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「―――ネギ・スプリングフィールドに助言者がついたかも知れん。しばらく私の側を離れるなよ」
「はい、マスター」
 放課後。茶道部の活動も終わり、茶々丸とエヴァは体を休める為に自宅へと帰っていた。茶道部で淹れられる茶々丸のお茶を味わうのは、数少ないエヴァの楽しみの一つだ。お茶の余韻に心を緩ませながら、エヴァは茶々丸に注意を促した。
 ネギに助言者がついたとすれば、神楽坂辺りをパートナーにでもし、二人掛りで茶々丸を襲撃する事があるかもしれない。
 ネギ自身にその考えは皆無だと思うが、助言者についてはわからない。助言者が口八丁でネギを丸め込み、障害エヴァたちを確実に潰そうと考えないとも限らないのだ。
「まあ・・・可能性としては低いと思うがな」
 ネギは10歳とは思えないほど成熟した思考をもっている。裏の事情を、表には持ち出さない。
 が、念には念だ。
 ネギの実力はそこらの魔法使いに匹敵する。見習いとは思えないほどの力量だ。天性の才能もさることながら、よほどの努力と修練を重ねたのだろう。それが前衛型のパートナーを得たならば、一対二なら茶々丸を打倒する事もできる。
 それはエヴァにも言えないこともないが、いざともなればとっておきの魔法薬を使えば凌ぐ事は容易い。魔力量は封印のおかげで遥か下を行くが、技術ともなればネギなど足元にも及ばない。
 それよりも情に流されやすく、魔法に対する抵抗力を持たない茶々丸の方が心配だった。
「おーい、エヴァ」
「ん・・・・・・タカミチか。何か用か? 仕事ならちゃんとしてるぞ」
「学園長がお呼びだ。一人で来いだってさ」
「―――わかった。すぐ行くと伝えろ」
 まさか感づかれたか?
 一瞬、エヴァの思考にそんな考えが横切り、すぐにフッと笑って捨てる。
 ―――もとよりあんなチャチな結界で、いつまでも誤魔化せるとは思っていない。老いたとは言え、極東の島国の半分もの魔法使いを束ねているのだ。
 今まで隠し通せただけでも行幸と言っていいだろう。
 いや、それとも・・・・・・
「何の話だよ? また悪さじゃないだろーな?」
「うるさい。貴様には関係のないことだ」
 気付いていたが、あえて泳がせていたのか?
 私とアイツの息子をぶつける為に。
「―――考えすぎか」
 仮にそうだとして、あの爺にメリットがあるとも思えない。
 まあデメリットもないわけだが、伊達や酔狂だけでやるはずが・・・・・・
「・・・・・・ありうる」
 あの爺ならやりかねん。
 自分の孫まで巻き込んであんなアホな騒ぎ、、、、、、、、を起こすくらいだ。
 まったく。ゴーレムまで持ち出しおって。バカレンジャーだったから気付かれなかったようなものの、普通なら怪しいと思うぞ、アレは。
「は?」
「ん?」
 こちらの呟きが耳に入ったのか、タカミチと茶々丸が怪訝な顔でこちらを見ていた。
「いや、なんでもない―――茶々丸、すぐ戻る。必ず人目のある所を歩くんだぞ」
「あ・・・はい、わかりました。お気をつけて、マスター」


 エヴァとタカミチの姿が見えなくなると、茶々丸は土手を沿うように歩き出した。
(ネコたちの餌を買わなければ・・・・・・)
 かなり前から習慣となったネコたちとのひと時。茶々丸はそれに思いを馳せた。
 きっかけは何だっただろうか。随分と大切な事だったようにも思えるし、実は些末な事だったのかもしれない。どのような経緯だったのかはあやふやだが、茶々丸は一匹のネコに餌を与え始めたのだ。
 確かネコは怪我をしていたのだったな。ふとその時の事を思い出した。そのネコを手当てしたのが始まりだったと思う。それから徐々に一匹増え、また一匹増え・・・・・・いつの間にか大所帯になってしまった。
 別にそのネコの怪我はもう完治しているのだから、もう餌をやりに行く必要は無い。だが、茶々丸はそれを止めようとはしなかった。
 その理由を茶々丸は理解していない。無駄な行為だとも思っている。それを何故止められないのか、茶々丸はそれが分からなかった。だが、それがどこか心地よいものだとは気付いていた。
「アレは・・・・・・」
 しばらく歩いていると、茶々丸の視界に泣きじゃくっている女の子と、それを宥めている男性の姿が入ってきた。女の子が指差している方へと視線を向ける。どうやら、風船が枝に引っ掛かってしまったらしい。
 男性が立ち上がり、木の上へと目をやる。どうやら、あの風船を取ろうとしているようだ。男性の身長と、平均的な跳躍力を計算し、それが可能かどうかを思考する。
 身長的には僅かに足りないだろうが、少し跳べばなんとか届く高さだった。実際、男性は難なく風船を手に取り、女の子へと渡して頭を撫でている。
 その男性の後姿を見て、茶々丸は男性が最近有名な女子寮長―エミヤ―だと言う事に気が付いた。滅多に見ることは無い白髪に、180を越える長身。浅黒い肌をし、鍛え上げられた肉体が遠目でもわかるほど。今まで気付かなかった方がどうかしているだろう。
 それに気付き、茶々丸は傍目には判らないほどに頬を緩ませた。いや、それは茶々丸自身にも判らないものだったのかもしれない。それほど微細なものであったし、なにより茶々丸はその時に生じた“感情”と言うものを理解できていなかったのだから。
 女の子がお礼を言い、エミヤに向かって大きく手を振りながら去っていった。手には先ほど渡された風船があり、ゆらゆらと風に揺れながら女の子についていっている。
 茶々丸はしばらくその様子をなんともなしに眺めていた。それに気付いたのだろう。エミヤが足元に置いていた袋を持って立ち上がり、茶々丸の方へと体を向けた。
「こんにちは、茶々丸くん」
「・・・・・・こんにちはエミヤさん」
「今日は東側のネコ缶が安い」
「ではそちらに」
「うむ」
 なんとも短い会話だった。しかも主語が抜けている。目的語だけで会話をし、それが成立している。つまるところ、それだけこの会話に慣れていると言うことであり、茶々丸の目的をエミヤがしっかりと理解していると言う事でもある。
 二人はネコ缶を買うために町の東へと歩いていく。足並みはぴったりと揃っていて、どちらかが遅れる事も速まることもない。エミヤの方が歩幅があるのだから、これはエミヤが茶々丸に気遣いを示しているのだろう。
 道中、階段で困っているご老体を助けてみたり、ペットショップに来てみれば商品棚の上の方にある物に手が届かない主婦の手助けをしたり、果ては川で沈みかけている子猫を助けたりと。二人とも人助けに余念がないらしい。
 あまり人気が無い小さな広場に着いたところで二人の歩みは止まった。ミィー、と何故かエミヤの頭の上に鎮座している子猫が鳴く。どうやら目的地に到着したらしい。
 子猫が鳴いた声に反応したのだろうか。建物の影から、ベンチの下から、茂みの中から。ネコたちが茶々丸とエミヤを中心に集まってきた。
 袋からネコ缶を取り出しふたを外して、一緒に買ってきた器の中へと中身を移す。茶々丸のそれはずいぶんと手慣れた様子だった。エミヤもエミヤで、ネコ缶の中身を器に移す作業が手慣れていた。見事なまでに缶の中身が全て器へと移っている。
 ニャーニャーと器の餌を食べるネコ。それを見て微笑む二人の男女。なんとも心和む光景である。
 茶々丸とエミヤがこうしてネコたちに餌を与えるようになったのは、かれこれ2週間ほど前からだった。
 子猫が車に轢かれそうになったのをエミヤが助け、それに茶々丸が礼を言ったのがきっかけと言えるかもしれない。それから広場のネコへと話が飛び、エミヤも手伝うと言い出し、茶々丸が押し切られて今に至る、と。
 細かい事情を話せば長くなるが、大まかなところはこんなものだった。
 最初はエミヤと言う異物に警戒心を示していた。外から来た魔法使いに類する存在。2年前より以前、、、、、、、の記録は一切なく、代わりに存在していたのは嘘か真かも判らない得体の知れないだけ。警戒するなと言う方が無理だろう。
 だが、今では茶々丸はまったくと言っていいほどエミヤの事を信用していた。いや、信頼と言うべきか。親しみの持てる、一人の友人のような存在として見ていた。
 なにせ、
「ん? 私の顔に何か付いているかね?」
 エミヤが複数のネコを頭に乗せながら、、、、、、、、、茶々丸に訊ねた。
 それに茶々丸はついクスッと笑い声を漏らす。
「いえ、なんでもありません」
 ―――これだけ動物に好かれるような人間なのだから。
 少なくとも悪い人間ではない。なんの根拠も無い不確かな考えだが、茶々丸はそれが正しいのだと思った。彼女のマスターもまた、動物によく好かれる吸血鬼だから。



「おんやぁ?」
 間の抜けた声が夜の廊下に響いた。
 声を上げたのは12,3歳とおぼしき少年。そう―――昼にエミヤと会っていた、あの少年である。
 服装はあの時とは変わり、ひらひらとした装飾的な部分が削られ、比較的動きやすい格好をしている。紺を基調とした聖職者みたいな服装には違いなかったが。
「お客は僕だけじゃなかったみたいだねぇ」
 少年の顔が楽しげに歪められる。
 少年はチーズの香ばしい匂いを嗅ぎ取ると嬉しそうに顔を綻ばせ、ドアの横についている呼び鈴を押した。

 少年の足元には大きなアタッシュケースと、縦にすれば少年の胸元くらいまではありそうな細長い箱が置かれていた。


 ピンポーンと言う呼び鈴の音がした。
「む・・・今は手が放せないから、迎えを頼んでもいいかね?」
「はーい」
「お安い御用です!」
 エミヤはピザを作っている真っ最中だった。
 今は焼成の段階。焼き加減次第でピザの味は大きく変わるので、今は目を離す事が出来なかった。
 ちなみに、ピザを焼く窯は借りる事ができなかったので、オーブンにペターライトと言う石を入れて窯の代わりに使っていた。
「おっそいよーアキラ!」
 まき絵が勢い良くドアを引いて、開けた先にいるであろう友人に向かって声をかけた。
 その友人は困ったような顔をしながらも微笑んで立って・・・・・・
「・・・・・・あれ?」
 立っていなかった。
「僕はそのアキラって子じゃあないんだけど・・・・・・」
 代わりにいたのは困ったような顔をした一人の少年だった。
 歳は自分とそう変わらないだろう。黒い髪を肩の辺りで切り揃え、紺を基調とした地味な服装をしている。
 もちろん、まき絵には初めて見る顔だった。
「・・・・・・どちら様?」
「ここの部屋の主に呼ばれて来た、ただの神父だよ。ピザを食べに来たのと、少し届け物を・・・ね」
「ふーん・・・・・・」
「まき絵ー! どーしたの? アキラじゃなかったの?」
「あ、裕奈。エミヤさんにお客さんみたいだよー」
「お客さんー?」
 いつまで経っても帰ってこない友人に業を煮やしたのか、裕奈がとてとてと玄関までやって来ていた。
「やあ、はじめまして。こちらの家主、エミヤの友人“メレム・ソロモン”です。お美しいお嬢さんがた」
「あ・・・こ、これはどうもご丁寧に。明石裕奈です」
「まき絵だよー。てかお嬢さんって・・・・・・君と大して歳変わらないじゃん」
 メレムと名乗る少年の微笑みと台詞に、裕奈は頬を軽く染めた。子供の台詞とは言え、やはり“美しい”とか面と向かって言われると恥ずかしいもののようだ。メレムは美少年の部類に入るので、それも影響しているのかもしれない。
「エミヤさーん。メレムっていう子が来てるよー」
 まき絵は少年の台詞にイヤンイヤンをしながらも、エミヤのお客であると言うことは忘れなかったのか。台所でピザを焼いているであろうエミヤへと声をかけた。
「ん? ああ、来たか。ちょうどピザが焼けたところだから、居間まで案内してもらえるかね?」
「はーい!」
「それじゃあお邪魔するよ」
 まき絵と裕奈に案内され、メレムはチーズの香ばしい匂いが漂う居間へと足を運んだ。
「うーん、いい匂いだねぇ。この匂いの元のためなら、僕はユダになっても悔いはないねぇ」
「それは神父としてどうかと思うが・・・・・・」
 神父として明らかに間違った発言をしながら、メレムは用意されていた座布団へと座る。
 それに冷静な突っ込みをいれながら、エミヤは居間へとピザを運んできた。
「まあ、深くは追求しないがね。ピザは焼けばまだまだたくさんあるから、遠慮なく食べるといい。ただし、彼女たちも客人なのでね。取り合いだけはしないように」
「ん・・・・・・まあ仕方ないかな。僕としては独り占めしたいところだけど、彼女たちが先客のようだし。それに本来の報酬は前払いしてもらってるからねぇ」
「報酬?」
「いや、こっちの話。深くは追求しないでもらえるかな、お嬢さん」
「いや、だからお嬢さんって・・・・・・」
 絶対私たちの方が年上だよね、などとまき絵は亜子に愚痴をもらす。裕奈はそれにウンウンと同意する。どう見てもメレムは12歳かそこらの少年にしか見えないからだ。
 その二人の会話に微笑みを浮かべながら、メレムは目の前で美味しそうな匂いをたてるピザを切り分け出した。
「そういえばさ」
 ピザを切り分けながら、メレムは世間話をするかのように切り出してきた。
「さっきさ、見るからに怪しかったんで半殺しにして放置したスキンヘッドがいるんだけど、知り合い? なんかこんなの持ってたけど」
 そう言って、右手に手帳のような物を持って差し出してきた。
 エミヤは二枚目のピザを食卓へと置き、それを手に取って中を開けた。そして、メレムにしか判らない程度に目を見開いた。

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 麻帆良学園中等部
 三年A組:水泳部
 出席番号6番
 大河内アキラ
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 手帳には確かに、そう書かれていた。





 ―――メレムは己の内の中で独り、エミヤの内面が変化したのを愉快そうに笑った。