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 おかしい。
 先ほどからの魔法による攻防でネギはそう感じていた。
 エヴァは先ほどから魔法を使うときにわざわざ魔法薬の触媒を使っている。
 確かに魔法薬を使えば多少なりとも威力は上がり、魔力の節約にもなるだろうが・・・・・・
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル・風精召喚エウオカーティオ・ウァルキュリアールム! 剣を執る戦友コントゥベルナーリア・グラディアーリア!!」
 思考を一時中断し、ネギはエヴァを捕まえる為に魔法の力を行使する。
 魔法学校を主席で卒業したとはいえ、その詠唱速度は既に一流の魔法使いと比べて遜色はない。
 ネギの意思に応え風の精霊は形をとる。
 それはネギの形を模した8人の剣士だった。
 風の中位精霊による術者の複製。
精霊召喚サモン・エレメンタルか・・・・・・」
対象アゲ捕縛カピアント!!」

 8人のネギが中空を疾走する。
 ネギの呼びかけに応え、8人の剣士はエヴァを拘束せんと動き出す。
 その様子に、エヴァは魔法薬を取り出しながら舌打ちする。
 ・・・・・・思ったより場慣れしている。
 状況判断能力が高い。
 まるで、こういう事態を幾度も経験した事があるかのように。
 8人の剣士は各位が不規則ランダムな動きをし、バラバラのタイミングでエヴァを捕らえようと動いている。
 決してまとまった行動はせず、魔法の対象を分散するようにと。
 それはありえないはずの話だった。
 幾らヤツ、、 の息子とはいえ、まだ少年は10歳なのだ。
 魔法学校も卒業したばかりだという。
 軽くネギの周囲は調べさせてもらったが、これといった事件というものにも遭遇していない。
 実戦を積むなど不可能なはずだ。
「ちぃっ―――!」
 だが、この状況はそれを否定している。
 事情は知らないが、ある程度実戦というものを知っているのだろう。
 ならばそれはそういうものだと考えて行動するしかない。
 ニィッと唇を歪ませる。
 幸い、今のところエヴァの脚本通りに事は運んでいる。
 そんなエヴァの思惑など知る由もないネギは、エヴァが魔法薬で最後の剣士を消滅させている隙に接近し、
風花フランス武装解除エクサルマティオー!」
 強制武装解除の魔法を直撃させた。
 すぐ下が屋根である事は確認済みである。
 これならば怪我をする事もないだろうという判断だ。
 蝙蝠で作られた外套は吹き散らされ、残っていた魔法薬も巻き込まれて吹き飛んでいく。
 薄い下着に身を包んだ小さな吸血鬼が、月の光に照らされて静かに微笑んでいる。
 ・・・・・・正直、目のやり場に困る。
 ネギはなるべく直視しないように、だが決して逃がさないように気を配りながらエヴァと対峙した。

 ネギはうまく屋根まで誘導できたと考えているが、エヴァにとってそれは脚本通りの顛末だった。
 後ろの屋根の上には従者である茶々丸を控えさせている。
 パートナーのいないネギならば、もういつでも捕らえる事ができる。
「―――僕の勝ちです。できれば抵抗をやめて投降してもらえないでしょうか」
「へぇ・・・・・・。これで勝ったつもりなのかい、先生?」
 余裕の笑みをたやさず返答する。
 この場に誘導できた時点でエヴァは自分の勝利を疑っていない。
 多少の誤差はあれど、演出が変わっただけで結末を変えてなどいないのだ。
「こうして正面から見さえすれば僕にだって判ります。貴女には魔力がほとんど存在しないのでしょう? 触媒も失った今、貴女に勝ち目はありません」
 ネギはその表情の意味に気付かない。
 エヴァの余裕を見せる笑みをハッタリだと考えている。
 誰の手を借りることなく、単独で犯人を追い詰める事ができた。
 その事実が、ネギの目を曇らせている。
「ふふ、どうやらそれなりに考えてるみたいだな。―――なら、こうなったらどうする?」
 エヴァはパチンッと指を鳴らした。
 魔力も何も篭っていないただの音。
 それは警戒しているネギや、その周りになんの影響を与えはしなかった。

 だが、それは現れた。

 トン、と言う音。
 それが響くと同時にエヴァの前には一つの影が存在していた。
「新手!?」
 それは人影が屋根に着地した音。
 エヴァの指示により待機していた従者が、己の役割を果たす為に舞い降りた音だった。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル・ 風の精霊11人ウンデキム・スピリトゥス・アエリアーエス・・・・・・!」
 急いで詠唱を開始する。
 それは間髪いれずにネギを捕らえようと動き出した。
 その動きはかなり速い。
 だが見切れない程ではなかった。
 彼の使い魔たる存在はこれよりも更に速い。
 ネギはその動きを間近でいつも見てきたのだ。
 この程度なら見切れない事はなかった。
縛鎖となりてウィンクルム・ファクティ ・・・・・・」
 ネギは詠唱を邪魔しようと伸びてくる腕を体を右へずらす事で回避し、
敵を捕まえろイニミクム・カプテント魔法のサギタ―――えぐっ・・・・・・!?」
 それをフェイントに放たれた蹴撃によって詠唱を破棄させられた。
 簡易的とはいえ魔力による防護壁をあっさりと貫き、左の回し蹴りはネギの腹部を強打した。
「へぇ・・・・・・。アレに反応するとはね。なかなかどうして、大した腕前じゃないか坊や。・・・・・・だが、あまり意味はなかったな」
 回し蹴りを受け、ネギはその場に崩れ落ちた。
 運動エネルギーが横にではなく、余すことなく縦に叩き込まれた証拠である。
 それにより力は他に散ることなく全てネギに向かって集中したのだ。
 防護壁によって緩和され僅かに急所を外した一撃は、それでもなおネギに激痛を与え、一時の間沈黙させるには十分だった。
 一瞬だけだが呼吸は止まり、それにネギは息をしようと喘ぐ。
「紹介しよう。私のパートナー、出席番号10番“魔法使いの従者ミニステル・マギ”絡繰茶々丸だ」
「魔法使いの・・・従者・・・・・・」
「そうだ。パートナーのいないお前では、私に勝つ事はできんぞ」
 それは事実だった。
 実際、ネギは茶々丸ただ一人の手によって戦闘不能に陥っている。
 魔法は詠唱が完成しなければ発動しない。
 幾ら魔法が強力でも、それが実際に放たれ、当たる事がなければなんの脅威にもならないのだ。
「―――さて。現状を把握してもらったところで、そろそろお前の血を頂くとしようか」
 その言葉にネギは身構える。
 勝ち目のない戦いとは既に判ってはいるが、それでも最後まで諦める事などしたりはしない。
 “いかなる状況―どれほど絶望的な状況であっても―決して諦めるな”
 それが彼の使い魔―――誰よりも強く、誰よりも厳しく、誰よりも優しいの言葉だから。
 勝利どころか逃げる事も絶望的な状況の中で、怯えの色を見せながらも決して諦めようとしないネギの目を見て、エヴァは心の中だけで感心した。
 この年齢でこんな目をする事ができる人間はまずいない。
 昔、彼女がまだ手を朱に染めていたほど遠い昔に、ごくごく僅かに存在しただけ。
 現代ではそんな気概のある魔法使いなど在りはしないだろう。
 “これは将来が楽しみだな”
 口元を歪めて笑う。
 それは紛れもなく賞賛の笑みだったが、思考を巡らせているネギはそれに気付かない。
 一瞬であった為か、従者である茶々丸でさえそれに気付く事はなかった。
「―――茶々丸」
「はい」
 エヴァは従者に命じ、茶々丸は主の命に応えてネギを捕らえようと動き出す。
 ネギはそれを魔力を流した己の体を持って対処する。
 ネギの間合の遥か外から放たれる蹴り。
 一撃で意識を刈り取るであろう拳。
 それらが絶え間なくネギを襲う。詠唱の暇など与えられない容赦のない連撃。
 魔力によって身体能力を底上げしているとはいえそれにも限界はある。
 せいぜいが一般的な成人男性と同じか、それより少し高い程度。
 茶々丸の攻撃はそれらを軽く凌駕しているのだ。
 格闘術の心得など、己の使い魔に習った護身術ぐらいのもの。
 到底防ぎきれるはずもなかった。
「がっ・・・・・・!」
 茶々丸の掌がネギの胸を強打した。
 魔力障壁などないかのように到達したそれは、あっさりとネギを数メートルほど飛ばした。
 かろうじて受身をとったネギは追撃に備えようと身構えようとして、
「嘘ぉっ!?」
 空中を飛んできた、、、、、腕によって捕らえられた。


「さて・・・・・・。それでは血を頂くとしようか」
「うう・・・・・・」
 そう言って、エヴァはゆっくりとネギに近づいてくる。
 その口元からは小さいながらも鋭い犬歯が覗いていた。
 それから逃れる術をネギは持たない。
 茶々丸の腕に捕らえられている今、地力で負けているネギではどうしようもなかった。
「フフ・・・・・・。坊やはうまくやっていたよ。ただ、私たちの方が幾らか上手であっただけだ。恥じる事はない」
 ネギの頬に手がかかる。
 その柔らかい感触にネギは身を僅かに震わせた。
 その表情にエヴァは嗜虐心が掻きたてられる。
「殺しはしない。ただ、私の呪いが解けるまでは吸わせて貰うから、数日は貧血で動けなくなるだろうがな。―――少し痛いだろうが、我慢しろ」
 だが、それを表に出しはしない。
 幾ら自分に呪いをかけた男の息子であっても、この少年には本来関わりのない話なのだ。
 八つ当たりをするのも大人気ないだろう。
 エヴァはゆっくりとネギの首元へと己の牙を近づけていく。
 ネギはそれから目を離そうとせず、ともすれば挫けていまいそうな心を必死に叱咤していた。
 ついにエヴァの牙はネギの肌に到達
「――――――!?」
 する事無く、突然飛んできた矢によって妨げられた。
「なんだこれは!?」
 エヴァはピコンと言う音と共に受けた衝撃で頭をフラつかせた。
 その拍子にネギから少しだけ離れる。
 頭に発生した違和感を頼りにそれを手に持って頭から取り外す。
 それは・・・・・・
「―――玩具? どうしてこんなものが・・・・・・」
 それは紛れもなく玩具だった。
 作りこそ間違いなく矢ではあるが、先端が吸盤になっている。
 これでは殺傷能力など皆無だろう。
 茶々丸も突如発生した矢に対し、ネギを放って周囲を警戒しだす。
 その腕には2本ほど吸盤のついた矢がくっついていた。
 ネギはそれを見て誰が助けてくれたのか見当がつく。
 (エミヤだ・・・・・・)
 彼の使い魔の仕業だ。
 どうやら、ずっとどこかで傍観していてくれたらしい。
 ネギにずっとまかせていたが、さすがに血を吸われるのは容認できなかったようだ。
 その援護にネギはラインを通じて感謝の辞を述べる。
 返答はなかったが、暖かい気遣いの感情がネギに流れ込んできた。
 それに嬉しく感じながら、ネギは援護によって生じた隙でエヴァたちから距離を置く。
 エヴァはかなり頭にきているようで、矢が飛んできたであろう方角を見て怒鳴っている。
 茶々丸はそれをゆったりと宥めていた。
 ネギは今のうちに捕まえようと思ったが、手元に杖はない。
 辺りを見渡しても見つからない。どうやら先ほどの攻防で屋根の上から落としてしまったらしい。
 そう考えるとネギはエヴァの捕縛を諦め、さっさとその場を離脱しようとする。
 だが、それを茶々丸が許さない。
 即座にネギに追いつき、追い抜くとネギの前へと回り込んだ。
「申し訳ありません、ネギ先生。逃がすとマスターの機嫌が更に悪くなりそうなので」
「茶々丸さん・・・・・・」
「すみません」
 茶々丸がネギの行く手を阻む。
 それに気付いたエヴァがゆっくりとした足取りでネギの方へ向かっていく。
「少し驚いたぞ。まさか遥か遠方に伏兵を配置しているなんてな。おびき出したつもりが、おびき出されたのはこちらだったという事か? だが、この角度ならばもはや矢など届かないだろう?」
 ネギはエヴァの方へ体を向けた。
 今度こそ進退窮まったように見える。
 それは誰よりもネギがそう感じている。
 だが、それでもネギはこれで負けたとは思っていたなかった。
 エミヤの援護が玩具の矢だけであったのならば、それだけで十分だと言う理由が必ずあるのだ。
 ならば、自分は精一杯の行動をするだけだ。
 ネギは魔力を集め、脚部にそれを集中させる。
 いつでも行動が起こせるように。
「――――――ラー・・・・・・!」
 だがそれは、
「コラーーーーー!!!」
 突然やってきた、
「ウチの居候に何すんのよーーーっ!!!」
 明日菜の乱入によって霧散した。
「ええーーーっ!?」
 それはまさしくドロップキックだった。
 走ってきた勢いをそのままに数メートル手前で跳躍。
 両足を水平に突き出し、勢い良く蹴りを放った。
「ぷろぁっ!!!?」
 なにやら奇怪な悲鳴を上げてエヴァが吹っ飛んだ。
 茶々丸の頭部を狙ったであろうそれは、茶々丸が反射的に行った受け流しにより軌道が外れ、延長線上にあったネギを飛び越し、さらにその先にいたエヴァの顔へと命中した。
「ネギ、大丈夫!?」
「アスナさん! どうしてここに!?」
「あんたが一人で行くっていうから追ってきたのよ。取り返しのつかない事になったら大変じゃない」
「ぐっ・・・・・・」
 エヴァが茶々丸に介抱されながらも立ち上がった。
 その姿を見て明日菜は驚く。
 自分のクラスメイトが犯人だとは思いもよらなかったらしい。
「あんた達、ウチのクラスの・・・・・・」
「―――多勢に無勢か。退くぞ茶々丸」
「はい」
「あっ! ちょっと待ちなさい!」
 待つわけがなかった。
 弱まっているとは言え自分の魔法障壁を存在しないかのように突き破ってきたのだ。
 それがネギの側についている。
 それだけならエヴァにも茶々丸がいるのでまだ2対2だ。
 だが、遠距離から矢を放ってきた存在が気になる。
 アレはもしこちらを殺す気であったのなら殺せたタイミングなのだ。
 ネギがこちらを捕まえるつもりであったからあんなふざけた矢になっただけ。
 これ以上の戦闘は危険が増すだけだった。
「―――ではな、坊や。また次の満月で会おう」
「コラッ! 無視すんじゃないわよ!!」
 明日菜の声をきっぱりと無視すると、エヴァは茶々丸と共に屋根を飛び降りた。
「ここ・・・8階よ?」
「アスナさん・・・・・・」
「あ、ネギ」
「・・・・・・ごめんなさい。犯人、逃がしちゃいました」
「ネギ・・・・・・」
 見るからに落ち込んでいるネギを見て、明日菜はクスリと笑った。
 ネギを抱き寄せると、その頭をやや乱暴に撫で付ける。
「わわ・・・・・・!?」
「ほら、元気出しなさい。犯人が誰かわかっただけでも大したもんじゃない。後で話を聞かせてよね」
 その明日菜の気遣いに故郷の姉を思い出し、ネギは少しだけ涙ぐむ。
「・・・・・・アスナさん」
「ん、なに?」
「いえ。ありがとう・・・ございます」
「どーいたしまして」



「ふむ・・・・・・。一件落着とはいかなかったが、まあ上出来だろうな」
 まさか彼女を殺すわけにもいかんし。
 エミヤはそう呟きながら、刹那へと視線を戻した。
 刹那の目にはありありと警戒の色が見えている。
 それに、どうしたものかと思案する。
 階段を上ってきてくれたのならどうとでもなった。
 結界を張って、誰かが来たらすぐに立ち去れるように用意はしておいたのだ。
 だがまさか、壁を蹴って上に跳んでくるとは思いもよらなかった。
「―――エミヤさん。貴方は何者ですか?」
「フム・・・・・・。答えるのは構わないが・・・・・・」
 険しい眼差しで刹那はエミヤを睨む。
 その手は夕凪へと添えられている。
 エミヤが何か不審な行動をすれば、即座に斬りかかってくるのだろう。
 昨日拝見した限りの腕前ならば、幾らでもいなす事はできる。
 才能はあるようだが、如何せんまだまだ未熟。修練が足りていない。
 エミヤならば10回やって10回勝てる相手だ。
 だが、そうやってここで彼女を打ち負かしたところで仕方がない。
 こちらの身の潔白を証明しなければ不審な目で見続けられる事になる。
 それに、女の子を傷つけるのには抵抗があるし。
 なにより、
「まあ後にしてくれ。今アキラくんたちが来ていてね。あまり遅くなると必然的に夕飯も遅くなってしまう。それでは彼女たちがあまりに哀れだ」
「・・・・・・は?」
 刹那の目が点になった。
 それを露ほどにも気にせずに、エミヤは続きの言葉を放った。
「・・・・・・フム。せっかくだ、君も一緒にどうかね? 人が多いほうが食事も楽しかろう」
「・・・・・・は?」
 思考が停止する。
 正常な判断能力が著しく低下していく。
 まさかこれだけ敵意を浴びせられている中で、その相手に食事を勧めるような人がいるとは。
 刹那には思いもよらなかった。
「それで、どうする?」
「・・・・・・いただきます」
 彼女にはそれを言うだけで精一杯だった。