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 エミヤが高音と一戦を交え、ネギが多数の女生徒に逆セクハラをされると言う受難があった翌日の朝。
 明日菜たちが生活している寮の部屋には、昨晩からもう一人泊まるモノが増えていた。
「いや〜ゴチになりましたぜ兄貴」
「どういたしまして。―――僕はこれから先生の仕事をしに行くんだけど、カモ君はどうするの?」
 ―――訂正。
 一人ではなく一匹。
 先ほど小声でネギに話しかけたのがそれ。
 アルベール・カモミールと名乗るオコジョである。
 勿論、人語を話すからにはただのオコジョであるはずはない。
 オコジョ妖精。
 “猫の妖精ケット・シー”と呼ばれる種にならぶモノであり、霊長とは別の生態系を持つ現代に生きる神秘である。
 妖精と呼ばれる種は、基本的に人類の前に姿を現すことは稀であるのだが、オコジョ妖精はその中では例外とも言える存在だった。
 むしろ積極的に人類と関わりを持ち、共存しようと考えている、非常にポジティブな考えを持っていたのだ。
 魔法使いたちと接触し、妖精にしか作れない薬を売ったり、その使い魔を務めたりすることで、お互いに持ちつ持たれつの関係を築いてきたのである。
 基本的にその性質は温厚で、人類からは失われた技術である錬金術も扱う、非常に知能の高い妖精なのだが・・・・・・
「俺っちですかい? いや〜、兄貴について行きたいのはやまやまなんですがね。ちょいと用事があって・・・・・・」
「用事?」
「いや、こっちの話でさあ。じゃあ兄貴、また後で!」
「うん、また後で」
 カモの態度を見ているとそれが疑わしく思えてくる。
 その態度は高度な知性を持っているように見えず、その口調もどこか江戸っ子っぽい。
 そして、ネギの事を“兄貴”と慕っている。
 ネギはオコジョ妖精をカモの他には知らないので何も思わないが、オコジョ妖精をよく知るものがいれば目を疑うだろう。
 オコジョ妖精は人間と共存しているが、隷属はしていないからだ。
 妖精族としての誇りがそれを許さない。
 人間とはあくまでも対等な立場での共存なのだ。
 カモのように、人間を慕う事などありえない。
 ―――だからと言って、人間を見下しているわけでもないのだが。
 まあ、それだけ珍しい事であるのは違いない。
 カモはネギの肩から降りると、道路に後ろ足で立ってネギに手―前足?―を振った。
 ネギもそれに応えて手を振り返す。
 やがて、ネギの姿が校舎の中へと消えていった。
「―――さて、俺っちも計画に移らねえとな。兄貴を騙してるみたいで悪い気もすっけど、パートナーが見つかるのは悪い事じゃねえさ」


 太陽が真上に差し掛かる正午。
 学生や教師たちがそれぞれ昼ごはんを食べる時間帯。
 食堂棟には多くの生徒たちが集まって、友人たちと共に昼食を楽しんでいる。
「むう・・・・・・」
 食堂の喧騒にかき消されるほどの小さな唸り声。
 それは小さいながらも感嘆の色を含んでいた。
 唸り声を上げた人物―エミヤ―の目の前には、“日替わり定食:D―(380円也)”が置かれている。
「むう・・・・・・」
 もう一度唸り声を上げる。
 ・・・・・・素直に美味しいと感じる。
 この値段でこの量、この味ならば380円は破格の値段と言っていいだろう。
 栄養価もよく考えられており、手間のかかりそうな食材もきちんと調理されている。
 そして早い。
 注文から目前に出されるまで3分と経っていない。
 これだけ早ければ客の回りもよいだろう。
 エミヤはこれだけの仕事を行う食堂に感心する。
 ―――あとで、レシピを教えてもらおう。
 軽く心に決めると、エミヤは食べ終えた後の食器を手にカウンターへと足を向けた。

 さて、エミヤが何故食堂で食事をしているかと言うと、それなりの理由がある。
 別に単純に部屋に食材がなかったから、と言うわけではない。
 それもないわけではないのだが、先日の侵入者の件でこちらに滞在しているのだ。
 午前中に寮付近から学校へと移動するのを結界で探知し、それを追って学園に入り探索していたのだ。
 結局午前中は見つからず、いったん寮まで戻るのも面倒なのでこちらで食事をすることにしたのだ。
 エミヤの顔は満足げに緩んでいる。
 それは決して食事が美味しかったためだけではあるまい。
 その手には、文字がたくさん書かれた用紙の束が握られている。
 ―――レシピである。
 あの後きっちり貰ってきたようだ。
 なるほど、満足げな表情も頷けると言うもの。
 ところで彼は英霊―過去に偉業を成し遂げた英雄―ではなかったか?
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 気にしない方がよいのかもしれない。
 本人が満足そうであればそれでよいのだろう、きっと。
 エミヤは手に持ったレシピを畳み、懐にそっとしまうと再び侵入者の捜索に足を動かした。


 そして時は流れ―――
 放課後。
 ネギは目前の状況をどうにかして打破しようと思考を巡らせていた。
 日本語を3週間でマスターしたのは伊達ではない。
 それなり以上の天才的な頭脳を駆使し、常人の6倍以上の速さで思考を高速で回して打開策を探す。
「キ・・・・・・キスですか」
 目の前には顔を赤くした可愛らしい少女が一人。
 ネギの受け持つクラス、3−Aの本屋こと宮崎のどかである。
 見慣れた制服姿ではなく、季節に合ったワンピースを着ており、それがよりいっそうのどかの可愛らしさを引き立てている。
 その少女がモジモジしながら、恥ずかしそうにラブレターの返事をしてくれているのだ。
 10歳のネギ少年にこれを打破する手段などまったく思いつかなかった。
 こればっかりは知識ではなく、経験がものを言うからだ。
 ネギの頭は混乱の極致に達していた。

 ところでラブレターだが、勿論ネギが出したものでも、ネギが書いたものでもない。
「男ならホラ! ブチューッてウラ!」
 彼らの足元で騒いでいる白い物体が書いたものである。
 そう。
 みんなが予想している通りの、あのオコジョである。
 なんか江戸っ子みたいな口調でネギを兄貴と慕う、アレである。
 先ほどから何やら、10歳の少年に言うような台詞ではないような事を叫びまくっている。
 ネギとしてはたまったものではない。
 英国では挨拶として口付けするなど当たり前にあるが、ここは日本。
 勿論ネギもその文化を勉強して、キスが一体どういう意味を持つのか学んでいる。
 だからこそネギは大いに慌てているのだ。
 それに、ネギは田舎の片隅で過ごしてきたので、生まれてこの方姉以外の女性とキスなどした事がない。
 その姉にしても、寝る前とかに頬や額にそっと口付けるだけ。
 マウス・トゥー・マウスのキスなど初めての経験である。
 その内容が仮契約であると割り切っても、そこは10歳の少年でしかないネギ。
 頭の中は目の前に迫った、恥じらいに顔を赤く染めた少女でパンクしそうである。
 頭が真っ白になって体が硬直する。
 ネギが固まっている中でも、のどかの顔はネギへと近づいていき、
「よ、よっしゃー。行けー兄貴!! ホラ、ブチューッ! これで俺っちも晴れて無罪放免・・・・・・!」
「コラ、このエロおこじょ」
「ぺぎゅる!?」
 なにやら奇怪な悲鳴が?
「わぁっ!?」
「はぅ・・・・・・」
 パンッと契約の魔法陣が破戒される音と共に、ネギとのどかの体が弾かれた。
 ネギは魔法に耐性があるので無意識に抵抗レジストしたが、のどかは破戒の影響を直接受けたのか。
 気の抜けたような声を出すと、その場に倒れて気絶してしまった。
「わっ、とっとっ・・・・・・!」
 ネギは地面にそのまま倒れそうになるのどかを支え、スーツを地面に引いてその上にのどかを寝かせた。
 この辺りは英国紳士の血であるのだろう。
 動きに無駄がなく、とても自然な動作である。
「ア、アスナさん!? どうしてここに」
「そこのおこじょの様子が変だったからね。それで後をつけてたら、ゴミ箱にものの見事にこれが捨ててあったのよ」
「あ、姐さん。それは・・・・・・」
 明日菜の手にはしわくちゃになった手紙が握られている。
 イギリスから届いたにもかかわらず、丁寧にも日本語で文章は書かれている。
 前回の魔法便箋もそうだったが、これはネカネなりの気遣いなのだろうか。
 それはそれとして手紙の内容であるが、ざっと内容を書き出すと次のようになる。
『一匹のおこじょがおこじょ刑務所から脱走
 名前はアルベール・カモミール
 罪状:人間の女性の下着泥棒 総数、およそ2000枚(現在確認中)』
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 ・
 うん。
 情けないね。
 すごく情けないね。
 ていうかすごいね、2000枚って。
 エロ根性もここまで行けば尊敬に値します。
 絶対に真似しませんけどね。
 ・・・・・・ホントですよ?
「あ、兄貴。これには訳が! 俺っちは無実の罪で・・・・・・!」
「ほほぉ・・・・・・」
 ビビクゥッ!
 明日菜の後ろの方から聞こえてきた声に、カモは全身の毛を逆立てた。
 ギギィと首―胴体?―を軋ませながら、カモはゆっくりとそちらへと振り向く。
 そこに居たのは・・・・・・
「あ、エミヤ・・・・・・・イッ!?」
「え、エミヤさん・・・・・・ヒィッ!?」
 一人のがそこにいた。

「無実の罪・・・か。刑務所の中で少しは反省したかと思えば・・・・・・いや、反省しているのであれば、そもそも脱獄などするはずもない・・・か」
 ゴーリゴーリと何かを引きずりながら、その鬼はネギたちへと―――正確にはカモへと近づいてくる。
「あ、兄貴! 何でアイツがここにいるんですかい!!?」
「私はネギの使い魔だ。なれば、主人の所に居るのは当然の帰結だろう?」
 引きずっているのはどうやら随分と硬い物らしい。
 ゴーリゴーリと聞こえていた音が、近づいてくるにつれてゴォリゴォリと言う鈍い音に聞こえ出してきた。
 その重さも半端ではないようだ。
「ま、待てまてマテ! アレ、、 には事情が、一言では言い表せない事情が!」
「ああ、あるのだろうな。だが、ソレとこれとは話が別だろう? あれからあらぬ誤解、、、、、を解くのに23日と3時間24分47秒かかったのだ。それ相応の報いは受けてもらおう」
「細か!?」
 思わず突っ込む明日菜。
 ネギは何やら思い出したのか、遠い目をしてエミヤの事を眺めた。
 カモはガクガクと震えながら、ゆっくりと、だが着実に近づいてくる恐怖に身をすくませている。
 やがて、エミヤはカモの目の前に立つと、ゆっくりと引きずっていたモノを頭上へと掲げた。
 随分と質量を感じさせる形状フォルム
 どす黒い、大きくて角ばった棒のようなもの。
 ところどころに鋭いトゲがついており、それがエミヤの今の雰囲気と重なり合ってかなり凶悪なイメージと化している。
 そして、今こそその存在の真名が解き放たれる。
 それは不思議な擬音で色々とアレ、、な事をしてしまう愉快―恐怖?―なバット。
 その名も
「<全てを撲○せし○使の金棒エ○カリ○ルグ>」
「待て待て待て!! それはちょっと著作権とか何とか色々とまずいんじゃないの!!?」
「伏字を使っている。問題ない」
 エミヤは軽く明日菜の突っ込みを流すと、ふもっ、、、とばかりにカモへと叩きつけた。
「ぶめぎゃっ!?」
 軽く捻る。
「ぴぎゃ!?」
 回す。
「ぺるぐもっ!?」
 ウィーンウィーンウィーン。
「ウェrチュw;d。、mンbvgh!?!?」
 きりもみ大回転三回転半ひねりコークスクリュージャイアントスィング。
「ふもーーーーーーーーーーっ!!!?」

「ふう・・・・・・」
 どこか充実した顔でエミヤは一息つく。
 それをネギと明日菜は、ちょっと恐怖で引きつった顔で見つめている。
「あの・・・さ。あのおこじょとエミヤさんの間に何があったの?」
 エミヤには聞こえないように、明日菜はネギに耳打ちした。
「あんまり詳しいことは教えてくれなかったんですけど。なんでも罪を被せられたとか・・・・・・」
「誤解を解くのに時間がかかったって・・・・・・」
「何だかお姉ちゃんがエミヤに冷たく当たってた時期がありましたから、多分それではないかと・・・・・・」
「・・・・・・ああ、いいわ。なんだか予想がついたから」
 視界になにやら赤いペースト状のモノを入れないようにしながら、明日菜は溜息をついた。
 つと、エミヤに視線を向ける。
 エミヤは満足げに微笑み、赤い何かがついたバットをハンカチで綺麗に拭いている最中だった。


「ほほぉ・・・・・・それで、ネギに仮契約をさせようとしたわけか」
「そ、そうなんでさぁ旦那。どうか俺っちを助けると思って」
 ギロリ。
「い、いや・・・なんでもないでさぁ」
 あれからおよそ3分後。
 カモは見事に復活していた。
 それでも体中に包帯を巻いて、何処から取り出したのか松葉杖までついていたが。
「ふむ・・・・・・正直なところ、このまま刑務所に引き渡すのが理想なのだが」
 チラッとネギの方へと視線を向ける。
 ネギはカモの話―病弱の妹がいるんでさぁ!―を信じてしまったようで、ウルウルと目を潤ませながらエミヤの方を見つめていた。
 明日菜もどこかカモを庇うような立ち位置である。
 ―――あの惨劇を見た後ならそうなってしまうのも無理はないのかもしれない。
 それに、ふうっと溜息をつく。
「まあ主人がよしとしているのだ。使い魔が口を挟むようなものではなかろう。好きにするといい」
「! 本当ですかい!? 感謝しまさぁ!!」
「ただし」
 再びギロリと睨みつける。
「次に同じ事をやった場合は・・・・・・どうなるかわかるな?」
「イ、イエッサー・・・・・・」


「ん・・・・・・」
 夕陽が差す昇降口。
 その靴箱の下で宮崎のどかは目を覚ました。
「夢・・・・・・?」
 こんなところで寝てしまい、あまつさえ何てはしたない夢を見てしまったのだろう。
 恥ずかしさで顔を真っ赤に染め上げる。
 わちゃわちゃと手を振り回し、恥ずかしさを紛らわすように校舎の外へと駆けて行った。


「ご・・・・・・ごめんなさい、宮崎さん」
 物陰からそれを、こっそりと見守る少年の姿があったとかなかったとか。


「カモは責任を持ってネギが管理するように」
「わかったよエミヤ」
「げっ、マジ?」
「へっへっへっ。よろしくお願いしますぜ、姐さん」