/1



「わー、すごいや」
 都会の喧騒が漂う中、少年は感嘆の声を上げる。
 日本とその他の国を結ぶ空港。そのエントランスで、少年は故郷とは違った雰囲気に感動する。
 年の頃は10歳前後といったところか。あどけなさの残る幼い顔には、歳相応の好奇心と大人への階段を上る凛々しい表情を浮かべていた。
「やれやれ。この程度で驚いていては、向こうに着いたときが思いやられるな、ネギ」
 あちらこちらへと顔を向け、その度にすごいすごいと連呼する少年に男はため息をついた。
「だってすごいじゃない。ウェールズではこんなにたくさんの人は見たこと無かったしさ。エミヤだって、さっきからあっちこっち見てるじゃないか」
「む・・・・・・それは痛いところをつかれたな」
 ははは、とネギは笑う。
 それにエミヤは微笑で返し、改めてエントランスを見回す。
 年の頃は25,6といったところ。エミヤというからには日本人なのだろうが、身長は190ほどと高い。ネギとおそろいのスーツをラフに着こなしている。髪の色は白。脱色した不自然な白ではなく、最初からそうであったかのような自然さがそこにはあった。
「さて、ではそろそろ行こうか。新任早々、遅刻というわけにもいかんだろう」
「あ、そうだね。もうちょっといたかったけど、仕方ないか」
 エミヤの言葉に、ネギは残念そうに零した。
 その頭に、ポンと手が乗せられる。
「なに。最初は忙しいだろうが、休日がないわけではなかろう。その時にまた来ればいいさ」
「―――うん!」


 ところで、エミヤはかなりまいっていた。
 大抵のことには自分は我慢が利くほうだと彼は認識している。
 実際、イギリスで起こった多くの理不尽は耐えてきた。耐えてこられた。
 ネギのしでかした不始末も、まあ納めてきた。
 しかし、そんな歴戦のつわもののエミヤにも、これはなかなか耐え難いものだった。
 ネギを連れて、目的地までの電車に乗ったまではいい。少々込んでいたが、それも通学・通勤時間なので仕方がないとも思った。
 だがしかし、この状況はどういうことなのか―――!
 エミヤは閉じていた目を再び開け、周囲を見渡す。
 その周りは女学生、女学生、女学生。
 その率は目測で100%。自分とネギを除いた全てが女学生というのはいったい如何なる状況なのか。
 ネギはまだいい。子供であり、自分の目から見ても可愛らしい少年に見える。これなら違和感も大した事はないだろう。
 問題はエミヤにあった。
 日本人には珍しい長身故か、電車の中ではひどく目立つ。
 なにより自分とネギ以外は須らく女学生なのだから、違和感は押して知るべし。
 いたるところから好機の視線に晒されていた。
 時折、「変態」などという単語が聞こえてきた辺りから、エミヤは自分のどこに問題があるのか真剣に考え始めていた。
『次は―――麻帆良学園中央駅』
「あ、着いたみたいだよエミヤ」
「・・・・・・そのようだな」
 元気一杯のネギと比べ、エミヤは覇気がない。
 電車の中でかなり神経を磨り減らしてしまったらしい。
 ネギは普段より元気がないエミヤに疑問を持ったが、目前の好奇心の方が強いのか、あまり関心を示さずにさっさと電車を下りていってしまう。
 エミヤはそれにちょっと傷ついたが、顔には出さなかった。おとこである。


「何だとこんガキャー!!」
「む?」
 ネギがさっさと行ってしまったので、エミヤはそれを追いかけていた。
 既に見えなくなっていたが、エミヤの足とネギの足の速さを考えたらどうということはない。
 そしてようやくネギの姿を視認したところでこの騒ぎである。
 どうやらネギが女学生に絡まれているようだ。中学生だろうか、なにやら怒りに肩を震わせてネギに掴みかかろうとしている。ネギが危険だと考えたエミヤは速度を上げ、女学生がネギに掴みかかる前にその手を捕らえた。
「ふむ。何があったのかは知らないが、とりあえずネギに手を出すのは控えてもらおうか」
「―――! あんたいつの間に。てか何馴れ馴れしく手を掴んでんのよ。変態」
「・・・・・・最近の子はこんなのばかりか」
 はあ、とため息をつく。
 掴んでいた手を放すと、女学生は飛び跳ねるように後退する。かなりきつい眼差しでネギとエミヤを睨みつける女学生。
 それをあえて無視し、エミヤはネギともう片方の女学生へと体を向ける。
「さて、どういった状況なの説明してくれると助かるのだが・・・・・・」
「なんでそっちに訊くのよ!」
「君はえらく興奮しているようだからな。冷静な判断が下せる第三者に状況を教えてもらおうと思ってのことだが」
 顔だけ向けて女学生に答える。女学生の顔はどんどん険しい物になっていく。
 ネギはそれをあわあわと見ているがエミヤは無視した。
「それで、教えてもらえるだろうか。お嬢さん」
「ええよー」
 女学生の説明により、エミヤは大体の状況を把握した。
 まず説明をしてくれた子の名前は木乃香という。
 明日菜という、あそこで肩を怒らせている少女と一緒に登校しているところ、占いの話が上った。
 それを聞きつけたネギが、あろうことか失恋の相があると言ってしまったらしい。
 エミヤは軽くため息をつくと、ネギを手招きする。
「?」
 ネギは素直にエミヤへと近づく。
 何で呼ばれたのか判っていない顔だ。
 頭の上で疑問符を浮かべているネギの頭に、エミヤは容赦なく拳骨を振り下ろした。
「へぐぅ―――!?」
「まったく・・・・・・無闇に人を占うなと言っておいただろう。あまつさえそれを人に言うとは何事か」
「そんな事言ったって・・・・・・」
「口答えはしないでよろしい」
「―――はい」
 頭を押さえ、少し不満そうにネギは頷く。
 不満にもかかわらず頷いたのは、エミヤの方が正しいと心の底では思っているからだろう。
 エミヤがネギを殴ったのに驚いたのか、明日菜と木乃香は目を白黒させていた。
「すまなかったな、どうやら非はこちらにあったようだ。無礼ともども謝ろう」
「い、いえ。こちらこそ変態だなんて言っちゃって」
 エミヤが謝罪したのが意外だったのだろう。明日菜はあわあわと落ち着かない様子で非礼を詫びた。
 それにエミヤは微笑み、ついで校舎の窓へと目を向けた。
「それにしても―――タカミチ、見学とはいいご身分だな。貴方も教師ならば見ていないで助けてくれてもよかっただろうに」
「いやー、ごめんごめん。あんまり面白いんでついつい見入ってしまったよ。久しぶり、ネギ君、エミヤ」
 そこには壮年の男性。眼鏡をかけた教師が顔を覗かせていた。
「久しぶりー、タカミチー!」
「知り合い!?」
 明日菜が少し大げさに驚く。
「麻帆良学園へようこそ。いいところでしょう? ネギ先生」
「え・・・・・・せ、先生?」
「あ、ハイそうです」
 ネギは行儀正しく姿勢を正すと、このかと明日菜に一礼した。
「この度、この学校で英語の教師をやることになりました。ネギ・スプリングフィールドです・・・・・・」
「付き人のエミヤだ。立場としてはネギの保護者といったところか」
「え・・・・・・ええーーーーーー!?」
 思い切り驚愕する明日菜。
「あんたみたいなガキんちょが先生ってどういうこと!?」
「驚く気持ちはわからないでもないが、また失礼な発言だな。こう見えても頭はいいんだぞ、ネギは」
 どうやらかなりカルチャーショックのようなものを受けているらしい。
 予想通りと言うべきか、やはりどうしてもネギが先生だとは思えないようだ。・・・・・・わからないでもないが。
「ああ、あと今日から僕に代わって君達A組の担任になってくれるそうだよ」
 がーん、という音が聞こえてきそうなくらいショックを受ける明日菜。
 確かにタカミチは良い教師だろうが、このショックの受け様―――おじさん趣味か?
 幼い恋愛感情を微笑ましく思いながら、エミヤはこの学園が気に入り始めていた。



「なるほど、修行のために日本で学校の先生を。そりゃまた大変な課題をもろうたのー」
「大変どころの騒ぎではありませんがね。労働基準法はどうやって誤魔化す気ですか」
「バレなきゃいいんじゃよ。バレなきゃ」
 フォッフォッフォッと、あっさりと問題発言をする学園長。
 タカミチの案内でネギとエミヤは学園長室へと来ていた。
 学園長を見て“ぬらりひょん”と勘違いしたのは、エミヤだけの秘密である。
 その場には木乃香と明日菜も同伴していた。
 学園長とは親しい仲であるらしく、ネギを生徒より先に見せておきたかったらしい。
 明日菜はネギが先生という事には納得していないようだが、学園長の言葉で押し黙る。
「ところでネギ君には彼女はおるのか? どーじゃな? うちの孫娘このかなぞ」
「まだネギには早いのでそれは結構」
「それではエミヤ君」
「結構です」
「むう」
 口惜しそうに学園長は唸る。
 しかし自分の孫娘を出会ったばかりの男の嫁にしようとするとは。
 エミヤは内心このおきな に脅威を感じていた。
「学園長、そろそろ最初の授業が始まる時間ですが」
 話が横道に逸れたのを、先ほどから控えていた女性―しずなと言ったか―が元に戻す。
「おお、そうかの。それではしずな先生、ネギ先生を案内してもらえるかの」
「はい、学園長」
「エミヤ君は少し残ってもらえるかの」
「わかりました。ネギ、あまり気を張らないように」
「わかってるよエミヤ」
 しずな先生に連れられて、ネギたちは部屋を退出していく。
 扉が閉まったのを確認して、学園長はエミヤに話しかける。
「すまんの、他ならぬ君にちょっと頼み事があっての」
「ほう・・・・・・それで、私に頼みたい事とは」
「ネギ君の担当するクラスの事なんじゃが・・・・・・」

 学園長はおおまかにクラスの事を説明し、できれば彼女たちを警護してやって欲しいと頼んだ。

「―――なるほど。なかなか面白いクラスですね」
「皆いい子ばかりなんじゃがのー」
「わかりました、引き受けましょう。実は、こちらからも一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「なんじゃろうか?」
「私とネギの宿泊施設はこちらで提供されるとの事でしたが、できればネギとは別の場所で暮らしたいと考えています。一人前になろうとしているのですから、そろそろ自立するべきでしょうし。それでネギの方をおまかせしたいのですが」
「ん、いいじゃろう。と言っても、まだ決まっておらんのでな。このかとアスナ君に頼んで泊めてもらう事にしようかの」
「お心遣い感謝します」
「君は、どうするんじゃ?」
「適当にその辺のホテルでも見繕って住みますよ。最悪、野宿でも構いませんし」
「さすがにそれはどうかと思うがの。・・・・・・ふむ。それならば学生寮の寮長をやってもらえないかの? ちょうど前の寮長さんが退職されての。代わりを探しとったんじゃ」
「しかしそれでは」
「おお! ついでにこの学園の警備もしてもらおうかの。エミヤ君が聞いたとおりの人物なら、それくらい簡単じゃろ」
「いや、ですから」
「いやならさっきの話はなしじゃ」
 ケチケチするでない、減るもんじゃなし。
 そう学園長の眼差しが言っているのを、エミヤは確かに確認した。
 確かに減りはしないが、少々人使いが荒くはないだろうか。
「―――わかりました。それではお言葉に甘えさせていただきます。話はこれで終わりでしょうか? 無いようでしたら少々学園を見て回りたいのですが」
「うむ、引き止めて悪かったの」
「いえ、こちらも助かりました」
 一礼して学園長へと背を向ける。
「ところでエミヤ君、うちのこのかを嫁に」
「結構です」
 学園長は諦めが悪かった。


 学園長に通達した通り、学園内を探索する。
 麻帆良は学園都市だ。それも大規模な。
 小学校から大学まで存在し、また全寮制のため生徒の住む場所、ならびに日用品を売っている店など。
 そういったものが全て詰め込まれているのだから、当然範囲は広くなる。一日で全てをまわるのは不可能だ。
 よってエミヤは中等部の付近だけを見てまわる事にした。

 こちらに来るとき、ある程度の知識は詰め込んでいたが、それでも現地に来ないと判らないことは多々ある。
 まずこの学園に張られた結界。
 侵入者を感知するというだけのお粗末な物だが、それが学園全体を覆うようにして張られていた。
 エミヤは客扱いなので反応しなかったようだが。
 他にも大きな魔力を宿した大樹があったりと、エミヤにとって興味が絶えない。
 これはなかなか面白い生活になりそうだ。私にとっても、ネギにとっても・・・な。

 日が暮れだした頃には、エミヤは学園の地理を大体把握できていた。
 その成果に満足しつつ、ネギと合流するため2−Aの教室へと足を運ぶ。
 夕日が紅く廊下を染め上げる。それを素直に綺麗だと思いながら、エミヤは一人廊下を歩く。
 目的の教室の前に着くと、エミヤは中が騒がしい事に気がついた。
 この時間なら、生徒が居たとしても数人だろうと考えていたのだが、この様子だとかなりの人数が残っているのだろう。
 その事に疑問を抱いたエミヤだが、些末な事と考えて手を伸ばし、扉を開けて教室の中へと入る。
「・・・・・・宴会?」
 教室の中はまさにそれだった。
 教室は飾り付けがされ、黒板にはなにやら文字や絵が描かれている。床にはクラッカーを使った後まであった。
 未成年故にさすがにアルコールは出されていないようだが、それでもかなり高いテンションである。
「ん? エミヤじゃないか。ネギ君を探しているのかい?」
 しばし入り口で立っていると、席に座ってジュースを飲んでいた男が声をかけてきた。
「タカミチか。その通りなのだが、この騒ぎは一体何なのだ?」
「ネギ君の歓迎会だよ。新任祝いのようなものだ。エミヤも一緒にどうだい?」
「―――ふむ。急ぐ用事でもないし、それもいいだろうな。酒でないのが残念だが」
「ははは、確かにね」
 余っている席に座り、紙コップにジュースを注ぐ。
 軽く喉の渇きを潤し、教師の騒ぎをぼんやりと眺める。
 教室の騒ぎを端から端まで眺め、ふとネギがその中に居ない事に気付く。
「・・・・・・タカミチ、これはネギの歓迎会だったのでは?」
「ん? その通りだけど、どうかしたのかい?」
「ネギが見当たらないのだが・・・・・・」
「ああ―――そういえばアスナ君を追いかけて出て行ったような・・・・・・」
『記憶を失えー!』
「・・・・・・・・・・・・」
「あっはっはっ!」
 ネギの声だ。
 階段の方から間違いなくネギの声が聞こえた。
 それだけならまだいい。火照った体を冷やすのにちょっと外へ出る事くらいはあるだろう。
 だが先の台詞はいただけない。
「―――タカミチ。もしやネギの正体が生徒にバレたか?」
「うーん。どうやらアスナ君にバレたみたいだったよ。ここに来る前に一悶着あったみたいだし」
 割と重い話をさらりと言うタカミチ。
 エミヤはため息をついた。
 新任早々バレるとは。いったいどうすればそんな事態になるというのか。
「まあまあ。そんな深く考えずに、もっと気楽に行こう。大丈夫、アスナ君なら問題はないさ」
「タカミチが言うのであればそうなのだろうが・・・・・・」
 やはり不安だ。
 エミヤはこれからの、ネギの教師としての生活を悩まざるを得なくなった。
「あれー、エミヤさん。どーしてここにおるん?」
 エミヤに気付いたのか、木乃香が近づいてくる。
「なに、これはネギの歓迎会なのだろう? それならば私も同席したいと思ってね」
「そーなん?」
「そうなのだ」
 そっかー、と笑いながら頷く木乃香。
 木乃香が話しかけたのを見て初めて気付いたのだろう。
 生徒達の好奇の視線がエミヤへと集まる。
「だれだれ? このか、知り合い?」
「高畑先生の友達ですか?」
 がやがやと生徒がエミヤの周りへと集まってくる。
「ネギの保護者のエミヤだ。木乃香嬢とは今日知り合ったばかりで、タカミチとは1年ほど前からの付き合いになる」
「ネギ君のお父さんなんですか?」
「父親ではないな。どちらかと言えば兄の方が適切だろう」
「歳は幾つなんですか?」
「26だ」
「髪の毛は染めてるんですか?」
「これは生まれつきだ」
「彼女はいるんですか?」
「それは秘密だ」
 次々に生徒から質問責めをされる。
 元気のいい子たちだな。
 エミヤはこのクラスに好感を抱いた。
「いい所だろう?」
「―――ああ、いい学園だな。生徒達もいい子が揃っている」
 元気がよく、素直で、好奇心は旺盛。
 いい素材が揃っている。将来が大変楽しみでならない。
 学園長がいい子だと言った理由も頷ける。
 エミヤは改めてこの学園が好きになった。


「そういえばエミヤはどこに住むの?」
 学生寮へと帰る道中、ネギはそう質問した。
 ネギと明日菜はいつの間に仲良くなったのか、ずいぶんとネギは明日菜に懐いている。
 ネギは木乃香たちと一緒に住む事が決まっていた。
 ネギの質問に木乃香と明日菜も興味があるのか、二人揃ってエミヤの方を向いている。
「ネギたちと同じ、学生寮だよ。先日、そこの寮長が退職されたらしくてな。寮長の仕事をするという条件で住まわせてもらう事になったのだ」
「へー。そういえば、寮長さんもいい歳だったもんねー」
 そこまで言って、明日菜はふと考え込む仕草をする。
 バッとエミヤに向き直ると口を開き、
「―――それならネギと一緒に住めばいいじゃないのよ!」
 当然と言えば当然の抗議である。
 エミヤは予想していたのか、冷静な態度で応じ、
「私と一緒だと、ついつい甘やかしてしまうのでな。しっかりと躾けてくれる人と過ごさせたかったのだ」
「そんなの知らないわよ!」
「いや助かった。君達なら安心してネギを任せられる」
「聞いてないし!?」
 絶叫する。
 それに対しエミヤは、ハッハッハッと笑いながら、
「まあそのうち寮長室へ遊びに来るといい。お茶でよければ幾らでもご馳走しよう」
 本当に楽しそうに、そうのたまった。
 明日菜は頭を抱え、ネギは楽しそうにしているエミヤを笑顔で眺めて、木乃香はそんな三人をニコニコしながら見つめていた。

 麻帆良の夜に、楽しい少女たちの笑い声が響き渡った。