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 エミヤが刹那を連れて帰ってきた時はずいぶんと驚かれた。
 なにしろ、刹那はクラスの面々とあまり交流がない。
 別に疎外されているわけでも、特に関係が悪いわけでもない。
 彼女たちとて、別に意識して交流を断っているわけではないのだ。
 ただ、刹那が一歩退いた立ち位置を保っているだけ。
 クラスに完璧には溶け込まず、常に客観的な立場でいようとしているだけ。
 だから、あまりクラスメイトたちと馴染めないでいた。
 そんな刹那がエミヤと一緒に帰ってきたのだ。
 驚くのも当然と言えた。
「あれ? 桜咲さんじゃん。なに? 桜咲さんもエミヤさんのご飯食べに来たの?」
「エミヤさんのご飯、美味しいからなー」
「うん・・・・・・いらっしゃい。桜咲」
「焼肉の準備手伝ってー」
 だが、それもつかの間。
 あっという間に刹那を歓迎すると、早々と刹那を交えて夕食の準備をしだした。
 もうすでに気の知った友達という感じである。
 この辺りは3−A独特の空気であろう。
 例え今まで親しいとは言えない間柄であっても、きっかけがあれば積極的に友達になろうとする。
 その気質は現代では貴重なモノであるに違いない。
 エミヤには刹那がクラスに馴染んでいない事など知る由もない。
 だが、そういう気質を養ってきた麻帆良という学び舎を、そういう学び舎を作ってきた教師たちに深い感銘を受けていた。
 彼女たちの纏う空気は、とても柔らかいのだ。
 この少女たちが大人になり、子供たちを導いてやれる歳になる。
 エミヤはそれが非常に楽しみでならなかった。

「あーっ! それ私のお肉ーーっ!!」
 6人くらいは不自由なく座れそうな食卓。
「へっへーん。食卓は戦場、油断したまき絵が悪いよ」
 その真ん中に置かれている、これまた大きな鉄板。
「たくさんあるんやから、そんなに慌てなくても・・・・・・」
 飛び交う箸。
「病み上がりなんだからゆっくり食べな、まき絵」
 瞬きする間になくなっていく食材。
「・・・・・・・・・・・・」
“どうして自分はこんなところに居るんだろう。”
 その光景を見て、刹那は心の底からそう思った。

“やはりついてくるのではなく、あの場で問いただすべきだった”
 刹那は己の行動を悔いていた。
 目の前の焼肉。
 これはまあいい。食事に誘われたと言う事は食べるものがあると言う事なのだから。
 それを囲むクラスメイトたち。
 これもまあいい。事前にその旨は伝えられていたのだから、それを承知で来たのは自分だ。
 だが・・・・・・
「ほら、追加だぞ。まだまだあるから遠慮なくどんどん食べてくれ」
「なんで貴方はそんな格好をしてるんですか!?」
 ビシィッ!
 そんな音が聞こえてきそうな勢いで力いっぱい指を差した。
「む・・・・・・? 食事を作る際にはこの格好をするのが普通だと思うのだが」
 指を差した先に居たのはエミヤだ。
 下は・・・・・・先ほどとまあ変わりない。
 黒い色をした、自分の動きの妨げにならない実用的なズボンだ。
 問題なのはその上だ。
 そう。上なのだ。
「だからって、そのエプロンはないでしょう!?」

 エプロン。
 衣服の汚れを防ぐため、胸からひざ、または腰から下を覆う洋風の前掛け。(form:大辞泉)

 エミヤがしていたのはエプロンだ。
 それはまあ別になんら問題はない。
 調理をするからにはエプロンをするのが普通だ。
 だからエミヤがエプロンをしている事そのものは別に大した問題ではない。
 問題となっているのは・・・・・・
「どうしてピンクの花柄模様なんですか!?」
 ピンク。
 絵の具と赤と白を混ぜ合わせたあの色。
 まさしくそれはピンクだった。
 しかも花柄。
 可愛らしい。
 実に可愛らしい。
 そのエプロンを着ているのが、例えば隣に座っているまき絵だったならば、どんなに似合っていた事だろう。
 だが、悲しいかな。
 それを着ているのは―まあ、あまり華とか可憐とか言う言葉には縁がなさそうな―男だった。
 問答無用に、完全無欠に男だった。
 エミヤは誰がなんと言おうと、生物学的にも外観的にも男だった。
 そして勿論、心の中も男だった。
 似合ってない。
 ええ似合ってませんとも。
 違和感ここに極まれり。

 ―――普通ならば。

「しかもなんか妙に似合ってるし!? なんでそれが似合ってしまうんですか!!?」
「そう言われても・・・・・・」
 だがここに常識を凌駕してしまったヤツが居た。
 違和感がないのだ。
 そう、ないのだ。まったくと言ってよいほどに。
 それは何故か。
 エミヤは所帯地味すぎていたのだ。
 もはや身に纏う空気が専業主夫のそれなのだ。
 まさに現代に現れたブラウニー。
 そんな彼に、どのような柄であろうともエプロンが似合わないはずがなかった。
「まあまあ桜咲さん。そう言う細かい事は気にしない気にしない。いいじゃん、似合ってるんだし」
「せやせや。いつものことやし」
「そんなことより肉が焼けたよ。焦げる前に食べよう」
「いっただきー!」
「あ、まき絵ずるいよ」
「そんなに慌てへんでも・・・・・・」
「・・・・・・そうですか。それが、ここでは普通なんですね・・・・・・」
 諦める。
 アキラだけは少しだけ刹那に同情の視線を向けていたが、それも本当に少しの間。
 すぐに目の前の焼肉に箸を伸ばし、まき絵たちに負けぬよう食べ始めた。
 刹那も焼肉を勢い良く平らげていくクラスメイトにならい、焼肉をタレにつけて食べ始める。
 そして、一口目を口に入れて目を見開く。
「美味しい・・・・・・」
 タレの甘辛い味が、とても肉に合っている。
 濃すぎず、薄すぎず、肉本来の味を引き立てるように作られたタレ。
 市販の物ではあるまい。
 となると自家製ということだが・・・・・・
「ああ、それは私が作ったタレだ。昔、友人に教わったものでね。タレの寝かせ方が秘訣なんだが・・・・・・」
 やはり。
 刹那はあまりにも家庭的すぎるエミヤに疑惑の視線を向ける。
 およそ人間に扱える魔力を超えてそうな力を振るったと思えば、エプロンが似合い、料理を作り、タレさえも自家製のものを用立てる。
 一体何者なのだろうか。
 その辺りをしっかりと問いただそうと思ったが、刹那は回りに一般人であるクラスメイトがいることを思い出した。
 少なくとも、彼女たちが自分の部屋に帰るまでは聞くことはできないだろう。
 その後で聞いても遅くはない。
 刹那はそう考えると、再び焼肉に手を伸ばし出した。
 ・・・・・・美味しい。


 刹那の思惑は見事に外れることになった。
「どしたの? 桜咲さん?」
「あ、もしやマイ枕じゃないと寝られないとか?」
「それやったら取ってきたらええやん。ウチら、待っとるで?」
「いえ、そんな事はないのですが・・・・・・」
 あの後、食事後の幸福感に包まれた雰囲気に流され、5人で大浴場へと行ったのだ。
 そして、やはりそのままの雰囲気で一緒にゆったりと風呂に浸かり、肌やら髪やらの手入れの方法など、女の子らしい会話をして楽しんだ。
 正直、それは刹那にとっては新鮮なものだった。
 友達がいない、と言うわけではない。
 ただ、そう言う話とは縁がない生活をしているだけ。
 それを不幸に思ったりした事はないし、なにより自分で望んだ事なのだ。別に彼女たちを羨んでいるわけでもない。
 ただ、その女の子らしい会話に、自分も混ざれるという事実が嬉しかった。それだけの事。
 浴場での会話で、まき絵たちがエミヤの部屋に泊まると言った。勿論、刹那も一緒にだ。
 彼女たちはもとよりそのつもりでいたらしい。仲間はずれにされなかったのは素直に嬉しかったが、それとこれとは話が別である。
 別に、男性の部屋に女子が泊まるなど不謹慎などと言う事は言わない。
 いや、それはそれで問題のある行為だとは思うのだが、人数が人数だし、エミヤも寮長と言う立場にいる人間だ。問題になるような事はすまい。
 何度か泊まった事があるかのように振舞っているし。
 問題は別にあるのだ。
 つまり、エミヤに正体を問う機会が失われると言う事。
 幾らなんでも一般人である彼女たちの前で裏の話をするのはよろしくない。
 別に後日聞けばいいとは思うのだが、ここまで来たからには今日中に聞いておきたいという気持ちが強い。
 どうしたものかと考えていると、あっという間に布団は敷き終わっていた。
 後はもう寝るだけ、そういう態勢である。
 実際、まき絵などはまだ貧血気味のためか、早々に布団に転がり眠そうに目をトロンとさせていた。
 その姿に、つい頬が緩む。
 それはアキラたちも同じなのだろう。
  軽く微笑むと、まき絵に掛け布団をかけてやる。
 するとまき絵はすぐに寝息を立て始めた。
 昼間にあれだけ寝たと言うのに、まだまだ体は睡眠を必要としているようだ。
「まあ、いいか・・・・・・」
 その幸せそうな笑顔を見ていたら、刹那は自分にも軽い眠気がやってきたのを自覚した。
 この状態でエミヤを問い詰めたところで頭は冷静な処理は下せないだろう。
 アキラたちが布団に入るのを見てから、部屋の明かりを消す。
 隣の部屋ではエミヤがソファーで眠っている。
 正直なところ、男性と同じ部屋で寝るのには抵抗があったが、まき絵たちが気にしていないのならば自分だけ気にするのもおかしな話だろうと考え、ゆっくりと目蓋を下ろしていく。
 一瞬、遠くの方で感じた魔力の事が頭を横切ったが、それも闇の中へと沈んでいった。


 慣れない布団で寝たせいか、はたまた警戒心が深い眠りをもたらさなかったのか。
 刹那はいつもより随分と早い時間に目が覚めた。
 どこか、体が妙に重たい。
 日頃の修練の賜物か、刹那の意識は目覚めと共にしっかりと覚醒していた。
 布団の中からあまり体を動かさずに辺りを見回す。
 部屋の中はまだまだ真っ暗だ。
 カーテンの隙間から薄暗い朝の日差しとも言えないような光が差し込んできているだけ。
 これではカーテンを開けたとしても部屋の中を照らす効果などないだろう。
 刹那はゆっくりと視線を自分の体へと移していった。
 ・・・・・・何故か体が重たく感じられる。
 普段から鍛えているため、慣れない布団で寝たくらいで寝違えたりはしないはずなのだが。
 原因を探ろうにも、体の感覚だけではどこが悪いのかよく判らなかった。
 腹部を中心に重い感じがするのは判断できるのだが・・・・・・。
 視線を下ろすとそこには、なにやら不自然に盛り上がった掛け布団が乗っていた。
 ちょうど、人の頭と同じくらいの大きさである。
 隣を見ると横にいたはずのまき絵の姿が見えない。
 まさか・・・・・・
 ゆっくりと布団を上げていく。
「やはりですか・・・・・・」
 そこにはまき絵の頭があった。
 それが刹那の腹部に乗っていたのである。
 道理で重く感じたわけだ。
 刹那は原因を究明できた満足感よりも、まき絵の無防備な寝顔に苦笑する。
 まき絵を起こさぬように慎重に頭を枕へと戻すと、刹那は布団から出た。
 自分の荷物を手に取ると、まだ眠っているアキラたちを起こさないように居間へと移動する。
 居間ではエミヤが眠っているはずだったが、その姿を見つけることはできなかった。
 “まさか逃げられた!?”
 そう思い込んだ刹那は寝巻きから着替えることなく外へと飛び出した。
 手には愛刀である夕凪を携え、己の持てる感覚網を最大に広げてエミヤを探す。
「え・・・・・・?」
 意外な事にそれはすぐに見つかった。
 というよりも、すぐ目の前にいるのだ。
 目と鼻の先。
 エミヤは玄関を出た数メートル先で木刀を片手に佇んでいた。
 一体何をしているのか。
 刹那のその疑問はすぐに解ける事となった。

 エミヤが動く。
 自然体から流れるように斬撃が放たれる。
 剣を振るった勢いをそのままに回し蹴り。
 回転の勢いを上げながらの裏拳。
 救い上げるように放たれる木刀。
 頂点に達する前に止まり、そのまま雷光のように打ち下ろされる。
 刹那にはそれが一つの舞のように感じられた。
 完成された武術は一つの芸術だと言う。
 エミヤの剣舞はまさしくそれだった。
 それは完成された、剣士としての一つの極致だった。
「――――――」
 ―――いや、剣士として、ではない。
 剣士は己の剣、ただそれだけを極めて者の事だからだ。
 あれは一人の戦闘者。
 己の肉体、己の技術、己の知恵。
 自分という存在を、余すことなく全て使う事によって初めて到達しうる戦闘技能の極致。
 一人の人間が最強たりえようとした末に行き着いた、戦闘論理の究極の一。
 それが、刹那の前に存在していた。

 エミヤの動きが止まった。
 ずいぶんと長い間眺めていたような気がする。
 だが、実際にはせいぜい15分程度だろう。
 刹那にはそれが1時間にも2時間にも感じられていた。
 エミヤは軽く息をつくと、くるりと刹那の方へと体を向けた。
「―――おはよう、刹那くん。ずいぶんと早い起床だな。ちゃんと眠れたかね?」
 最初から気付いていたのだろう。
 特に驚きもせずにそう気軽に声をかけた。
 刹那はそれにおはようございます、と返事を返すと
「―――貴方は何者ですか・・・・・・?」
 結局、昨夜は聞く事が出来なかった事を訊いた。
 辺りはまだ薄暗く、肌寒い。
 日の昇り具合からして午前の5時前というところだろう。
 生徒たちが起きだしてくる時間にはまだだいぶ余裕がある。
 エミヤはフム、と頷くと木刀を壁に立掛けた。
「君の知るとおりただの女子寮の管理人だが、まあそれでは納得がいかないだろうな」
 当たり前だ。
 ただの寮長があんな芸当ができるはずもない。
 目の前で見せた剣舞しかり、昨夜の魔力の集束しかりだ。
 じっと、エミヤの言葉の続きを促す。
「そうだな・・・・・・。ではこう答えようか。私は―――マスター、ネギ・スプリングフィールドのサーヴァント―使い魔―だ」
「――――――っ!!?」
 使い魔だと!?
 刹那は信じられない言葉に驚愕する。
 使い魔とは魔法使いの手となり足となる、もう一つの魔法使いの従者だ。
 人間以外のものと契約を結び、魔力と言う対価を払うことでそれは成立する。
 それは大抵が知能の低い動物だったりするが、稀に高位の精霊と契約を結ぶ者もいる。
 だが、あれほどの魔力を扱う事の出来る存在と契約を結ぶなど人間にできる事ではない。
 人間に扱える魔力の量をはるかに超えているのだ。
 いったいどうすれば10歳にすぎない子供に契約を結ぶ事ができるというのか!?
「信じられない、と言う顔だな。だが事実だ。その証拠に私はここに現界し、こうして君と話をしている」
「・・・・・・貴方は、人間ではないのですか・・・・・・?」
「人間だよ。昔は・・・な。もうすでに肉体を失ってから何百年と経過しているがね」
 肉体を失った?
 過去は人間だった?
 エミヤの言葉を心中で反芻する。
 その言葉をよく考える。
 昔は人間であったが、今は人間ではない。
 肉体を失ったのは遥か昔の出来事。
 契約により現世に現界しているという言葉。
 ・・・・・・まさか
「英・・・・・・霊・・・・・・?」
「そう呼ばれる存在ではある。いささか特殊な成り立ちはしているがね」
 英霊。
 生前偉大な功績を上げた英雄が死後信仰の対象となり、精霊に近い存在となったもの。
 信仰の薄い者は守護者として分類され、人の世の滅亡を水面下で防いでると言う。
 人類の守護精霊であり、最高位の『人を守る力』。究極の抑止の守護者カウンターガーディアン
 それが、刹那の知る英霊と言う存在だった。
 嘘、であると思いたい。
 だが昨夜の出来事がそれを肯定していた。
 刹那はその事実にただ思考を停止させ、呆然とすることしかできなかった。