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 セイバーの話は正直なところ信じ難いものだった。
「その話・・・・・・本当なの・・・・・・?」
「はい・・・・・・。全て、実際に私が経験した出来事です」
 口から出たのは別に意識したものではなかった。
 ただ、頭だけで考えたはずのものが言葉になってしまっただけ。
 普段ならそれはありえない。
 魔術師は己を完全に制御できるのだから。
 正常な状態なら絶対にありえないはずの行動。

 ―――つまり、私はそれだけ気が動転していると言う事だ。

「――――――」
 ちらり、と士郎を横目で見る。
 士郎も私と同様、いや、それ以上に驚いているようだ。
 それも当然。
 私でさえこうなのだ。
 士郎は自己の制御が未熟であるし、なによりセイバーの話の中の中心人物、、、、だ。
 私の受けた驚きの比ではないだろう。
 セイバーが召喚されたのは3回目。
 それも、第5次においては此度で2回目。
 ありえない。
 そう反射的に考えた。
 だが、思考を瞬時に切り替え、実際にそれが起こりうる可能性を考える。
 感情的に考えるなど、魔術師のすることではない。
 その可能性にはすぐに至った。
 自分の魔術の原初。
 大師父の扱う魔法の存在を。
「平行世界・・・・・・」
 この世に無数に存在する未来への分岐。
 もしかしたらありえたかもしれない、可能性という名の世界。
 セイバーは前回―セイバーにとっての前回―は不完全な英霊であったと言う。
 細かい事情は話されなかったが、その時のセイバーは第4次に召喚された際の記憶が残った。
 そして今回は完全な英霊としての召喚。
 それが此度も召喚される事になった理由だろう。
 そうでもなければセイバーが嘘をついているのだが、そんな事をしてセイバーに利得があろうはずもない。
 なにより私が見たアーチャーの記憶がセイバーの話の信憑性を裏付けている。
 まず間違いなく、アーチャーの正体は士郎だろう。
 衛宮士郎の未来の姿。英霊エミヤ。それがアーチャー。
 英霊はあらゆる時間から召喚されるもの。
 ならば―――自分がかつて過ごした時代へ、、、、、、、、、、 と召喚される事もあるのだろう。
 セイバーはその部分には触れてはいなかったが、それは記憶を垣間見た私自身がわかっている。
 そう考えればアーチャーの行動に見え隠れした不審な点も解決する。
 それらは全て知っていたからこその行動だったのだ。
 それを黙っていたのは、言ったとしても私が信じないと考えたか、それとも別の何か大きな理由でもあったか。
「―――凛。私と契約するならば、聖杯を得るという事は諦めて欲しい」
 セイバーが言ってくる。
 セイバーの話が全て事実だとすると、セイバーは2度にわたって聖杯を破壊したのだ。
「・・・・・・そうね。貴女の話を信じるなら、それが、妥当な判断でしょうね」
 セイバーが聖杯を破壊した事は話の中で聞いた。

 1回目。第四次聖杯戦争。
 衛宮切嗣。フリーランスの魔術師きっての魔術師殺し。
 それが、その時セイバーのマスターだった男の名前だ。
 士郎の父にあたるその男は、令呪によってセイバーに聖杯を破壊させた。

 そして2回目。1回目―セイバーにとって―の第五次聖杯戦争。
 その時はセイバー自らの意思で聖杯を破壊した。

 令呪による強制で、己の意思で、と言う違いはある。
 だが両方ともに、聖杯を破壊したと言う点では全く変わらないのだ。
 聖杯を破壊したと言う事は聖杯を手にしたと言う事。
 己の願いを叶える事が出来る神の血を受けた杯を、手に入れた者のあらゆる願いを叶える願望機を、どうして手元に置いておきながら破壊すると言うのか。
 士郎なら、まだ解る。
 彼は聖杯になんの価値も見出していないのだから。
 では、彼の父は?
 生粋の魔術師であったはずのそれが、何故魔術師ならば誰もが欲するはずの聖杯を手にしていながら、それを放棄する事を選んだのか。
 その答えがこれだ。

“聖杯はすでに聖杯としての機能を失っている”

 所持者の願いを破壊と殺戮、それでしか叶える事ができない聖杯とは名ばかりの呪いへと姿を変えているのだ。
 確かにそれを使えば結果として願いは叶えられよう。
 その過程に多くの人の犠牲を払う事によって。
 そんなものは私が求めている聖杯ではない。
 魔術師として、冬木の管理者として、なにより私個人として到底容認できるものではない。
「―――契約を結びましょう。私は貴女を、アーチャーを信じるわ」
「―――はい。感謝します、凛」
「―――汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら・・・・・・」
 契約の言霊を紡ぐ。
 それに合わせるように魔術回路に魔力を流し、呪文としての効果を持たせていく。
 セイバーが右手を私へと差し出す。
 私はそれを令呪のあった手で受け取り、残りの呪文を紡ぐ。
「―――我に従え。ならばこの命運、汝が剣に預けよう・・・・・・」
「セイバーの名に懸け誓いを受ける・・・・・・。貴女を我が主として認めよう、凛」
 ここに契約は完了した。


 セイバーと遠坂が契約を結び、セイバーは本来の力を取り戻した。
 正規のマスターと契約を結んだ事により、セイバーは全力でその力を振るえるようになったのだ。
 今にも消えてしまいそうだったその体には力が満ちており、その瞳には何かを決意したような感情が浮かんでいる。
「・・・・・・これから、どうするんだ?」
 俺たちの目的が聖杯戦争に勝ち残る事から、聖杯を破壊する事に変わったのは判っている。
 だが、それをする為にはあの正体が知れない金色のサーヴァントを倒さねばならないのだ。
 ・・・・・・いや、正体が知れないわけではない。
 あれは言峰のサーヴァントだ。
 前回、第四次聖杯戦争で言峰が召喚したアーチャー。
 この世の全ての富を手にした人類最古の英雄王。
 あれを、言峰を倒さねば聖杯を破壊することはできないだろう。
 あいつらは聖杯がなんであるかを知り、それでも・・・・・・いや、それだからこそ、、、、、、、 求めているのだから。
「―――イリヤスフィールの所へ行きましょう。共闘する事ができれば、英雄王を打倒する事も不可能ではないでしょう」
「・・・・・・って、何? 万全な状態の貴女でもあの金ぴかには勝てないって言うの?」
「はい。あの限りのない武装の前には、私でも近づく事すら難しい。ですが」
「バーサーカーと二人なら弾幕も減る・・・か」
「確かにね。でも、イリヤスフィールがこちらの話を信じるとも思えないけど・・・・・・」
「やってみなけりゃ判らないだろう? それに、イリヤなら信じてくれるさ」
「・・・・・・そう言い切れる士郎の頭が羨ましいわ」
「なんだよそれ」
「あら、褒めてるのよ」
 クスッとセイバーが笑った。
 セイバーの顔には相変わらず悲しみが見えていたが、それでもいつも通り振舞おうとしている。
 だから俺たちは何も言わない。
 セイバーがその内を漏らさない限りは。
「それでは用意が出来次第出発しましょう。時間が経てば経つほど不利になります」
 その言葉に俺たちは大きく頷いた。 



「こっちであってるか、セイバー」
「ええ、恐らくは。私の記憶に間違いがないのであれば、そろそろ到着するはずです」
 ・・・・・・森を行く。
 この無限とも言える木々の中、生きている人間は俺たちだけだった。
 森に入ってから、既に三時間が経過していた。
 正午は過ぎ去り、切り開いていく風景の変化さえ判らなくなりだした頃。
「―――見つけた。・・・・・・って、聞いてはいたけど呆れるわ。本気でこんな所にあんなモノを建てるなんて」
「ですが、堅牢です。およそ、拠点でいえば柳洞寺に次ぐ優れた場所であるでしょう」
「まあ、それは認めるけど・・・・・・これだから金持ちは」
 ブツブツと遠坂が呟いている。
 どうやらお金を持っている人間にはあまりいい気持ちを抱いていないらしい。
 遠坂らしいと言えば遠坂らしいんだけどな。
「――――――」
 視線を上げて見渡す。
 ここだけ巨大なスプーンで切り取られたように、森の痕跡が消滅している。
 その中央。
 灰色の空の下に、振るい城が建てられている。
 あの少女が住むには広すぎ、一人で暮らすには寂しすぎる、来訪者などいる筈のない森の孤城。
 協力するために来たのだから、正面から入るのが礼儀だろう。
 そう思って遠坂とセイバーに声をかけようとすると、遠坂たちは難しい顔をして城を見上げている。
「遠坂、セイバー。どうしたんだ、難しい顔をして・・・・・・」
「誰かいる・・・・・・」
「? そりゃいるだろ。イリヤとバーサーカーの住処なんだから」
「そうではありません。彼女たち以外の誰かと言う意味です。・・・・・・手遅れだったのかもしれません」
「え・・・・・・?」
「―――正門は危険です。急ぎ、その木を使って二階へ」
「判ったわ。行くわよ、衛宮君」
「ちょ・・・・・・遠坂!」
 遠坂はするすると木を登っていく。
 止める間なんてない。
 遠坂は器用に登っていき、きょろきょろと辺りを見回すと、
「ていっ」
 二階に跳び蹴りをくれていた。
「――――――」
 がしゃん、と言う音。
 どうやら窓ガラスを蹴破ったらしい。
 窓ガラスを蹴破った勢いのまま、赤い影は中へと入っていった。
「シロウも早く上に」
「っ―――ああもう、話し合いをするんじゃなかったのかよ・・・・・・!」
 やってしまったものは仕方がない。
 遠坂に続いて、こちらも二階へとよじ登っていく。
 部屋に侵入し、廊下へと出る。
 そして、遠坂とセイバーが感じた異常をに気を奪われた。
 廊下に響いてくる音は間違いなく戦いの音だ。
 剣と剣が打ち合う音。
 だがこんな―――嵐のような剣戟があるのだろうか。
 セイバーとバーサーカーが打ち合ったときでも、このような音はしなかった。
 これは戦争だ。
 一対一の戦いではない。
 一対多数の戦い―――文字通り、この屋敷のどこかで“戦争”が起きている。
「――――――」
 いや、どこかなんて話じゃない。
 場所などすでにわかっている。
“正門は危険です”
 セイバーがそう言った理由。
 つまり、これが起こっているのは正門なのだ。
 だからこそ迂回してまでこちら側から入った。
 巻き込まれて死ぬ事がないように。
「―――広間へ行きます。私が先行するので、後に続いてください」
「わかったわ」
「それとシロウ」
「どうした、セイバー」
「―――決して早まった行動はしないように願います。私は貴方の死を見たくない」
 それは悲痛な願いだった。
 遠坂も顔を曇らせている。
「―――ああ、わかったよ」
「―――感謝します」




「うそ―――あなた、誰なの」

 今日も公園に行く気になれず、自室でやる事もなくベッドに転がっていると、森に張ってある結界に反応があった。
 侵入者の存在を告げるそれは、結界としてはかなり上位にあたる。
 結界に意識をやれば侵入者を知覚する事もできるし、こちらから干渉して攻撃する事も不可能ではない。
 イリヤは侵入者が何者なのかを調べるため、結界に視覚を繋げた。
 そして、
「・・・・・・・・・・・・なに、あれ」
 本来ありえざるものを見て絶句した。
 赤い目をした金髪の男。
 この日本においては非常に珍しいと言わざるをえない外貌。
 それだけなら別に問題ではなかった。
 魔力は纏っているが、それも一般人よりも少し上と言う程度。
 ただの迷い人だろうと判断し、結界を操作して森から出せばよかった。
 だが、そうはいかなかった。
 聖杯の器であるイリヤだからこそ理解できる異質。
 もっとも理解したくない異質。
 それはサーヴァントの感触。
 ありえざる、第8番目のサーヴァントの気配。
 セイバー、アーチャー、ランサー、キャスター、アサシン、ライダー、そしてバーサーカー。
 そのどれにも当てはまらない8番目規格外
 それが迷うことなく、一直線にこの館へと向かってきていた。
 結界を使って追い出そうとしても効果はない。
 結界による妨害を、まるで存在しないかのように素通りしていった。

「ふん? たわけ、見て判らぬか。この身はおまえがよく知る英霊の一人であろう」

 そしてそれは今、イリヤの目の前に存在していた。
 敵地の真っ只中にもかかわらず尊大な態度。
 腕を組み、階下に居るにもかかわらずこの館の主イリヤを見下している。
「―――知らない。わたし、あなたなんて知らない。私が知らないサーヴァントなんて、存在しちゃいけないんだから・・・・・・!」
「貴様の事情なぞ知らん。オレオレのモノを取りに来ただけだ。そら、さっさとサーヴァントバーサーカーを呼ぶがいい。結末は変わらぬが、己の本分を果たせぬのはあまりにも惨めだからな」
「―――っ! バーサーカー!!」
「■■■■■■■■―――!!!」
 咆哮。
 最強のサーヴァントが、己の主の呼びかけに応えて顕現する。
 その場所は男のすぐ目の前。
 令呪により呼び出された狂戦士は、迷うことなく目の前の敵に己の暴力武器を叩きつける。
 完璧な奇襲だった。
 ほとんど0に等しい距離での最大の攻撃。
 謎のサーヴァントがいかなる能力を秘めてようと、どのような宝具を持っていようと関係がない。
 発動しなければそれはないのと同じ。
 狂戦士の斧剣は吸い込まれるように男へと向かい、
「■■■■■■■■■■―――!!」
 宙に浮かんでいる剣によって弾かれた。
「・・・・・・え」
「ふん・・・・・・不意を打ってこの程度か。同じ半神として、少しは期待していたのだがな」
 いつの間にか、男の周りには数多くの武器が浮かんでいた。
 剣、槍、斧、刀、槍斧、棍棒。
 古今東西、ありとあらゆる武器が浮かんでいる。
 よく見れば、男の周囲の空間が歪んでいる。
 その歪みから武器を取り出し、中空へと留めているのだろう。
「理性があればまた違っていたのだろうが、所詮は犬畜生バーサーカーと言うことか。つまらん、疾く露と消えるがいい」
 ぱちん、と指を鳴らす音。
 それに呼応するように、宙に浮かんでいる武器は弾丸となってバーサーカーへと押し寄せる。
「■■■■■■■■■■―――!!」
 至近距離で放たれたそれをバーサーカーは信じ難い反応速度で迎撃する。
 己の斧剣を振り回し、無数の剣弾を一つ残らず叩き落していく。
「■■■■■■■■■―――!!」
 それはまさしく暴風。
 絶えず振り回し続けられるバーサーカーの暴力。
 己へと向かってくる剣を、槍を、斧を弾き続ける。
 だがそれも、
「バーサーカー!」
 無数を越え、無限とも言える剣弾の嵐の前に敗北した。
 剣の一本がバーサーカーの守りを掻い潜り、その刀身を肉体へと突き立てた。
「■■■■■■■■―――!!」
 だがバーサーカーは止まらない。
 己の肉体に突き刺さった剣になど目もくれず、一直線に目の前の敵へと向かっていく。
 さらに激しくなる剣弾の嵐。
 一つ一つがAランクに匹敵する武装が、次々にバーサーカーの巨体へと突き立てられていく。
 すでにその命の幾つかは失っていよう。
 それでもバーサーカーは止まらない。
 目の前の敵を肉塊へと変えるために前進し、
「■■■■■■■―――!!」
 己の主イリヤに向かった剣弾を弾くべく後退した。
「ほお・・・・・・」
 謎のサーヴァントの目に、初めて面白い物を見たと言うような感情が浮かぶ。
犬畜生バーサーカーでも大英雄と言うことか。つまらんものだと思ったが、存外に楽しませてくれる」
 だが、それだけ。
 剣弾の嵐は止むことなくバーサーカーへと直進していく。
 バーサーカーはそれを避けようとはしない。
 無数の剣が舞い、貫く。
 それこそ湯水のように貫いていく。
 吹き飛ぶ五体。
 剣は黒き巨人の胴を断ち、頭部を撃ち抜き、心臓を串刺しにする。
 何故避けないのか。
 理性を失っているにしろ、鍛え抜かれた英雄の技は思考を必要としない。
 なれば―――剣を回避し、致命傷を負わぬように動きながら間合を詰める事も可能だろう。
 だが、それをしない。
 出来るのに、あえてしない。
 何故?
「バーサーカー・・・・・・」
 バーサーカーの背後に少女イリヤがいるからだ。
 彼女がいるからこそ、狂える大英雄は引かない。
“守る”
 それは絶対の誓い。
 己の主を、小さき少女を守る。
 その不滅の意思を持ってその場を動かない。
 絶対不可侵の誓いを持って。


 遡る事一月よりさらに前。
 誰よりも早く、彼は召喚された。
 大英雄が呼び出されたとき。
 それは―――一人の少女にとっての地獄が始まったときだった。
 少女は己の境遇に耐えられず、常にバーサーカーを罵倒した。
 別にそれを不快に感じはしなかった。
 少女がその状況に耐えられるはずもないのだ。
 それで少女の気が紛れるのであれば、幾らでもそれを甘受しよう。
 そう思い、彼は罵倒され続けた。
 少女の感情のはけ口を甘んじた。
 そしてどれだけ時が流れたか。
 ある冬の森の中、彼と少女を狙ってやってきた獣を一匹残らず屠ったとき。
 血にまみれた姿で、少女は初めて彼に触れたのだ。
“―――バーサーカーは強いね”
 初めて少女が彼に温もりを求めたのだ。
 それは一時の気の迷いだったのかもしれない。
 だが、それでも。
 その時初めて少女は、少女としての笑顔を彼に見せたのだ。
 その時に誓った。
 いかなる存在からも必ず守護しようと。
 必ずこの笑顔を守り通すと。
 故に大英雄は引かない。
 理性を奪われようと、狂わされていようと。
 ただ少女の笑顔を守る為に。


「チ―――でかいだけの的が、いまだ形を留めるか・・・・・・!」
 男は忌々しそうに舌打ちをする。
 薙ぎ払われる斧剣。
 砂塵を巻き上げ、打ち砕かれた瓦礫を灰燼へと帰していく。
 容赦なく打ち出される魔弾。
 斧剣で弾き、肉を削がれ、足を穿たれながら、バーサーカーは男を追い詰めていく。
“守る”
 ただ愚直に。
“守る”
 ただ前に。
“守る―――!!!”
 既に八度を越える死を越え、黒い巨人は駆ける。
 ただ主を守るために。
 儚い微笑みを見せた、たった一人の少女のために。
「■■■■■■■■■■■――――――!!!!!!!!!!!」