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 ゴクリと、口の中の液体を嚥下する音がする。
 試験管のふた を開けるだけの力など残っていなかったのだろう。士郎は口まで持っていったその液体を、入っていた試験管ごと噛み砕いて飲んだ。
 硝子片が口内を傷つけただろうし、もしかしたら喉に破片が突き刺さっているかもしれない。だがそれらよりもはるかにやばい問題があった。
 試験管から感じた魔力の気配からして間違いない。あれはアーチャーの血だ。私が自分のサーヴァントアーチャー の気配を間違えるはずがない。本来ならアーチャーが消滅した時点で霧散してしまっているはずだが、同質の魔力に覆われていたからだろう。だからこそ消失を免れた。士郎はそれを飲んだのだ。
 ―――サーヴァントの血など、人間にとっては劇薬に他ならない。例え同じ存在、未来の自分自身だとしてもその扱いは変わらない。いや、むしろ自分自身であるが故に、それがどんな影響を与えるか見当もつかない。
「・・・・・・フン。雑種が何をしようと無駄な足掻きでしかないのがまだ分からんか」
「ギルガメッシュ、貴様ァ・・・・・・っ!」
 セイバーがギルガメシュに斬りかかる。不可視の剣が金色のサーヴァントを両断しようと、見えざる軌跡を描いて進む。武装を取り出すのが間に合わなかったのか、英雄王は舌打ちしながら自らの鎧でそれを受けた。幾度も弧を描いて放たれる剣戟を、英雄王は腕まで覆われた鎧でそのことごとくを防ぐ。
「そう怒るなセイバー。今のはオレ の所為というわけでもあるまい? それに、貴様のマスターはそこの出来損ないではなく、その横の雑種であろう? 贋作[にせもの]が一つ壊れたところで何を怒る?」
「ハァ―――ッ!」
 かつてバーサーカーと戦ったときの比ではない雷鳴のごとき連撃。有り余る魔力を剣に載せ、セイバーの剣が英雄王へと奔る。防ぐたびに火花が散り、黄金の鎧が軋みをあげるが、それでも異常なほどの頑強さを誇って必殺の一撃を凌いでいる。
「・・・・・・フン、聞く耳持たずか。しかし、相変わらず底なしの魔力よな。オレ の鎧が軋みをあげるなど、そうありえる事ではないのだが―――」
 セイバーの剣戟が速度を増す。腕が動いたことによって空いた隙間から、英雄王の頭部を両断するために不可視の剣が奔る。
「戯れはここまでだ。その肢体、ここで我に捧げるがいい」
 だがそれも防がれる。空間から取り出され、英雄王によって振るわれた剣が、セイバーの一撃を苦もなく弾き返した。
「くっ・・・・・・!」
 セイバーが大きく間合いを空けた。そしてそれに合わせたかのように、無数の剣弾が先ほどまでセイバーがいた場所へと突き刺さる。追撃はない。英雄王は背後に武装を出したまま、それを撃ち出すことをしなかった。
オレ がどのような英霊か、勝ち目がいかに無いかを知った上でなお抗うか」
 それが面白いのか、英雄王は楽しげな笑みを浮かべる。
「それでこそセイバーよ。手に入れる甲斐があるというもの。お前がオレ に屈服する様は、さぞ愉快なものとなるであろうな」
「笑止。私は決して貴様になど屈したりはしない」
「その虚言、どこまで張れるか見物だな。せいぜい―――!?」
「おぉぉおぉオオォォォォォォォオオォォォッ!!!!!」
「!?」
 広間全体に響くような咆哮。それが英雄王の言葉をさえぎり、私たちの耳朶を打った。魂そのものから出したかのようなその叫び声に、私やセイバー、英雄王さえも一斉にその声の主の方に視線を向けた。
 その先には馬鹿でかい剣を下ろした士郎と、
「■■■■■■■■■■■■■■――――――!!!!!!!!!!」
 呪縛から解き放たれた、最強のサーヴァントが君臨していた。





 飲み込んだ薬は鉄の味がした。それが自分の口内の血なのか、それとも薬と思っていたものが血だったのか。遠坂が何か叫んでいたが聞こえない。感覚がほとんど死んでいるのだろう。
 それでも俺はなんとか立ち上がろうとする。イリヤを守らなくてはならない。彼女に泣いてほしくないから。ずっと笑顔で居てほしいと思ったから。
「シロウ?」
 ポン、とイリヤの頭に手を乗せる。体は限界まで壊れ、魔術回路も焼ききれる寸前。薬の効果も未知数。多少は回復した魔力も投影が一回できるかどうか。
「は・・・・・・ぁ・・・・・・」
 何を投影すればいい? いったいどんな幻想があのサーヴァントを打倒し得る? あらゆる宝具の原型を持つアレに打ち勝つにはどうすればいい?
 ぼろぼろの魔術回路になけなしの魔力を流し込み、最後の投影をするための準備を行う。
 あのサーヴァントに勝つには同等の武装が必要だ。アレはあくまでも持ち手でしかなく、その担い手ではないのだから。故に、同じ武装なら絶対に負けない。だが、そんなものはこの場に存在しない―――存在しない?
「ハ・・・・・・」
 ―――何を言う。この身はただそれだけの存在のはずだ。ただそれだけしか許されない身のはずだ。この場に今存在しないのなら、この身から引っ張り出せばいいだけの話。
「―――投影トレース
 だが致命的なまでに魔力が足りない。投影がただの一度しか許されない程度の魔力。自己精製は言うに及ばず、他から補うこともまかり通らない。
 一度・・・・・・たった一度だけの投影で英雄王を打倒しなければならない。
 ―――いや、それは過程であって目的ではない。英雄王の打倒は目的のための手段の一つでしかない。目的を取り違えるな。身の程を知れ。己の限界をわきまえろ。お前程度の投影では英雄王を打倒できない。
 ならばどうする? 考えろ。お前が為すべき事は英雄王を倒す事ではなく、イリヤを守ることに他ならない。手段を選ぶな。お前の投影ちから では守り通すことなどできはしない。彼女を守り通す事のできるものは一人しかいない。
「―――開始オン
 掌中に剣を具現化する。己が目的を為すための、過程を経るための剣を。求めるは絶対的な破壊力。一撃で目標を破砕する、己の知る最大の剣。
 失敗するはずがない。手本は目の前に存在する。作りは単純、それゆえの破壊力。
 手にするは大英雄の斧剣。ただの一撃で目標を破壊する、圧倒的な暴力を秘めたバーサーカーの武装。
 幻想しろ。それを扱う己の姿を。担い手の技を、知識を、経験を再現しろ。お前にそれは扱えない。なればこそ、担い手の全てをその怪力ごと模倣しろ。
「―――I am the 体は■■ of■で ■■■■■■■■いる .」
 血が逆流する。壊れた体が軋み、魔術回路が悲鳴を上げる。構うか。後はこれを振り下ろすだけ最強の武器を最強の太刀筋を持って振り下ろすだけ後は知らない体を剣が突き破って知ったことか体が内側から黙れ爆ぜる黙れ体はイリヤを守る■で出来て守・・・・・・・・・・・・!!
「おぉぉおぉオオォォォォォォォオオォォォッ!!!!!」
 胴体を拘束する鎖を断ち切り、首を締め上げる呪縛を砕き、武器を封じている戒めを破壊する―――!
「■■■・・・・・・」
 俺に出来るのはそこまで。それ以上は高望みに過ぎる。だが―――
「■■■■■■■■■■■■■■――――――!!!!!!!!!!」
 ―――それで十分だ。





 黒い暴風が広間の中央で荒れ狂う。そこに君臨する金色のサーヴァントを破壊するために、剣に貫かれた黒い巨人が斧剣を振るう。
「チィ―――ッ!」
 無数の流星が巨人を穿とうと空を奔る。
「ハァ―――ッ!」
 暴風に紛れた雷鳴が流星を打ち落とす。
「■■■■■―――!!!!!」
 粉塵を巻き起こし、振るわれた斧剣が金の輝きを襲う。
 破壊の一撃を更なる流星が逸らし、バーサーカーを屠らんと突き進む。雷鳴が打ち落としきれなかった物をその身で受け止め、巨人はなおも前進する。
「――――――っ!」
 英雄王が跳び退いた瞬間、打ち下ろされた斧剣が床を破砕し土煙を上げる。
「おのれ、調子に―――」
 噴煙を突っ切り、英雄王を強襲する暴風と雷鳴。
「乗るなというのだ、下郎―――!」
 それを迎撃せんと、一遍の隙間もない流星が弾幕となって降り注ぐ。バーサーカーの斧剣で薙ぎ払うには範囲が広く、セイバーの剣で叩き落すには余りにも数が多い。それが、金色のサーヴァントの背後から際限なく現れ、撃ち出される。
「■■■■―――!!!」
「くっ・・・・・・!」
 さしものバーサーカーとセイバーも足を止め、回避と迎撃に追撃を中止せざるを得ない。易々と暴風の範囲から抜け出した英雄王は、
「―――起きろ、エア」
 ひどく異質な“剣”を、背後の門から引き出した。
「――――――!」
 セイバーが緊張したのが分かる。理性のないバーサーカーでさえ、その剣の異質さに立ち止まる。円柱のような剣。三つのパーツで作られた刃を持ったそれは、さながら削岩機のようであった。
「死なぬ程度に加減はしてやる。が、背後の雑種どもは諦めるがいい。犬畜生ごと、オレの剣で消してやる―――!」
 英雄王の剣が風を巻き込み、暴風を作り上げる。圧倒的すぎる暴力ちからの塊。宝具の発動を止めるには、セイバーもバーサーカーも距離が遠すぎる。
 セイバーが剣の風を払い、旋風を巻き起こしながら聖剣を解放する。宝具には宝具で対抗するしかない。だがセイバーのエクスカリバーではエアに届かない事はセイバー自身が保障している。セイバーだけの力では拮抗することすら許されないのだ。ならば―――その足りない力を補うのがマスターの役割だ。
「セイバー、宝具を最大威力で撃ちなさい!」
 残り二つの令呪。その一つをセイバーの補助に使う。
 令呪に応え、セイバーが宝具に魔力を溜める。魔力が臨界まで到達するまで僅か数秒。相手はまだ宝具に魔力を溜めきっていない。
「“約束されたエクス―――”」
 セイバーの聖剣が輝きを増す。令呪に後押しされ、本来の威力以上の力を秘めた極光が広間全体を照らし上げる。
「“勝利の剣カリバー―――!!!”」
 文字通りの光の線が一直線に英雄王へと奔る。触れる物を例外なく切断する光の刃。倒れた柱、捲れ上がった岩盤、一切を両断しながら突き進む極大の極光―――!!
 それを。

「“天地乖離すエヌマ開闢の星エリシュ―――”」

 まったく同位の光がエクスカリバーの一閃を受け止めた。
 その、凄まじいまでの衝突―――!
 暴風が吹き荒れ衝撃が瓦礫を吹き飛ばし、かろうじて建っていた柱をへし折り、階段を崩壊させる。瓦礫に埋もれて死ぬなんて洒落にもならない。士郎の傷を塞いで少なくなった残りの宝石を使い、自分たちを覆う簡易的な結界を作り上げる。
 衝突はどれほど続くのか。このままでは決着が着くより先に城が崩壊するのではないか、と危惧するほど拮抗した両者の奔流。だがそれもほどなく終わりを告げた。
 極光の後に残ったのは破壊しつくされた広間と、互いの必殺の一撃を相殺したギルガメッシュとセイバー。そして。
「■■■■■――――――!!」
「がっ―――!?」
 英雄王の腕を叩き潰したバーサーカーだった。
 乖離剣が床へ落ちる。必殺の一撃は確かに英雄王の腕を叩き潰したがそこまで。セイバーの一撃に容易く耐える桁違いに頑丈なあの鎧は、バーサーカーの一撃すら防ぎ得たのだ。
 今度こそ黄金の騎士を叩き潰さんと、バーサーカーは再度斧剣を振るう。
「チィ―――!」
 ギルガメッシュが離脱する。
 それをバーサーカーは追撃するも、撃ち出された剣弾でその場に縫い止められる。
「貴様らァ・・・・・・!」
 殺意。
 目に見える物、その全てを殺さねば気が済まぬという殺気をギルガメッシュが放つ。
 令呪の増幅に自身の慢心が加わり、必殺のはずの一撃を完全に相殺され、畜生と侮った狂戦士に腕を潰される。あのサーヴァントにとってこれ以上の屈辱はあるまい。
「――――――」
 そしてその殺意を目に宿したまま、黄金の騎士は無言でこの場から立ち去った。