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 日が昇り、春の柔らかな日差しが麻帆良の街を包み込む。
 桜は花咲き、街に住んでいる猫や犬などの動物たちもその柔らかな日差しを求め、住処にしている己の根城から日の当たる場所へと移動し始めていた。
 柔らかく暖かい光が眠気を誘う。
 春眠暁を覚えずとはよく言ったもの。
 誰も彼もが眠そうな顔をして、あるいは寝そべり、あるいは座り込み、また快適な昼寝スポットを求めて歩いていた。
 しかし、
「おっはよーネギ君!」
「おーっす!」
「おはようございます、風香さん、椎名さん」
 それは麻帆良と言う街のほんの一角にすぎなかった。
 駅から麻帆良学園へと続く大通り。
 朝のホームルームに遅刻すまいと駆け足で走っていく学生たちが大勢いるこの時間。
 それは―まあ多少贔屓目に見たとしても―騒がしいものだった。
 その騒がしい大通り。
 中心から右側に少しだけそれた所をネギたちは走っていた。
「それにしても昨日は大変だったわねー」
「せやなー。まさかネギ君が犯人やったとは思いもよらんかったなー」
「えうっ!? ぼ、僕じゃないですよー!」
「あはは、冗談やってネギ君」
 そこにはいつも通りの光景。
 ネギと明日菜、木乃香のお決まりのやりとりが行われていた。
 木乃香には細かい事情は説明していない。
 ただ、吸血鬼事件の犯人をネギが追いかけて逃がしてしまったという、事実を少し隠した話をしているだけ。
 勿論詳しい話を木乃香は求めたが、大した事はないとネギと明日菜が話すのを拒んだのだ。
 普通なら疎外感を感じたり、怪しんで詳しい話を訊こうとするものだが、そこは明日菜と付き合いが長い木乃香。
 親友が話さないのなら本当に大した事ではない、そう考えたのだろう。
 特に追求はされなかった。
「今日のお弁当は力作やでー」
 ・・・・・・もしかしたら能天気なだけなのかもしれない。
 だが、その木乃香の性質は決して人を不快にさせるようなものではなかった。
 木乃香の笑顔を見るたびに明日菜は“日常”と言うものを実感するのだ。
 木乃香の幸せそうな笑顔を見て、明日菜は自身でも知らぬうちに微笑えんだ。

「おはようございます」
「あ。ネギ君、アスナー」
「おはよーネギ君」
「まき絵さん、もう大丈夫なんですか?」
「もうばっちり!」
「あれだけ食べれれば平気でしょ」
「うん・・・・・・。まき絵、あれは少し食べすぎだと思う」
「そんなことないってアキラ」
 どうやらまき絵は完全に体調が回復したらしい。
 それを見てネギはほっと一息をつく。
 吸血鬼に血を吸われたのだから何かあるのでは、と少し考えていたのだがその兆候は見られない。
 そこではっと気付く。
「あれ? エヴァンジェリンさんは?」
 教室を見渡し、エヴァの席である場所に視線を向けたところで違和感を感じた。
 いつもならもう席に座って、つまらなさそうに教室を眺めているはずなのだが・・・・・・
「―――マスターは学校には来ています。すなわちサボタージュです」
「あ、茶々丸さん。おはようございます。―――サボタージュ・・・ですか?」
「はい。この時間なら屋上で睡眠をとっているはずですが・・・・・・」
「はあ」
「・・・・・・お呼びしますか先生?」
「うーん。来たくもないのに無理に連れてくるのはどうかと思いますし。気が向いたら来るように、後で伝えておいてもらえますか?」
「はい、了解しました。そうマスターに伝えておきます」
「お願いします、茶々丸さん」
 ネギと茶々丸の間にはいつも通りの空気が流れている。
 それに、明日菜は不思議に思う。
 昨夜、あんな事があった後だから何かあるのでは、と思っていただけにその気持ちは強かった。
「昨日の事は昨日の事です。あの時は吸血鬼と魔法使いの立場でしたけど、今は生徒と教師の立場ですから。公私を混同して生徒を邪険になんてできませんよ」
「・・・・・・なんかえらく立派な事言うわね、ネギのクセに。―――でも、茶々丸さんたちがネギの血を狙ってる事には違いがないんでしょ?」
 さりげなくひどい事を言いながら明日菜が問う。
 幸いな事にネギはそれに気付かず、明日菜の疑問に自信満々で答えた。
「ああ、それなら大丈夫ですよ。吸血鬼っていうのは太陽の光が弱点なんです」
「―――今まで普通に朝っぱらから学校に来ていたんだけど・・・・・・」
「あぅっ。―――そんなジト目で見ないでくださいよぅ・・・・・・。僕だって文献で見ただけの事なんで実際のところは知らないんですから」
「・・・・・・使えないわね」
「あぅぅぅぅぅぅ・・・・・・」
 いや、なんとも微笑ましい。
 時々大人びて見える事があるが、こういうところは歳相応に子供っぽい。
 魔法使いとしてはまだまだ未熟なネギであった。

 ネギは悩んでいた。
 とにかく悩んでいた。
 授業中も悩んでいた。
 どれくらい悩んでいたのかと言うと、
「―――はぁ・・・・・・」
 うっかり溜息を零してしまうくらい悩んでいた。
 別に自分が吸血鬼に狙われていると言う事に、ではない。
 呪いを解く、と言う言葉通りなら命までは取るつもりはないのだろう。
 だからあまりその辺りの事は心配していなかった。
 ネギが悩んでいるのはそれとはまた別の理由である。
 昨夜の追跡劇。
 自分のクラスの生徒が吸血鬼であり、その生徒が吸血鬼事件なるものを引き起こしている。
 それを確認し、犯人が誰かわかったまではよかったのだ。
 だが、そこまでだった。
 結局は思わぬ伏兵の存在により敗北し、危機一髪のところで己の使い魔と一般人でしかない明日菜によって助けられたのだ。
 それのなんと情けない事か。
 最近、少しは自分も成長したと思っていただけに衝撃は大きかった。
 魔法使いの従者ミニステル・マギ
 それを今ほど切望した事はなかっただろう。
 あの時、自分にも相棒パートナーさえいれば勝てたかもしれなかったのだ。
 それだけに悔やまれる。
 自分が相棒さえ見つけていればと。
「セ、センセー。読み終わりました」
「はい。ご苦労様です、和泉さん」
 そんなネギの事を明日菜はちょっと心配しながら見ていた。
 さっきと様子が違うのを見せられれば尚更その変化が気になる。
 だが、クラスの大多数の生徒は違った。
 ネギの溜息をつく姿を見てうっかりときめいていたりする者が数名。
 そしてそれを煽り立てるものさらに数名。
 事態をややこしくしようと画策するもの大多数。
 そんなクラスの雰囲気を悟れなかったのだろう。
「えーと、あの・・・・・・・。つかぬ事をお伺いしますが、和泉さんはパートナーを選ぶとして、10歳の年下の男の子なんて嫌ですよねー・・・・・・」
 うっかりそんな事を言ってしまった。
「なっ・・・・・・」
「ええっ!?」
「あ、違・・・・・・!?」
 ネギは自分の失言を悟ったが後の祭り。
 慌てて訂正しようとするものの、ネギのそんな声などエキサイトした3−Aには届きはしなかった。
「ネギ先生! 私は超オーケーですわ!」
「だから違・・・・・・っ」
「ウチのクラスの5分の4くらいは彼氏いないから、20人くらいの優しいお姉さんからよりどりみどりだねぇー」
「だから違うって・・・・・・!」
「お妃様になったら美味しいもの食べ放題!?」
「何の話ですかーーーっ!!?」


 その日の昼。
 ネギの悩みの種であるエヴァは屋上にて昼寝をしていた。
 その寝顔はひどく幸せそうなものである。
 太陽の光がやはり苦手なのだろう。
 体を日陰によせて、己の腕を枕としてぐっすりと惰眠をむさぼっていた。
 昨夜の事を思えばこんなところで無防備に寝たりはしないのだろう。
 実際、彼女とてなんの警戒もなく寝たりはしない。
 周囲には簡易的とはいえ結界を張っているし、もし襲われたとしても逃走経路も幾つか確保している。
 彼女の従者からの報告によればネギは表と裏の区別のつく人間であるらしい。
 だからネギに関してはさして警戒していないかった。
 彼女が警戒しているのはその仲間である。
 昨夜、彼女がネギに牙を突き立てるその時。
 はるか遠方から―少なくとも肉眼では視認できないほど―の弓矢による狙撃を成し遂げた存在。
 それはネギのように甘い存在ではないかもしれないのだ。
 学園長から彼女がどんな立場にいるか説明がされていれば話は別なのだが、甘い期待は抱かない方がいいだろう。
「ふぇ・・・・・・」
 欠伸をする。

 ―――まあ。
 あの時に殺すつもりなら殺せたのだから、エヴァを殺すつもりはないのだろうが。
「む・・・・・・?」
 彼女の思考に一つの違和感が発生した。
 それは侵入者の知らせ。
 学園に魔力を帯びた何者かが侵入したことの警報だ。
「・・・・・・メンドウクサイ」
 警備員としてはそれの対処をしなくてはなるまい。
 まったく、厄介な呪いである。
 反応が微弱な物であるからそう大した存在ではないのだろうが。
 だが、侵入者は侵入者だ。
 形だけでも調査をしなければ呪いによってどんな辱めを受けることやら。
「――――――」
 どうやら思い出してしまったようだ。
 彼女の顔は真っ赤に染まっている。
 いったい何を呪いにされたと言うのだろうか。
 それは彼女だけの秘密である。


 同時刻、女子寮一階管理人室。
 エミヤもエヴァ同様に侵入者を感知した。
 昼食も終わり、これからどうしようかと考えていた矢先の反応である。
 特にやる事もないし、なにより警備員を任じられている身としては調べないわけにもいかない。
 よって、エミヤは春の日差しに眠気を誘われながらも結界が反応した場所まで足を運んだのだ。
「おや?」
「む?」
 現場に来てみるとそこにはすでに先客が居た。
 昨夜の吸血鬼事件の犯人のようだ。
 エミヤは彼女の事を知っているが、彼女はエミヤの事を知らない。
 学園長は彼とネギとの関連を否定し、タカミチもただの友人と言って憚らなかったからだ。
「なんだ貴様は」
「ただの通りすがりの寮長だが・・・・・・。君こそ学校はどうしたのかね?」
「私がどこへ居ようと勝手だろうが」
「まあ確かに」
「ふん・・・・・・」
 どうにも会話が要領を得ない。
 エヴァはエミヤの事を知らないが、ネギと同時期に来た彼の事を警戒していた。
 同じ時期にあからさまに目立つ風貌の男が寮長として赴任してきたのだ。
 これでは警戒してくれと言っているようなものだろう。
 実際エミヤからは僅かに魔力が漏れている為、成熟した魔法使いなら彼が裏の世界に身を置いていることは判る。
 エヴァはその成熟した魔法使いに含まれていた。
 エヴァはエミヤを睨みつけると早足で学園へと戻っていった。
 それをエミヤはどことなく困ったような表情で見送る。
「どうしたものかな・・・・・・」
 完全に姿が見えなくなったところで言葉を漏らす。
 だがそれもつかの間。
 しばらくして結界の反応を調べようとして屈みこみ、その反応した辺りの茂みを調べ出した。
 痕跡はすぐに見つかった。
「これは・・・・・・」
 いつか感じた事のある魔力の残り香。
 それを感じたエミヤの脳裏に浮かんだ言葉は“何故”と言う一言だった。
 勘違いであると思いたい。
 だが魔力の反応はそれを否定している。

 ガササササッ―――!!!

 周囲に潜んで午後の昼寝を楽しんでいたのだろう。
 多種多様の動物たちが突然沸いて出た異質な空気に押し出されるように逃げ出した。
 ここにいてはいけない。
 ここにいたら死んでしまう。
 できるだけ遠くへ。
 とにかく遠くへ。
 この気配が感じなくなるまで。
「――――――ク」
 気配の中心に居るのはエミヤだ。
 無表情に立ち上がり、静かに笑い声を漏らす。
 どうしてアレがここに居るかはわからない。
 だが見つけた以上―――絶対に逃がさない。
 エミヤはその場を後にする。
 これ以上ここに居ても無駄だと言わんばかりに。


 エミヤが見ていた茂みには、白い体毛が残っていた。
 小さな小動物のものであるような毛。
 そう、まるでオコジョのような・・・・・・
「ン? 何か妹に秘蔵の本を見られたときのような気配が・・・・・・」