのかね」
「・・・・・・いえ、なんでもないわ。早く家に帰りましょう」
 いつの間にか立ち止まってしまったらしい。
 悪い癖だ。考え込むと、他が一切入らなくなる。
 軽く頭を振って再び歩き出す。
 暗い夜空では、蒼い月が冬木の町を静かに見下ろしていた。



「はっはっはっ――――――!!」
 がむしゃらに走った。
 恥も外聞もなく、ただひたすらに逃げていた。
 畜生、畜生、畜生―――!
 なんで自分が逃げなければならない。
 魔術師である自分が、なんであんなヤツから逃げなければならない。
 おかしいじゃないか。僕は魔術師だぞ。そこらにいる有象無象より遥かに上にいる存在なんだ。
 それがなんでこうも無様な姿を晒さなければならない。
 それもこれも全部アイツのせいだ。
 アイツが弱いから僕が逃げるハメになるんだ。
 僕のサーヴァントなら、あんなヤツ余裕で殺してしかるべきだろうに。
 それなのにあんな無様にやられやがって。
「役立たずめ―――!」
「能無しが言う台詞じゃあねえな、それは」
 ―――!?
 背後から聞こえてきた声に咄嗟に振り向こうとする。
 体ごと動かそうとしたそれは、だが決して動こうとはしなかった。
「ごふっ―――」
 下を見れば紅い棒が体から生えていた。
 わけがわからない。どうしてこんなものが僕の体から生えている。
 それにこの痛みはなんだ。どうしてこんなにも体が痛いんだ。
 どうして地面が僕に近づいてくるんだ。
「ライダーのヤツも不憫だな。こんなクズがマスターじゃあ満足に力も振るえなかっただろうに」
 クズだと?
 僕は魔術師だぞ。そこいらにいる庶民どもとは違うんだ。
 ライダーが弱いのはライダー自身のせいだ。
 それなのにマスターである僕を守る事もできずに勝手に死にやがって。
「―――興の乗らない仕事だったが、まあいい。その心臓、俺が貰い受けた。悔いるなら自身の愚かさを悔いるがいい」
 何を言ってやがる。
 まるで僕が死ぬみたいな事を言いやがって。
 僕は魔術師だぞ。その僕が死ぬわけがないじゃないか。
 聞いているのか? 僕は――――