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 風が吹く。
 まだ春になって間もない、初春とも言える季節の夜風。
 麻帆良の春が早いと言っても、まだそれは肌に冷たい。
 そんな風が吹く、家々を両端に備えた路地。
 月明かりが薄く地面を照らし、灯火も必要がない程度に視界を保っている。

 蒼い月光の下、二つの影が地面に伸びていた。
 二つの影は互いに向き合い、その視線を交わしている。
 影の一つは見上げるように。
 もう片方の影は見下ろすように。
「―――噂の吸血鬼を捕らえようと巡回していれば、まさかこんなにあっさり見つかるとは。思いもよりませんでしたね」
 それも当然か。
 両者の位置する場所を考えれば、そうなるのは必然だろう。
 かたや路地、かたや屋根上。
 家屋は2階建てであるから、そこそこの高さになる。
 自然、屋根の影が見下ろすようになる。
「―――吸血鬼?」
 屋根の影は確かにそう口にした。
 どうやら、此方こちら側の世界の住人らしい。
 風の魔弾を放ってきた事から、まあそうだろうと考えてはいたのだが。
 吸血鬼と言うのはきっぱりと濡れ衣である。
 エミヤは吸血種ではないし、これまでにそう言った行為を行った事もない。
 むしろ率先してそれらをはらっている側である。
 当然誤解であるのだが、
とぼける気ですか。認識阻害の魔法を掻い潜って愛衣に攻撃したのです。誤魔化しは効きません」
 エミヤを吸血鬼だと断定している影が知るはずもなかった。
 声から察するに女性なのだろう。
 “だろう”と言うのも、浅い闇で姿が覆われている為、その容貌を確認する事ができないのだ。
「愛衣を放して投降しなさい。そうすれば、命まで取ろうとは思いません」
「いや、投降も何も。そもそも私は吸血鬼などでは・・・・・・」
「―――召喚エウオケム・テー
 呪文が夜の夕闇に乗って響き渡った。
 それにエミヤが身構える。
 激しい運動にも耐えられるように、自然と少女―愛衣―を抱きかかえる力も強くなった。
佐倉 愛衣サクラ メイ―――」
「―――!」
 だがそれは意味のない行動だった。
 呪文が唱え終わったその瞬間。
 エミヤの腕から、少女の重みが消失した。
「投降しないのならば仕方がありません。被害がこれ以上広がらない内に滅んでいただきます
 視線を腕から戻してみれば、少女は影の足元に移動していた。
 無防備な寝姿を守るように、薄い闇がエミヤの視線を妨げている。
「・・・・・・魔法人形ゴーレム
 それは人形だった。
 夜の闇よりも薄い影が、人の形をかたどって愛衣を守護していた。
 その数は四つ。
 油断なく、その仮面の下の瞳をエミヤの方へと向けている。
 月明かりに照らされて、屋根の人影の顔が浮かび上がる。
 薄闇を分離して魔法人形を作ったのだろう。
 影の纏っていた薄闇は、その質量をずいぶんと減らしていた。
「――――――」
 きりっと真剣な表情で少女はエミヤを見つめている。
 年齢は16から18の間といったところ。
 顔立ちは整っている方だろう。
 街を歩けば10人中9人か8人は振り返る、そんな容貌。

 少女の腕が上がる。
 その仕草に呼応するように、魔力が少女を中心に集まり出す。
「―――影使い、高音タカネ。参ります」
 少女が放った風の魔弾を合図に・・・・・・人知を超えた、常識の裏側で行われる戦いが始まった。


 ―――術式解析マテリアル・アナライズ

 エミヤは自分へと向かってくる魔法を分析する。
 エミヤ自身には魔法を使う技能スキルはない。
 彼に与えられた才能はただ一つだけであり、その中に魔法は含まれていないのだ。

 ―――“魔法の射手・戒めの風矢”と断定。

 だから解析これ魔法、、ではない。
 彼が扱える唯一つの魔術、、
 そこから零れ落ちた副次的な魔術の出来損ない。

 ―――対象の距離、速度、軌道を解析。

 その一つ。
 物体を解析し、その構造を把握する能力。
 よほどの神秘に覆われていない限り、物質・非物質に関係なく解析する魔術。

 ―――自己の身体能力と比較。
 ―――回避不可。
 ―――防御行動を選択。
 ―――魔術回路開放。
 ―――聖骸布具現化。

 高速で展開される思考。
 解析結果と己の能力とを比較し、的確な行動を選択する。
 魔術回路に魔力を流し、生前から愛用していた一枚の赤い布を具現化する。
「――――――」
 魔弾が迫る。
 解析開始から聖骸布具現まで、瞬きするほどの時間もない。
 聖骸布を手にし、それを勢い良く振るう。
「アーティファクト!?」
 高音が驚愕に目を見開く。
 魔弾が消滅した。
 弾かれるでも、防がれるでもない。
 それはまさに消滅だった。
 それがいったいどれほど異常な事か。
 どこからともなく赤い布を取り出したかと思えば、それがただの一振りで魔弾を消滅させたのだ。
 その布に秘められた魔力が、魔弾に乗せられた魔力を遥かに凌駕していた証拠である。
 聖骸布―――聖人の亡骸を包んだとされる聖なる布。
「――――――」
 エミヤの目の前には魔法人形が迫ってきていた。
 その数は4体。
 風の魔弾をおとりにして、こちらで捕らえようとしていたのだろう。
 その速度はかなり速い。
 はっきり言って、陸上の短距離の選手くらいはあるだろう。
「ふっ―――!」
 だが、エミヤより遅かった。
 聖骸布を身に纏い、徒手空拳で迎え撃つ。
 先頭の影が伸ばしてきた腕を回避し、その流れのまま投げ捨てる。
 後ろを見ることなく放った回し蹴りが影の頭部を砕く。
 頭部を砕いた影を投げ、側面から回り込んできた影が組み付こうと突進して来たところへぶつけた。
 最初に投げた影が立ち上がって、背後からエミヤに向かう。
 それと同時に正面からも最後の一体が突進してくる。
 左右に逃げ場はない。
 それを確認して、エミヤは後ろへ、、、跳んだ。
 後ろの影の目の前に着地し、捕らえようと動く影の腕を掻い潜り、その動作のままに足払い。
 無様にもうつむけに転がった影の頭部を踏み抜き、正面の影を迎え撃つ。
「――――――っ!」
 だがそこに、光の魔弾が降り注いだ。
 まさしく光の雨。
 数は50はくだらないだろう。
 一つ一つの威力は大した物ではないが、これだけの数になると中位魔法に匹敵する。
 エミヤはそれを、全てギリギリで回避する。
 着弾地点を予測し、最小限の動きでかわし、避けきれないものは強化した素手で弾く。
 光の雨が止んだところで、影は再び数を増やしていた。
 その数およそ8体。
 先ほどの倍の数である。
 屋根の上からそれらが一斉に飛び降りていく。
 再び乱戦。
 エミヤは着実に影を一体ずつ消滅させていく。
 一体一体の力はさほど強くはない。
 それに分け与えられた魔力も、4体の時よりもだいぶ少ない。
 質よりも量をとったのか、それとも・・・・・・
「―――っ!」
 エミヤが目の前の影たちから目を離し、高音の居る屋根上へと視線を向けた。
 高音の手にはかなり大きな魔力が集中されている。
 影に振った魔力を全部足してもそれには届くまい。
 つまり、影は時間稼ぎだったのだ。
 上位魔法を唱えるための。
「―――雷神の斧トール・テュコス!!」
 そして呪文は唱えられた。
 瞬間。
 夜の闇を、真昼の太陽を上回る閃光が侵食した。


「―――さすがに、上位魔法には耐えられませんでしたか」
 ほっと、肩を撫で下ろす。
 高音の眼下には、いまだ煙を上げる路地が存在していた。
 その煙の中心こそ、高音が“雷神の斧”を放った場所である。
 煙で見えないが、まず間違いなく吸血鬼は滅んでいるだろう。
 自分に扱える最大の魔法を使ったのだから。
「でも、一応確認はしとかないと」
 これで万が一生きていたとしたら目も当てられない。
 吸血鬼はその傷ついた体を癒す為に、再び吸血行動を起こすだろう。
 愛衣を屋根の上に置いたまま、高音は路地へと降りていった。

 煙が晴れていく。
 路地に溜まった煙を、小さな風を起こす事で清浄な空気へと戻していく。
 路地の中央にはクレーターが出来上がっていた。
「殲滅確認。・・・・・・さて、愛衣を連れて帰りましょうか」
 立ち去ろうとして視界の端に何かが見え、高音はその場に足をとどめた。
 クレーターの中央に、燃え残ったのか、吸血鬼が持っていた赤い布が落ちていた。
 高音の魔弾を防ぐほどのアーティファクト。
 正直、興味が引かれる。
 魔弾を消滅させるほどの魔力が秘められているのであれば、確かにあの雷の中でも燃え尽きる事はないだろう。
 夜の闇の中でも映えていた、その赤い色は焦げ一つなく・・・・・・焦げ一つなく?
動くなフリーズ
「―――!?」
 背後に突然生まれた気配に、反射的に振り向こうとして動きを止める。
 背後から首に手を添えられている。
 特別、威圧感は感じないが、それが逆に頭を冷やさせる。
 抵抗を始めたその瞬間に、この手は首の骨を折るだろう。
 そういう確信を抱かせる空気だった。
「―――いったい、どうやって・・・・・・」
「ただ、避けただけだ。さすがにアレを正面から防ぐのは骨が折れるのでね」
 クレーターの中心にあった布はおとりだったのだ。
 魔法を避けたのか、防いだのかはわからない。
 だが、どうにかしてやりすごした後、布に気を引かれている隙をついて背後に回りこんだのだろう。
「・・・・・・私をどうするつもりですか?」
「別に何も。私は吸血鬼ではないと、最初に言ったはずだが」
「それをどうやって信じろと」
 無理な注文である。
 確かに後ろの人物が吸血行動をしていたところを見たわけではない。
 だが、避けられないタイミングで放った、、、、、、、、、、、、、、、最大の魔法を避けた、、、のだ。
 少なくとも、人間に出来るような事ではない。
 例え出来たとしても、それはいったい如何なる技法によるものなのか。
「まあ、確かに人間ではない事は認めるがね。私の身分については学園長が保障してくれているが・・・・・・ふむ。携帯電話は持っているかね?」
「えっ? あっ、持っていますけど」
 突然軟化した空気に、高音は思わず敬語になった。
「すまないが、貸してもらえるかね? 出来れば、これから言う番号に掛けてもらえるとありがたい。あいにくと、機械と言うのは苦手でね」


「―――先ほどは無礼を働き、誠に申し訳ありませんでした」
「いや、別に構わないさ。間違いはよくある事だし、もとはと言えば私の不注意が招いた事態だ。別に君が気に病む必要はない」
「そう言っていただければ助かります」
 エミヤの言った番号は学園長に繋がるものだった。
 エミヤが電話の相手と幾つか言葉を交わしたと思ったら、電話が繋がったまま携帯電話を渡してきたのだ。
 なんだろうと思いながらもそれを受け取り、電話を耳に当てたら
「高音君かの? わしじゃよ」
「学園長!?」

 その後、学園長の説明を受けて今に至る。
 エミヤと高音は、気絶したまま目が覚めない愛衣を連れて、高音の下宿先である寮へと向かっていた。
 高音は最初、一人で帰ろうとしたのだが、
「愛衣くんはどうするのかね?」
 と言われ、愛衣をエミヤに背負ってもらっているのである。
「・・・・・・はあ。吸血鬼事件の収穫もありませんし、街も壊してしまいましたし。頭が痛いですわ・・・・・・」
「あまり気にしない事だな。街はあの場で直しておいた事だし、大した問題ではあるまい。それに、吸血鬼の事件もそのうち終結する」
「えっ? それはどういう・・・・・・」
「・・・・・・さて、着いたようだぞ。さすがに中に入るわけにはいかないからな。ここでお別れだ」
「あっ」
「では、また会おう」
 何か言いたそうな高音と別れ、エミヤはその場を後にした。
 余計な騒動のおかげで、侵入者の魔力の残滓も判らなくなってしまった。
 調査は一から振り出しだろう。
 エミヤはその現実に溜息をついた。
「まあ、なんにせよ」
 今晩の夕食をどうにかせねばなるまい。
 予定より、少し遅くなってしまった。
 お腹を空かせた少女たちが待っている。
 夕食の献立を考えながら、エミヤは己の管理する女子寮へと足を向ける。
 さて・・・・・・今夜は和か、洋か、中か。
 今朝方は新鮮な海の幸が手に入っていたな。
 メインは魚にしよう。