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 その日、ネギは木乃香と共に部屋の掃除をしていた。居候させてもらっている身なので、そのお礼代わりに木乃香の手伝いをしているのだ。
「眼には眼、歯には歯、恩には恩を返せ」
 ネギはエミヤにそう教えられていた。礼を尽くせぬ者が立派な魔法使いになれるはずもない、とも。
 ネギはそれを大切に守ってきた。実際にそうだと思ったし、エミヤの人となりを見てそれがいいことだと知っていたからだ。
 本来ならば明日菜の手伝いもしたいのだが、明日菜は朝のバイトを手伝われるのを嫌がるため、なかなか恩を返せないでいる。それが残念と言えば残念ではあった。
 そんな折、イギリスの姉からエアメールが届いたのだ。
 姉が無用心にも魔法学校から出しているため、危うく木乃香にばれるところだったので、それを知らせてくれた明日菜にネギは感謝する。
 いつか絶対に恩を返そうと改めて決意し手紙を再生する。
『ひさしぶりネギ。元気にしてる?』
 再生と言ったが、これは別に間違いではない。
 魔法によって加工された手紙で、映像と音声を送ることが出来るのだ。小さなTVと思えばいいだろう。
 明日菜はその魔法の便利さに驚いていた。
 ネギが魔法使いと知りはしたが、あまりそれを使っている姿を見た事はないのだ。
 実際には風を纏って足を速くするぐらいの魔法はよく使っているのだが。
『・・・・・・ふふっ。ちょっと気が早いけどあなたのパートナーは見つかったかしら? 魔法使いとパートナーは惹かれあうものだから、もうあなたの身近にいるかもしれないわね』
 明日菜と一緒に手紙を見ていると、姉がそんな事を言ってきた。
 魔法使いの従者の事を指す言葉なのだが、そんな事がわかるはずもない明日菜に、
「パートナー? なにそれ、恋人のコト? ガキのくせに生意気ねー」
「えっ、いや違いますよ」
 と、思いっきり誤解されていた。
 慌ててネギは魔法使いの従者について説明をする。
「―――で、今だと大体そのパートナーと結婚しちゃう人が多いんですけど」
「じゃ、やっぱ恋人みたいなもんじゃんー」
 きっちりとオチまでつけてしまった。


「やれやれ、学園長も人使いが荒い」
 ネギと明日菜が和んでいる時、エミヤは東京の僻地へと足を運んでいた。
「まあ、学園長の気持ちもわからんではないが・・・な」
 辺りで一番高い建物の屋上でエミヤは遠くを見つめている。
 ただ漠然と見ているのではなく、明確な意思を持ってある一点を凝視している。
 周囲には人の気配はない。
 人払いの結界が張られているのだ。
 これにより、この建物の屋上部分には誰も近づきはしないだろう。
 屋上へ行こうとしても体が自然にそれを避けてしまうのだから。
「さて・・・・・・それでは傍観させてもらおうか。神鳴流の幼き剣士よ、その腕前の程はいかに?」


 東京の郊外にある寂れた神社。
 参拝客など滅多に来ないであろうそこに、桜咲刹那はやってきていた。
 境内に立ち入り、その場で足を止める。
「―――妖気・・・・・・」
 魔物の類が放つ独特の気。
 神鳴流剣士である刹那にはそれが明確に感じ取れた。
 気を扱い人に仇なす魔を払う、古代から日本を陰から守ってきた流派。
 それゆえの超感覚が境内に濃く立ち込める瘴気を感じ取ったのだ。
 ・・・・・・いや、神鳴流剣士でなくても感じ取れたのであろう。
 周囲には人どころか、小動物、小さな虫さえも見当たらない。
 別に刹那は人払いの結界など張ってはいない。
 あまりにも濃い瘴気に、本能的が危険を回避するためにこの場所を避けているのだ。
 これは・・・・・・
「封印が解けかかっている・・・・・・」
 今回学園長から賜った依頼は封印の補強。
 封印は時と共に劣化する。それを修繕し、可能ならばさらに封印を重ねるのが今回の依頼内容だったのだが・・・・・・
「これは・・・・・・もう手遅れだな」
 少なくとも刹那ではどうしようもなかった。
 ここまで強い妖気をすでに感じとれる以上、封印は後数分もせずに解けるだろう。
 刹那は封印の補強から対象の殲滅へと意思を切り替えた。
 魔物を再度封印することは刹那の技術では不可能だ。
 しっかりと準備しておけばどうにかなっただろうがその時間もない。
 封印が解けても力が戻るには少し時間がかかる。
 封印を解除するために力を使うため、その瞬間は無防備にならざるをえないのだ。
 魔物が封印を解いて飛び出してきたのを一瞬で滅ぼすしかないだろう。
 力が戻れば、刹那では手に負えない可能性もあるのだ。
「さて・・・・・・。鬼が出るか邪が出るか」
 白木の柄を握り締め、刹那は魔物の出現に備えた。


「―――来る」
 その言葉を呟いた瞬間。
 それは神社を破壊して境内へ飛び出してきた。
 境内へと破片を撒き散らしながら魔物は重い音を響かせて着地する。
「フ―――ッ!」
 鋭い息吹を上げ、刹那は魔物を滅ぼすために行動を開始した。
 愛刀である夕凪を腰だめに構えて足を踏み出した直後、刹那の姿が消失した。
「ぐぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ―――!!!!!?」
 耳をつんざく悲鳴。
 消えたと思えた瞬間、刹那の姿が魔物を挟んで対極の位置に現れた。
 舞い飛ぶ足。そして―――どす黒い血液。
 気を足に集中させ瞬時に間合いを詰める歩法、瞬動術。
 流派により縮地法とも呼ばれるそれを使い、刹那はすれ違い様に魔物の足を斬り捨てたのだ。
「―――<雷鳴剣>」
 ―――いかずち
 剣先より放たれた、気によって生成された極大の雷が魔物の体を焼き尽くす。
 断末魔の奇声を上げ、魔物は解放された直後に滅ぼされた。
「・・・・・・ふう。どうやらうまくいったようですね」
 安堵する。
 どのような魔物かは知らないが、人に仇なすからこそ封印されていたのだろう。
 それが悪事を働く前に滅ぼせたことに安心する。
 そしてそのまま境内を後にする。
 魔物の死体はそのままだ。神鳴流の技によって滅ぼされた魔物は塵に還る。
 その事を使い手である彼女は知っているのだ。
 なにより、彼女は早く学園に戻りたかった。
 その場所にこそ彼女の存在理由、、、、があるのだから。
 はやる気持ちを抑え、刹那は魔物に背を向け歩き出す。
 どのような魔物にしろ、<雷鳴剣>をくらって生きていられるはずもない。
「きしゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ――――!!!!!!!!!!!!!」
「――――――っ!!?」
 故に、その奇声が聞こえてきたことに一番驚いたのは彼女だった。
 咄嗟に横へと飛び跳ねる。
 先ほどまで彼女がいた場所を硬い毛に覆われた足が薙ぎ払った。
 それを確認し、刹那は魔物のいたところへと視線を向ける。
「無傷―――っ!!?」
 信じられなかった。
 刹那は確かに黒焦げになったその魔物を確認したのだ。
 だが、そこにいたのは紛れもなくさきほどの魔物と同じ。
 それは蜘蛛のような形をしており・・・・・・
「土蜘蛛か!」
 土蜘蛛。
 それは見かけは蜘蛛を巨大化させたものに近いが、れっきとした鬼である。
 その名の通り、大地に属する鬼の眷属なのだ。
 だからこそ雷鳴剣の雷に耐えることができたのだろう。
 土蜘蛛は鬼、化生と呼ばれる類の存在にしては力は低い。
 少なくとも刹那の実力ならば戦い方次第で勝てる程度だ。
 だが土蜘蛛は他の鬼のように本能に任せて戦うのではなく、狡猾な知恵をもっているのだ。
 罠を張り巡らせ、油断を誘い、獲物を己が巣へと運び込む。
 今も死体に擬態し、こちらの隙をうかがっていたのだろう。
「だが、失敗したな。奇襲に失敗すれば、貴様に後はない」
 夕凪を抜き放ち油断なく構える。
 気を纏わせ、今度こそ確実に滅ぼすために練り上げていく。
「<百花繚・・・・・・っ!?」
 そこで刹那の体に変化が生じた。
 振り上げた夕凪は振り下ろされる事もなく停止している。
 異変に気づいた刹那がその場を離れようとするも既に遅し。
 蜘蛛の巣は完成していた。
「体が動かない・・・・・・っ」
 自分を拘束しているものの正体を見極めようと刹那は目を凝らす。
「これは・・・・・・糸・・・・・・?」
 それは糸だった。
 生糸よりもさらに細い極細の糸。
 それが境内に張り巡らされていた。
「あの時か・・・・・・」
 恐らく自分が背を向けた時だろう。
 刹那はそう考えると自分の軽率な行動を悔やんだ。
 相手の生死を確認せず背を向けたこと、相手の正体を見ずに不適切な技を使ってしまったこと。
 自分の未熟さが、油断が招いた出来事だった。
「ぎ・・・・・・ぃ・・・・・・」
 土蜘蛛がその巨体を震わせながら近づいてくる。
 喰う気なのだろう。
 何せ数十年ぶりの餌が目の前に無様な姿をさらしているのだから。
「く・・・・・・っ」
 なんとか脱出しようと試みる。
 自分の失態が招いた事とはいえ、このまま土蜘蛛の餌となるのは嫌だった。
 だが、糸による拘束は解けない。
 いったいこの細い糸にどれだけの妖気が込められているというのだろうか。
 気を使って断ち切ろうとしてもそれを弾くのだ。
 ゆっくりと土蜘蛛は近づいてくる。
 脱出しようとしながらもその様子を見ていた刹那は、かつて見た文献に出てきた一文を思い出した。
『土蜘蛛は子孫を残すとき、人の女性に卵を産みつけ、その子宮を我が子喰らわせる』
 まさか・・・・・・
 土蜘蛛の腹の下から何かが伸びてきた。
 それは嫌悪感を顕にする粘液が滴っており、その巨体に不相応な細さをしていた。
「ひ―――っ!!!」
 恐怖が刹那の体と意識を支配した。
 無駄だと分かっていても拘束から逃れようと身を捩る。
 死の恐怖よりも、魔物の子を産むことになる事の恐怖が刹那の意識を支配していた。
 所詮自分は化け物だと刹那は思っている。
 だが、それでも心は人間なのだ。
「誰か・・・・・・・助け・・・・・・」
 生理的な嫌悪感を与える触手が、ゆっくりとなぶるように刹那へと近づいてくる。
 人が恐怖する顔を楽しむ感情があるかのように。
 だがそれにも飽きたのか、触手がついに刹那へ伸ばされた。
 そして―――
「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ――――――――!!!!!!!!!!!」
 天空より飛来した一条の光が土蜘蛛に突き刺さった。


I am the bone of her sheath.其は 理想の 具現者 なり

 朗々とした呪文が無人の屋上に響き渡る。
 呪文を唱えた主の手にあるのは一対の弓矢。
 黒塗りの弓につが えられているのは一振りの剣。
 捻られた刀身を持つそれは剣本来の役割を果たすことはないだろう。
 矢としての剣がそこにあった。
 そして、それを放つのは一人の騎士。

螺旋・蜘切くもきり

 呟かれるのは剣の真名。
 幻想は具現し、奇跡はここへ召喚される。
 放たれるのはかつて土蜘つちぐもを屠った古の霊刀。
 限界まで弓は引き絞られ、 はついに放たれた。


「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ――――――――!!!!!!!!!!!」
 土蜘蛛の悲鳴が境内に響き渡る。
 刹那はそれを呆然と眺めていた。
 糸による拘束はすでに解かれている。
 別に刹那が自力で解いたわけではない。
 土蜘蛛が解かざるを得なくなったのだ。
 糸に回していた妖気を自らの傷の再生に回している。
 今なら刹那が攻撃を加えればあっさりと土蜘蛛は滅ぶであろう。
 だが、放心状態にある刹那にはそこまで考えが至らなかった。
 土蜘蛛に与えられた傷は大きいが、それでもやはり鬼。
 徐々に傷口が再生し始めている。
 このままなら後数十秒で完治してしまうだろう。すさまじい生命力である。
 それを見て取り、刹那は止めを刺すべく夕凪を構えた。
 だがそれは・・・・・・
『ああ、君が何をしようとしているかは判った。だがその前にそこを離れろ。巻き込まれるぞ?』
 どこからともなく響いた声に押しとめられた。
「―――!」
 その声に刹那は反射的に後方へと跳躍する。
 声はどこかで聞いたことがある人のものだった。それが誰かはよく思い出せない。
 だが、その声の言っている事は本当の事だと刹那の本能に近い部分が告げていた。
 気による防護壁を張って次に起こるであろう災害に備える。
 そして、刹那の一連の行動が終わった瞬間。
 それは起こった。

壊れた幻想ブロークン・ファンタズム・・・・・・』

 朗々と響き渡る声。
 それが聞こえたと同時に、土蜘蛛の体が爆発した。
「くっ・・・・・・!」
 距離をとり、気による防護壁を間に挟んでいても刹那の体に強力な圧力が加わった。
 刹那は爆発による衝撃が終わってしばらく様子を見てから、ようやく気による防護壁を解除した。
 爆発の中心にいた土蜘蛛はすでに見る影もなかった。
 原型など欠片も留めておらず、ただ汚らわしい肉片と血液が周囲に散乱しているだけ。
 ここまで破壊しつくされてはいかに生命力が高い土蜘蛛であろうとも再生は不可能だ。
 そこまで確認すると、刹那はその惨状の中心部に折れた剣を見つけた。
 螺旋状に捻れた刀身を持つ剣。それが半ばから折れ、砕けていた。
 そしてそれは刹那が手に取ろうとした直後に塵となって消えていった。
 それに眉をひそめる。
 剣が塵になる直前に感じたのは魔力のそれだった。
 つまり、あの剣は魔法によって生成されたものだということ。
 爆発したと思ったのは土蜘蛛ではなく、それに刺さっていた剣であったらしい。
 捻れた剣が土蜘蛛の体内で爆発し、衝撃を余すことなく土蜘蛛へと伝え、その炎で焼き尽くし、対象を殲滅したのだ。
 いったいあの小さな刀身にどれほどの魔力を込めたら土蜘蛛を滅ぼせる剣になるというのだろうか。
 助けてもらった事には感謝してもしきれないが、その助けてくれた人物も姿を見せない。
「学園長なら、何か知っているかもしれないな・・・・・・」
 もしかしたらあれは学園長が雇った別の退魔の者なのかもしれない。
 たまたま通りすがっただけの者とか、依頼が被っただけという者なのかもしれないが、そうでない可能性も否定しきれない。
 刹那は剣が飛んできたであろう方向に頭を下げると境内を後にした。


「あの年齢にしてはなかなかやる・・・が。やはりまだまだ未熟だな」
 頭を下げてきた刹那を眺めながらエミヤはそう独白した。
 その年齢に不相応な力を身に付けているからか、心がそれに追いついていない。
 だから魔物という人外のものを侮り、油断して思わぬ苦戦を強いられるのだ。
 構えた弓を消し、その屋上を後にする。人払いの結界を解除することも忘れない。
「さて・・・・・・。帰って夕食の支度をするとしようか」


 いつもの賑やかな夕食が終わり、後片付けも済んだ後に、エミヤは手紙を開いた。
 差出人の名前はネカネ・スプリングフィールド。ネギの姉である。
 その久しく聞いていない名前を懐かしく思いながら、エミヤはその手紙に記録された内容を再生した。
『ひさしぶりエミヤ。貴方のことだからきっと元気にしているんでしょうね』
 懐かしい姿とともに懐かしい声が聞こえてきた。
 こういうときは本当に魔法は便利なものだと思う。
 内容は近況を知らせるものと、他愛もない話がほとんど。
『たまには帰っていらっしゃい。ここは貴方の故郷でもあるのだから』
 手紙は最後にそう締めくくられていた。
 そのネカネの言葉をエミヤは嬉しく思う。
 人ではない自分を人として扱ってくれたあそこの住人はエミヤにとっては家族も同然だった。
 たまには里帰りもいいかもしれない。
 エミヤは次の連休にでも一度ネギと一緒にイギリスに帰省しようと考えた。


 その日の晩。
 一人の少女が小さな吸血鬼に襲われていた。
 結界の穴を巧妙についたその行動に、エミヤは気づくことができなかった。