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 日が昇る。
 朝焼けが庭を鮮やかに染め上げ、今日と言う日の始まりを告げた。
 いつもと変わらない冬木の朝。
 魔術師による戦争が行われていると言うのに、それだけは変わる事はなかった。
 視線を窓の外から部屋の内側へと戻す。
 そこは見慣れた自分の部屋ではなく、アンティークな家具が置かれた女の子の部屋だった。
 その部屋に置かれたベッドに、本来の主ではない少女が静かに寝息をたてている。
 本来の主である遠坂はやる事があると言って部屋を出たままだ。
 それを待つ傍ら、俺は椅子に腰掛けてセイバーの様子を見ていた。
「・・・・・・うっ、ぁ・・・・・・はぁ―――」
 今まで静かな寝息をたてていたセイバーの呼吸が乱れた。
 だが、その顔は魔力不足で体を維持できなくなった苦しみで歪んでいるわけではない。
 セイバーの頬には悲しみによる涙が零れているのだ。
 ここに逃げ込んでから、セイバーは時折こうなるのだ。
「セイバー・・・・・・」
 そのセイバーの手を静かに握ってやる。
 そうすると、震えが少しだけ止まった。
 こうしてやると、相変わらず呼吸は荒いが体の震えだけは止めてやる事ができるのだ。
「シ・・・・・・ロウ・・・・・・」
 そして呼吸は静かな物へと戻っていく。
 最後に何故か俺の名前を呼んでから元の状態へと戻るのだ。
 そうして、セイバーは再び静かな眠りへと着く。
 もう昨晩から幾度となく繰り返した行為だ。
 だが、それも今回までだったらしい。
「―――ここ・・・・・・は・・・・・・?」
「セイバー!」
 セイバーが目を覚ました。
 その声はどこか戸惑いの色を含んでいる。
 気付いたら見た事のない部屋で寝ているのだ。その反応も当然と言える。
 ベッドに寝たまま視線だけを動かして辺りを探る。
「ここは遠坂の家だよ。ここならアイツも簡単にはやってこれないだろうから」
「シ・・・ロウ? 凛・・・・・・は?」
「アイツは準備があるって言って下に下りていったよ」
 遠坂のあの顔。
 何か重大な事に気が付いたような、そんな表情。
 俺にはさっぱりだが、遠坂には何かが引っ掛かったのだろう。
 セイバーが時折漏らした俺の名前を聞いて、険しい顔つきをして部屋を出て行ったのだ。
「アー・・・チャー・・・・・・は?」
 セイバーが問いかける。
 あの赤い騎士の安否を尋ねる問い。
 その問いに俺は言いよどむ。
 セイバーの表情に、どこかすがる様な色が浮かんでいたからだ。
「―――アーチャーは・・・・・・」
 言ってもよいものかどうか躊躇する。
 どうせ遅かれ早かれ知られる事にはなる。
 だが、それをこのタイミングで言うべきなのか。
 セイバーのあんな顔は初めて見た。
 ここで俺が言葉の続きを言ったらセイバーはどうなってしまうのか、それが見当もつかない。
 だが、それでも。
 それでも言うしかないのだろう。
 後になればなるほど知ったときの傷は深くなる。
 人の死とはそう言うものだ。
「・・・・・・アーチャーは」
「死んだわ」
 俺がセイバーに事実を告げようとしたとき、横から入ってきた言葉が続きを先取りした。
 部屋の入り口に立ち、静かだが威圧感を持った視線をセイバーへと向けている。
 遠坂凛。
 それが、その魔術師の名前だ。




「死ん・・・・・・だ・・・・・・?」
 凛の言葉は確かにそう聞こえた。
「令呪の消滅を確認したわ。それはつまり私との契約が断たれたと言うこと。仮に生き残っていたとしても、魔力供給もなしに現界するなんて不可能だわ」
 その言葉はひどく他人事のように聞き取れた。
 アーチャーが・・・・・・シロウが死んだ?
 それは嘘だ。
 凛は私を驚かせようと嘘をついているのだ。
 以前から凛はそう言う悪戯を好む性質があった。
 シロウもそれにやれやれと思いながら付き合ってどこかに身を潜めているだけ。
 ふふ・・・・・・。シロウもまだまだ子供ですね。
「―――私の言葉が信じられない? でも事実よ。私たちを逃がした結果としてアーチャーはあのサーヴァントによって殺された」
 嘘だ。
 凛の悪戯好きにも困った物です。
 以前もそうやって私とシロウの仲をからかって、シロウを困らせて楽しんでいました。
「―――アーチャーは、死んだのよ」
 嘘・・・・・・
「いい加減にしなさい―――っ!!」
 凛の怒声にビクッと身を震わせる。
 その後ろにはシロウも驚いた様子で凛のことを見ている。
「アーチャーは死んだの! これはどうやっても捻じ曲げられない事実よ。過去はどうやっても変えることはできはしない。貴女がどう思おうとアーチャーが死んだと言う過去はすでに起きた事。その事実を受け入れなさい」
 凛こ言葉はどこか悲しみの色が混じっていた。
 どうして凛はそんなに悲しそうな顔をしているのでしょう。
「・・・・・・貴女も、本当はわかっているんでしょう」
 凛が私の頬を右手で撫でる。
 そのこそばゆい感触に身を委ねていると、凛の指が何かで濡れていた。
「だから、さっきから涙が止まらないのよ」
「え―――っ?」
 私が泣いている?
 どうして?
 私が泣く理由なんてどこにも・・・・・・
 どこにも?
 何故?
 どうして?
 シロウが側に居るから。
 どこに?
 凛の後ろに。
 それは違う。
 どこが違う?
 彼はシロウであって私の知るシロウではない。
 ではシロウはどこに?
 死んだ。
 死んだ?
 死んだ。
 嘘だ。
 本当。
 嘘だ。
 事実。
 嘘だ。

 ―――嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ―――!!

「――――――っ!!」
 嘘だ!
 そんなの嘘だ!
 だがそれが事実である事を頭のとこかでは認めていた。
 シロウは死んだ。
 令呪が消滅していくその様を、自分の目で確かに見たではないか。
 それを認めたくないがために凛の言葉を否定しているだけではないか。
「う・・・・・・ぁ・・・・・・」
 その事実に気付いたとき、私はすでに限界を超えていた。
 涙が止め処もなく溢れてくる。
 どうにかして止めようと試みるが、一度決壊したそれは止まる事を知らない。
 体を自分の腕で抱きかかえる。
 少しでも震えを抑えるように。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――!!!!!!!!」




「―――申し訳、ありませんでした・・・・・・」
 セイバーがひとしきり泣き、ようやく落ち着きを取り戻した。
 その言葉にはいまだに悲しみが潜んでいたが、それでもさっきの状態よりは遥かにマシだ。
「謝るくらいなら行動で示してもらうわ。セイバーには私と再契約を結んでもらうから」
 アーチャーがいない今、私は新たなサーヴァントを必要としている。
 聖杯戦争を勝ち抜くには魔術師だけでは絶対に不可能だからだ。
 サーヴァントを打倒できるのはサーヴァントのみ。
 それは聖杯戦争が進むにつれ、なおさら実感せざるをえなかった。
「契約・・・・・・ですか?」
「そうよ」
 衛宮君は聖杯を欲していない。
 それで私が衛宮君の了解をとり、セイバーとの再契約を結ぶ事にしたのだ。
 セイバー自身も聖杯を望んではいないが、それでも契約してもらわなければならない。
 聖杯は遠坂の悲願。
 そして、アーチャーが自分の身を捨ててまで生かしてくれたのだ。
 それを無駄にする事などできるはずがない。
「そう・・・ですね。確かに、シロウよりも凛の方が望ましいでしょう。―――判りました。契約を結びましょう、凛」
「それじゃあ、契約を結びましょうか」
 セイバーの返答に心の中だけで安堵する。
 これでセイバーが拒否すれば単独であのサーヴァントをどうにかしなければならないのだ。
 別に生き残るだけなら必要はないが、アーチャーの仇は討たなければ気がすまないからだ。
 だが、それでも・・・・・・
「その前に一つだけ訊いておく事があるわ、セイバー。貴女―――いったい何なの?」




 遠坂の言葉の意味がよくわからなかった。
 だが、セイバーにはそれが理解できていたのだろう。
 真剣な面持ちで遠坂の顔を正面から見据えている。
「遠・・・坂・・・・・・?」
「アーチャーと貴女が知り合いだって言う事は判るわ。そしてかなり親しい間柄であった事も。でも、同じ時代の英雄が呼び出されるなんて滅多にない事だけど、そうありえない話じゃない」
「――――――」
 セイバーは無言で遠坂の言葉を聞いている。
 と言う事はそれは真実なのだろう。
 セイバーとアーチャーが親しい間柄であった、それは俺にだって判る。
 でなければ、セイバーがあそこまで悲しむ理由がない。
 だからそれはあまり驚くような事ではない。
 俺を驚愕させたのは遠坂が言った、その次の言葉だった。

「だけど貴女とアーチャー。それに―――イリヤスフィールが同じ時代にいるなんてどういうこと?」

 な・・・・・・に・・・・・・?
 今、遠坂はなんと言った?
「マスターとサーヴァントはラインで繋がっている。それを伝ってサーヴァントはマスターの、マスターはサーヴァントの夢―記憶―を見る事がある。例え意図していなくてもね。だからこそイリヤスフィールと貴女、セイバーが同じ時代に居たという事実でもある」
 セイバーとイリヤ、アーチャーが同じ時代の人間?
 そんなはずはないだろう。
 イリヤは間違いなく現代の人間だ。
 セイバーやアーチャーのように歴史上の英雄などではない。
 だからこそイリヤとセイバーたちが同じ時代にいたという事はありえない。
 何か、大きな見落としでもない限りは・・・・・・
「・・・・・・そうですね。そこまで推察できているのであれば、私が話さなくても凛なら真実に辿り着けるでしょう。なら、ここで私が話してもいいかもしれませんね」
 セイバーが涙で濡れた頬を袖で拭い、遠坂と俺の方へと体を向ける。
 その顔はいまだ消えぬ悲しみと、何かを決意した表情で埋まっていた。
「―――これから話す事は全て事実です。それを、よく心に留めて聞いてください」

 そうして、セイバーは自身が何者であるかを語り出した。
 懐かしむように。
 憧れるように。
 大切な思い出を開いていくかのように。
 かつて観た夢に思いを馳せながら。