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『セイバーの事は私がなんとかしてあげる。だから衛宮君はここに居なさい。ここなら私の結界があるから教会よりも安全でしょう。絶対に外に出ては駄目よ』
テーブルの上に置いてあった手紙にはそう書かれていた。
時刻は午前8時過ぎ。この時間では今から学校に行ったとしても間に合いはしないだろう。
藤ねえに電話をし、学校には出られないことを伝える。
家にも居なかったことをひどく心配されたが、大丈夫だと言っておいた。
受話器を戻し居間へと戻る。
テーブルにあるのは遠坂から俺へと宛てられた手紙が一つ。
それは遠坂の書いた手紙の裏にひっそりと書かれていた。
『土蔵へ行け』
この一言だけ。それは遠坂には知らされていないに違いない。
遠坂は家から出るなと書いているにもかかわらず、アーチャーはあえて家を出て土蔵に行けと書いているのだから。
それに、一人思案する。
アーチャーの事は気に入らない。べつにアーチャー個人が俺に対して何かをしたという訳でもないし、別段気に障るような事をした訳でもない。
なのに気に入らない。好きになれない。
だが、信用はしていた。その実力も。人柄も。
どのみち、自分にはここで待つという選択肢はない。
何もせずに、後悔だけが増えていくなんてごめんだ。
「悪い、遠坂」
自分の身を案じ、セイバーまで助けようとしてくれている友人に詫びる。
闇雲にキャスターや遠坂を探しても見つかりはしないだろう。見つけたとしても自分の力不足は身に染みている。
土蔵に何があるかは知らないが、アーチャーがその事を考えていないはずはない。
赤い騎士の手紙の理由を考えながら、衛宮士郎は自宅の土蔵へと向かった。
生徒の通学時間帯は過ぎていたからか、とりあえずは知り合いに遭うことも無く家に着いた。出来る限り大通りは通らないようにしたのでそれもあるだろう。
門を開け、敷居の中に入ると一先ず自室へと向かう。
制服姿では何かと都合が悪い。運動には不向きな材質なのでこれからの事に支障が出るかもしれない。
さっと動きやすい服に着替え、足早に土蔵へと向かう。
その扉の
その原因となったランサーを少し恨みながら、この戦いが終わったら直そうと決意する。
土蔵の中に入り、ゆっくりと辺りを見渡す。
中央には修理途中のストーブが置かれており、その周囲にはガラクタが山となって置かれている。
大方は自分が拾ってきたり貰ってきたりした、まだ直せそうな機器なのだが、それ以外にも藤ねえが持ってきたガラクタの類まである。
いつもと変わらないように見える土蔵。
だがここに何かがあるはずだ。その何かを探すために動き出す。
―――その何かはすぐに見つかった。
見覚えの無い小箱が、直しかけのストーブの後ろに置いてあった。
それを手に取りフタを開ける。
中には一通の手紙と・・・・・・フラスコ?
細く短い棒状のフラスコに、なにやら赤い液体が入っている。フラスコの表面とフタには何か記号のようなものが刻まれている。
これは何だろうといぶかしみながら手紙を読み始める。
そこに書かれている字は、遠坂邸で見たアーチャーの字体と同じもの。それにはこう書かれていた。
『己の命を引き換えにしてでも救いたいものがいるのであれば、守りたいものがいるのであれば取れ。己の理想を貫き通したいのならばこれを飲め。ただし、生き残れるかは貴様しだいだ』
どうやらこの赤い液体はドーピングの類らしい。
確かに戦闘能力を手っ取り早く上げるにはそれが一番だろう。
今の俺に役に立つことは間違いない。
しかし・・・・・・
「結局、遠坂の居場所はわからず仕舞い・・・か」
これだけがあっても、キャスターの根城も分からない。よしんば分かったとしても自分一人ではどうしようもないだろう。
遠坂と合流できればいいのだが、アーチャーもさすがに今どこにいるかまでは書いていない。
・・・・・・どのみち合流できたとしても無理やり家に閉じ込められそうだが。
「でも、ここにいてもしょうがないよな」
ここで待っていても何の進展もないのも確かだ。
闇雲に歩き回ってもあまり意味はないだろうが、それでもやらないよりはマシだろう。
魔力の通りが良さそうな木刀を選び出し、それを布で包んで肩に背負う。
土蔵の外は、季節感を惑わせる強い日差しが差し込んでいた。
◇
夜明けと共に、石室は輪郭を顕にした。
天井から差し込む光が地下の闇を薄めていく。
「っ―――は―――ぁ―――」
地下聖堂。
冬木の教会に隠された、暗い闇を背負う聖堂。
天井から差し込む光がその闇を薄めていく。
入り口という入り口、窓という窓には封が施されているが、そんなもので陽の侵入は防げまい。
「ん―――っ、ぁ―――」
日の光は無遠慮に秘密を露わにする。
隠された聖堂は容易く発見され、やはり同じ程度の容易さで、その主を失った。
この聖堂の本来の持ち主は、侵入者によって倒された。
聖杯戦争の監督者はキャスターの手にかかって退場したのだ。
「く・・・・・・ぁ、は・・・・・・・・・・・・っ―――」
その戦いも、既に半日以上も前の話である。
地下は静寂を取り戻し、新たな主となった彼女はその闇の中で佇んでいる。
口元を苛立たせたまま、キャスターは闇を睨む。
この聖堂をキャスターは不快に感じていた。
隠された聖域も、この聖域が隠す更なる聖域も趣味に合わない。
自分がしていた事を縮小したものではあったが、やはり自分がするのと他人がしたのを見るのとでは感じ方が違うようだ。
だがそんなことよりも、最も重要な目的が未だ果たせていないとはどういう事か。
彼女は事の不出来さに呆れ、いっそ
幸い、その凶行じゃ取り止められた。
それはキャスターにとっても、近隣の住民にとってもよかった事だろう。
冷静さを取り戻したからではない。教会に対する敬意の念などからでもない。
「ふ―――っ、は・・・・・・ぁ」
彼女が感情を抑えたのは、偏にこの音があるからだ。
定期的に漏れる、囁くような
苦しげに漏れる女の声は、彼女にとって天上の楽曲に等しい。
それが今しばらく、この享楽を続けさせているだけだった。
そうでもなければ、とうの昔にここは焦土化してしただろう。
「んっ―――! ぁ、はあ、あ、っ・・・・・・!」
苦痛に呻く声は、紛れもなく少女のものだ。
艶を含んだ吐息は熱く、口元から漏れる声はあまりにも弱々しい。
ぽたり、と少女の額から零れる汗。
恥辱に耐える可憐な唇を眺めるだけで、この冷たい部屋の温度が上がる気がする。
「―――大したものねセイバー。令呪の縛りを一晩中拒み続けるなんて、私たちでは考えられないわ」
愉しげに語りかける。
「っ―――ん、ぁ―――」
聖堂の奥。
磔にされた少女は、ただ吐息を漏らすだけ。
キャスターの言葉に反応する余裕などありはしない。
令呪によって、体の内側から服従を訴える力が加わっているのだ。
それに加えて視覚化されるほどの
幾らセイバーの対魔力が桁外れだとしても、内と外、両面からのある責めには耐えられはしなかった。
幾ら対魔力が強力であろうとも、それを超える魔力の縛めには抗う事ができない。
「っ―――あ、ああ、んっ・・・・・・!」
セイバーの理性はとうに溶かされている。
彼女がいまだ苦しんでいるのは、最後に残った誇りが彼女を保たせているからだ。
令呪の縛めもキャスターの魔術も、その根底だけは奪えない。
故に責め苦は永遠に続く。
騎士の誇りが地に堕ちるまで。
「・・・・・・ふふ、健気なこと。いくら貴女の意思が拒み続けても、サーヴァントとして作られたその体は別よ。令呪が少しずつ侵食しているのが判るでしょう? 貴女はあと一日も経たずに私のモノとなる。なら、もう降参して素直になった方が楽じゃなくて?」
「っ―――く、んっ・・・・・・!」
苦しげに抗う声。
理性が溶かされたとはいえ、セイバーはキャスターに屈しない。
主を裏切る事など、その誇りが許しはしない。
「―――そうまであの坊やに義理立てする必要もないと思わなくて? あの坊やが冷静に場を判断できていたら貴女もこうなりはしなかったのに。本当に、不出来なマスターを持つとたい・・・・・・!!?」
ばっ、とセイバーからキャスターが離れる。
セイバーの視線はキャスターへと向けられていた。
その目に宿るのは、恐ろしいまでの怒り。
理性をとうに溶かされたはずのセイバー。にもかかわらず、主を侮辱された怒りがそれを呼び戻した。
恐るべきはセイバーの意志力。
最良のサーヴァントの称号は見掛け倒しではないということだ。
拘束された状態であるにもかかわらず、キャスターを飛びのかせるほどの殺気を放つのだから。
キャスターもこれには冷や汗をかいた。
セイバーが縛りに抗えない事を頭でわかってはいても、本能的に後退してしまった。
それに気付き、キャスターは薄く口元を歪める。
・・・・・・令呪を使えば一瞬でセイバーは隷属する。
だが、それでは面白くない。
拘束された状態で自分を後退させるその意志力。
それを壊したい。踏みにじりたい。
その思いが令呪の行使をさせなかった。
処女でないのが些か残念ではあったが、それでもその容姿はキャスターの好みに合っている。
セイバーを卑しき性奴にする。
それを夢想してキャスターは口元を歪めた。
◇
―――夢を見た。
何度となく見たあの夢。
赤い騎士の物語を。
彼は少女との約束を守りたかっただけなのだろう。
その為に、アイツは人の笑顔を守り続けた。
周りの人、自分の身内だけでも笑顔であり続けるように。
だが、心は磨耗した。
どんなに身内の笑顔を守ろうとも、その笑顔の中には少女の姿がないのだから。
それに、周りの人間は気付かなかった。
アイツがそれを表に出さなかったのもあるのだろう。
それに誰も気付くことはなかったのだ。
そうしてアイツは一人で心を磨耗していく。
ただ少女との約束を守るために。ただ自分から一方的にしただけの約束でも、それが彼の全てだったから。
だがそれに歯止めがかかった。
誰もが赤い騎士の磨耗に気付かなかったのに、たった一人だけ気付いた存在がいたのだ。
―――■■■、泣きたい時は泣いてもいいんだよ。
―――一人で辛かったよね。私が一緒に居てあげる。
―――だって私は、お姉ちゃんなんだから。
銀色の髪をした優しき少女。
誰よりも雪が似合うその少女に、彼の心は救われた。
ただ約束を守るだけのアイツが、心から笑顔を守りたいと思った、その始まり―――
「凛。どうした、立ち眩みか」
「え―――?」
不意に声をかけられ、遠坂凛は目を覚ました。
・・・・・・ゆっくりと周囲を見渡す。
ここは外人墓地。
キャスターの居場所を探し回り、ようやく見つけだした居場所が、この墓地を管理している教会だった。
「・・・・・・ごめん、寝てた。少し疲れてるみたい」
「無理もない、昨夜から不眠だったからな。まったく、アレに気を利かせて夜のうちから町を歩き回るからそうなるのだ。少しは自分の体を労わってやれ」
「ありがと。でもそんな時間はないわ。セイバーがいつまで耐えれるかわからない以上、決着は早くつけるべきよ」
そう断言して、私は自分の体が温かい事に気付いた。
アーチャーがかけてくれたのだろう。自らの外套で冷気から守ってくれていた。
その心遣いに素直に感謝する。
これから決戦だというのに、風邪など引いてしまっては目も当てられない。
アーチャーの外套を払って立ち上がる。
無言で背後を守るアーチャー。
そこへ、
「ねえアーチャー。貴方・・・・・・」
何故あの娘を知っているの?
そう続けようとしてやめた。
訊けば話してはくれるだろうが、アーチャーが自ら言わないという事は隠しておきたいことだからだ。
人が嫌がるのに無理に訊きだすのは私の性分じゃない。
「? どうかしたのかね、凛」
「・・・・・・いえ、なんでもないわ。そろそろ行きましょう。今夜決着をつけるわ」
◇
「――――――はあ」
溜息をついて標識に寄りかかる。
日が沈むまで探し回って、判った事は自分がいかに役立たずかというコトだけだ。
「・・・・・・あいつ、何処に行ってるんだ、ほんと」
朝からずっと探し回っているというのにちっとも見つかる気配がしない。
手がかりなんて何一つなく、あてもなく探しているだけだから当たり前と言えば当たり前かもしれないが。
「―――そうだ、手がかり」
あった。
聖杯戦争の監督役。丘の上の教会にいる神父なら遠坂の居場所を知っているのではないか。
特に根拠はない。
だが、あの神父ならという何か確信めいたものがあった。
正直なところ気乗りはしない。
あの神父は好きではない。苦手と言ってもいい。
アイツは根本的に近寄ってはならない不穏さがある。
出来れば頼りたくは無いが、他に手がかりなどないのだ。選り好みしている場合でもない。
「・・・・・・一度だけだ。それなら問題ないだろう」
正直に言えば、この教会も苦手だ。
最近になるまで近寄りもしなかった。
十年前の火事。
孤児になった子供たちを預かっていた教会は、十年前を否応無しに思い出させるからだろう。
だが今は、それとは別の理由で近づきたくは無かった。
「結界!?」
体が近づくのを拒んでいる。
意識しないと入ることなどできはしないだろう。
ただの人払いの結界なのだろうが、それでもレベルが違う。
よほど強く意識しなければ教会を見ることも叶わないかもしれない。
それほどのものだった。
教会の扉を開けると床に血が付着していた。
この量だと致命傷だろう。
それは奥から外の方へと出ているように思えた。
その血の跡を追って奥へと入っていく。
「地下・・・・・・」
階段があった。
血の痕がなければ気が付かずに通り過ぎていたかもしれない。
それくらい目立たず、見つけにくいところにそれはあった。
少し思案したが、結局奥へと入っていく。
暗い闇を降りていく。
・・・・・・階段の先にはかすかな明かり。
ほどなくして狭い通路は終わり、開けた空間に出た。
そこは、広い石室だった。
階段は壁づたいに聖堂まで伸びている。
下に見える広場にはキャスターと遠坂、アーチャーが対峙している。
セイバーは・・・・・・
「――――――っ!!!?」
突然強烈な殺気を感じて息を飲む。
殺気の元を探すために、感じた方向へと視線を向ける。
そこには―――今まで敵意というものを見せた事がなかったアーチャーが。誰よりも冷静に全てを見通していたアーチャーが。初めて見せる敵意と殺意を、キャスターへと向けていた。