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「暇だな・・・・・・」
 一階の小部屋でソファーに座ってテレビをぼんやりと眺めながら男は呟いた。実際、やる事がないのだ。こう言うと語弊があるが、別に彼が何も仕事をしていないという訳ではないのだ。今日とて溜まった書類を整理して、まだ搾り取れそうなカモを仕分けしてと仕事はたくさんあった。ただ、どうしても空いてしまう時間というのはあるのだ。
「そうだな・・・・・・」
 男の向かい側に座って雑誌を読んでいた髭の男も同意する。雑誌から目を離してバラエティーを流しているテレビへと視線を移し、また雑誌へとそれを戻した。
 それを横目で眺め、男はチラリと天井へと視線を向けた。
 そういえばアイツら、ガキ 連れてきてやがったな・・・・・・
 まだまだ少女としか呼べない年齢の女だったが、十分美少女で通る顔立ちを思い浮かべ顔をニヤけさせる。別にロリコンというわけではないが、熟れる前の青い果実というのも捨てがたい。
「ちょっと二階行ってくるわ」
 気の抜けた返事を背中に受けて、男はテレビの騒音がする小部屋から出た。
 さて、どういう風に汚してやればいいだろうか。最後には結局売り払うのだが、その前に精一杯楽しむのは悪くない。ああ・・・・・・そういえばアイツらは誰が管理してたんだっけか。
 まだまだ甘えが残っているチンピラの顔を思い浮かべながら二階へ続く階段へと向かう。
 ―――その時の事だった。
「うおっ・・・・・・!?」
 突然、後ろから大砲でも撃ったかのような轟音が事務所中に響いた。それと同時に発生した揺れにバランスが取れなくなり、男は後ろへと倒れこむ。
「―――っ! 何なんだよ一体・・・・・・」
 しこたま打った腰を擦りながら、男は自分の後ろ・・・・・・玄関の方へと体を向けた。
「・・・・・・アレ?」
 自分が見た光景が信じられず、男は目を手の甲で強くこする。だが、結果は変わらない。先ほど見た光景は、目をこする前と寸分変わらずにそこに存在していた。
「おいおい、何の音だよ・・・・・・」
 小部屋から髭の男が出てきた。彼も先ほどの轟音が気になったのだろう。階段の前で玄関を凝視している男を一瞥し、自分も玄関へと視線を向ける。
「・・・・・・アレ?」
 そして彼も男と同様にその光景が現実であることを疑った。
「なあ・・・・・・玄関、どこ行ったんだよ・・・・・・?」
 夜の冷たい風が体を舐めるように過ぎ去っていく。彼らの目の前には夜の闇が広がっていた。玄関があるはずの空間にはぽっかりと大きな穴が開いており、その向こうには事務所の向かい側のビルが建っていた。
「なあ、おい・・・・・・」
「さて、その質問に答えるためには大雑把に分けて二種類あるのだが・・・・・・君はいったいどちらを所望するのかね?」
「―――!?」
 突然耳元から聞こえてきた声に、男は反射的に後ろへと飛び退いた。
「誰だテメェ・・・・・・!?」
 懐から銃を取り出し、突きつける。階段側の男もそれに倣うようにナイフを突き出している。
「・・・・・・死者というわけではないな。だが性根の腐った人間には違いない・・・か」
「誰だって聞いてんだよ!」
 こちらを無視したかのような言葉に男は激昂する。次にふざけた発言をしたら撃ち殺してやる。そう物騒なことを考えながら男はカチッと撃鉄を起こした。
 だが突然現れた赤い男―エミヤ―はそれを無視し、フムと頷くと
「なるほど。君たちの意見、確かに承った。では、玄関と同じ目に遭ってもらう、、、、、、、、、、、、、、ことで質問に答えさせていただこう」
「アァ!? 何言って」
 そこで声は途切れた。
 いきなり体ごと壁にめり込んでしまっては、いかに血気盛んな男でもしゃべる事などできない、ということだろう。あまりの非常識な事態に、ナイフを持った男は唖然として立ち尽くす。
 そんな男に、先ほどとまったく変わらぬ体勢で佇んでいるエミヤは何事もなかったかのように振る舞い、
「一人だけ、というのは不公平だな。君にも教えるのが筋というものだろう」
「待っ!?」
 てくれ、という言葉を最後まで紡ぐことなく、男は冗談のように宙を飛んで行き、見事なまでにコンクリートの壁に体を埋めこんだ。

 男を壁に埋め込んだ腕を引き抜き、階段へと視線を向け顔をしかめる。
「―――数が多い」
 そこにはこの事務所の人間であろう男たちが幾人も立ち、こちらの様子を窺うように立っていた。そのどれもが人目で異質だと分かる。それは例え、裏の事情など何一つ知らない一般人であってもそうだろう。生きた人であるならば必ず感じさせるであろう生の気配―いわゆる活力と呼ばれるものだが―が感じられないのだ。
 生きた死体、、、、、―――評するならば、それがもっとも近しい表現だろう。
 彼らは文字通り動く死者リビングデッドなのだ。吸血鬼に捕食され、存在そのものを書き換えられた、、、、、、、人であらざる者。なってしまえば二度と人間に戻る事はできない。絶対に。
 先の二人は、おそらく最後の生きた人間だったのだろう。上の階で感じていた生きた人間の気配も、一つを除いて死者のそれと化した。
「・・・・・・君たちが今までどう過ごしてきたかは知らん。これからどう過ごすつもりだったのかも知らん」
 それはどうしようもないほど悪を重ねてきた生き方だったのかもしれない。誰よりもお人好しで、善行ばかりしていたのかもしれない。あるいは、ただ平凡な毎日を送っていただけだったのかもしれない。この事務所の人間なのだから、碌な生き方はしていなかったのではあろうが。
 だが、それでも・・・・・・
「―――誓約しよう」
 言葉を紡ぐ。自我など存在せず、己を生み出した親たる吸血鬼以外の言う事など聞く事はない死者たちに対して、エミヤは感情の篭らない声で誓いを立てる。
「私が殺し、私が壊し、私が塵へ戻す事を誓約しよう。君たちの存在を私が奪い取ろう。君たちが生きた証を私が摘み取ろう。決して君たちの事は忘れはしない。この命尽き果てるまでそれを記憶に留めよう」
 死者たちがエミヤへ向かって走り出す。
 先頭の死者がエミヤへと到達し、肉体の限界以上の力を持ってその腕を振るった。
 刹那。
 大木すらなぎ倒すその豪腕は、突如として出現した一振りの剣によって両断された。
「―――それが・・・・・・私が君たちにしてやれる唯一つの手向けだ」



 事務所の一室―――
 長らく干していないであろう湿ったベッドの上に、まだ高校生にも満たないであろう少女が後ろ手に縛られ、猿轡さるぐつわをされた状態で転がされていた。
 その部屋には他に、そのベッドを遠巻きに眺めるようにして床に直接座っている数人の、まだ少年としか言えない容貌の男たちがいた。
「あー、どうする? さっさとヤっちまうか?」
 その少年たちの一人がベッドに転がされた少女を下卑げひ た視線で見ながら仲間にそう言い放った。
「それはまだ取っておこうぜ。兄貴がまだ帰ってきてねぇよ」
 それを止めたのはピアスを耳につけた少年だ。こちらは茶髪の少年よりも幾分か冷静らしい。兄貴と呼ばれる人間を待った方がいいと茶髪の少年を宥める。
「先に味見しといてもバレやしねぇよ」
「どう見ても中学生のガキだぜ? スレてるはずはねぇだろ。味見したら一発でバレちまう」
「なんだよ、ビビってんのか?」
「そうじゃねぇけどよ。兄貴は拳銃チャカ持ってるんだぜ? 敵うわけねぇだろうが」
 それに他の少年たちも頷いて同意する。実際にそれが使われたところを見たわけではないが、必要とあれば躊躇い無くそれを使うだろうことを少年たちは感覚的にわかっているのだ。
「チッ・・・・・・」
 もちろん茶髪の少年もそれはわかっていた。だが、やはり面白くないものは面白くないのだ。
 この少女は自分たちが攫ってきたモノだ。出会ったのはたまたま、、、、 だったものの、実際に攫い、そしてここまで運んできたのは自分たちなのだ。彼らの兄貴と呼ばれる人物はどれ一つとして手伝ったりはしなかった。
 にもかかわらず、自分たちが攫ってきたのを見つけたのをいいことに、
「俺が最初だ」
 などと言ってきたのだ。
 確かに今まで世話になってきたし、この状況も今までと変わるところなど無い。だが、やはり不満なものは不満だった。
 この少女のせいで―無論、少年たちの自業自得であるのだが―得体の知れない男に痛い目に遭わされたとあれば、なおさらその気持ちは強かった。
「それにしても、兄貴おせぇな・・・・・・」
 気を紛らわすかのようにピアスの少年が呟いた。
 確かに遅かった。自分たちがこの少女をここへ連れてきたのはだいたい1時間以上も前の話だ。少年たちの兄貴があの男を呼びつけに行ったのもそれと変わらない。
 兄貴自ら行かなくても、と進言はしたものの
「だったらおめぇらは場所がわかんのか?」
 と切り返され詰まってしまったのは自分たちだった。男の相貌はわかっても、どこに住んでるかまでは調べていなかった。もともとこの少女を攫ったのも行き当たりばったりの結果なのだから、それは仕方の無いことでもあった。
 変なところで面倒見の良い兄貴で、それならばとあっさりと男の住所を調べ上げ、お前らでは道に迷いかねないと言って車を転がして出発したのだ。
 その兄貴が帰ってこない。まさか兄貴が道に迷うとも思えないし、男にやられたとも思えない。
「兄貴が戻ってくるまでに、準備だけどもしとくか」
「・・・・・・そうだな。そうするか」
 まあ、考えても仕方の無いことだ。
 もしかしたら事故にでも遭ってるのかもしれないが、そんなことは知ったことではないし、もしそうなら電話の一本も入れてくるはずである。こちらから電話をしてもよかったが、こんなことぐらいでいちいち電話していてはキリがない。
 少年たちは気だるそうに体を立ち上がらせ、棚にしまってあるビデオカメラの準備を始めた。その動きは面倒くさそうにゆっくりとしていたが手際はよく、今までに何度もしたことがあるかのうように停滞がない。ベッドを左右から捕らえるようにビデオカメラを設置し、不意に動かないようにしっかりと固定する。ビデオカメラのテープを確認し、新品のテープが2台とも入っているのを確認する。
「―――そういやぁ、このガキはなんて名前だったっけか?」
「アァン? ンなことどうでもいいだろうが」
「いや、なんとなく気になってな。ほら、俺たちが今まで攫ってきた女って全部坂上さんが言ってきたヤツだったろ? 俺たちが初めて自分たちで攫ったヤツだから、ちょっとな」
 そう言われてみれば確かにその通りだ。
 坂上と言うのはこの事務所の大親分にあたる人物で、兄貴が親父と慕っている人間のことである。少年も何度か見た事があったし、実際に命令されて女を攫った事も幾度かあった。
 その坂上の命令ではなく、自分たちの意思で攫ったのは確かに今回が初めてだろう。そういう意味では、確かに名前くらいは知っていてもいいかもしれない。もちろん知らなくてもいいことだし、少年はたとえ聞いたとしても次の日には忘れてしまっていることだろうが・・・・・・
「ん・・・・・・」
 そうこうしている内に薬が切れてしまったらしい。
 少女が体をモゾモゾと動かしながら、まだ朦朧としているであろう意識をゆっくりと覚醒させていく。
「おい。起きちまったぜ」
「あー、面倒くせぇな。きっと騒ぐぜ、こいつ」
 その声に反応し、少女がゆっくりと目蓋を開いていく。まだ意識が朦朧としているのか、それとも事態が把握できていないのか、少女は少年たちに視線を向けたままぼんやりとしている。
「―――!?」
 意識がはっきりとしただしたのか少女はガバッと体を起こし、そして即座にバランスを崩してベッドに倒れこんだ。そこでようやく自分が縛られていることに気が付いた。
「―――!? ―――!?」
 どうして自分が縛られているのか理解ができないのだろう。まあそれも当然か。薬を嗅がせて眠らせてから連れてきたのだ。意識を失って、そして目覚めてみれば自分がまったく見覚えの無いところ。混乱してしまうのは無理も無い。
 だが、
「うっせぇな。おい、やっぱりヤっちまおうぜ」
 そんなことは攫ってきた当人たちにとってはどうでもいいことだった。
 状況についていけず暴れ出した少女に苛立ったのか、茶髪の少年が先にも言ったことを提案した。
 その言葉に身の危険を感じたのか、少女はビクッと体を震わせる。見知らぬ少年たちに囲まれている恐怖、これから何をされるのかという不安が入り乱れ、少女は体を縮みこませる。
「だから止めとけって。バレたらどうすんだよ」
「フン・・・・・・知ったことじゃねぇよ。だいたい、こいつのせいで俺たちは痛い目にあったんだぜ。お前ら悔しくねぇのかよ」
「そりゃ、まあなァ・・・・・・」
「兄貴が何か言ってきたら適当に話せばいいんだよ。こいつを攫ってきたのは俺らだぜ? 文句なんて言われる筋合いはねぇよ」
「ま、そりゃそうか」
 あっさりとピアスの少年も折れる。口ではなんと言っていても、やはり少年も本心では茶髪の少年と同じ意見なのだ。そして勿論、少年の仲間たちも。
 くるっと、体をベッドの少女へと向ける。その少女は目に涙を浮かべながら、イヤイヤをするように首を振り続ける。迫ってくる恐怖が具体的な形を帯びてきたのだろう。体を後退させ、脚を閉じて体を可能な限り丸めている。
「―――始めるか・・・・・・」
 少年二人がガムテープを取り出し、少女の脚を開いてベッドへと縛りつける。無論、抵抗はあったが所詮は高校生に満たない少女と、高校生にはなっているであろう少年では力の差は歴然だった。
 二人掛りで押さえつけられ、少女の体はあっという間にベッドへと固定された。
「んーっ! んーっ!」
 少年に馬乗りされ、服が力任せに破られると少女は狂ったように暴れ出した。
 中学生にしか見えない容姿であっても、スポーツでもやっているのか体はそこいらの少女より引き締まっている。体格も平均的な女子より大きいので、力は少年が思っていたよりも強かった。
「大人しくしやがれ!」
 少年が思ってもみなかった少女の抵抗に激昂する。
 少女を黙らせようと髪を掴んで殴ろうと腕を振りかぶったその時。
 激しい轟音と同時に事務所全体が、揺れた、、、
「な、なんだ!?」
「地震か!?」
 突然の震動に少年たちは右往左往する。
 その揺れはすぐに治まった。というより、揺れたのは本当に一瞬だけだったのだ。
 ただタイミングがタイミングなだけに馬乗りになっていた少年はベッドから転がり落ち、したたかに頭をぶつけて目を回していた。
 少年たちに仲間意識などないのか、そんな仲間を放って彼らは倒れたビデオカメラのチェックを始めた。これは事務所の機材なのだ。壊したりしたらただでは済まされない。
 幸い、カメラは目立った損傷も無く、それを確認した少年たちはほっと息を吐く。
 再びカメラをセットし、ベッドから落ちた少年が意識を取り戻して、さあ今度こそというときに扉が開いた。
「あ、坂上さん。どうしたんすか?」
 一瞬少年たちは警戒したが、それが事務所の大親分である坂上であると気付いてすぐに気を抜いた。
 またもや邪魔されたとも思ったが、坂上にそんな気はないだろうし、第一そんなことを言って機嫌を損ねられたらそれこそ冗談ではない。彼らはまだ魚の餌になる気はなかった。
「ふむ・・・・・・お前たちでいいか」
「は?」
 坂上の品定めするような視線と、それに続いて出た言葉に口をポカンと開けた。
「先の狩りで手駒が減ったのでな。好みではないが、贅沢は言ってられんか」
「あの・・・・・・何言って・・・・・・」
 ピアスの少年の言葉が途切れた。
「へ・・・・・・?」
 気の抜けたような声が少年たちから上がった。
 ただ、ピアスの少年だけは声を上げなかった。―――上げられなかった。
 声を発する首には坂上の頭が存在しており、ゴクンゴクンと何かを飲んでいるような音がそこから聞こえてきていた。―――飲んでいるのだ。少年の血を、坂上と言う男が。
「――――――!!!!!?」
「うるさい」
 鮮血が舞った。
 飛び散った脳漿のうしょう が少女の体に付着し、白い穢れの無い肌を紅く彩る。
「ああ、しまった。人間というのは脆いものだということをついつい忘れてしまう」
「う・・・・・・うわぁーーーーー!」
 仲間が二人殺されたのを見て、ようやく状況を把握した少年たちが我先にと唯一の脱出口である扉へと向かう。
動くな、、、
 言葉どおり、少年たちの体がその場で硬直した。
 彼らは何が起こったのか理解できないのか、目を白黒させて体を動かそうとあがく。
「ふむ・・・・・・自身で選んだわけではないので期待はしていなかったのだが・・・・・・ほぉ? 家畜如きが存外役に立つものだな」
 そんな彼らを視界の片隅にすら入れず、坂上はベッドの縛り付けられた少女―アキラ―へと近づいていく。
 彼女の意識はすでになかった。目の前で人が二人も死んだのだ。年頃の、しかも暴力を苦手とする少女には耐えられるものではなかったのだろう。
「さて・・・・・・それでは彼女にも役に立ってもらう事にしよう。人間風情が吸血鬼たる私を狩ろうなどと、傲慢にもほどがある。これは教育してやらねばなるまいなぁ?」
 アキラを物を見るかのような目つきで見下ろしながら、坂上は口元を歪ませる。
「お前たちにも働いてもらおう。ああ、心配することはない。好みではないが、ちゃんと血を吸ってから死者にしてやる。私は無駄と言うのが嫌いなのでね」
 手に付着した血を舐め取りながら放った言葉。それに少年たちは応える事が出来ない。
 声を発する為の口すら動かす事ができず、鼻で息をしようにもそれすら坂上の言葉が許さない。
 彼らに出来るのは木偶のように体を直立させ、酸欠に顔を青くしながら迫り来る死と言う、逃れる事の出来ない運命に恐怖することだけだった。



「ば・・・・・・化け物め!」
「やれやれ。なかなか失礼なヤツだね、君は」
 月光を背に受け、法衣を着た少年―メレム―は肩をすくめた。
 彼らが居るのは、いわゆる廃ビルと言う所である。取り壊しが決まっているがそれもまだまだ当分先で、しかも医療ミスがあった元病院だと言うのだから、肝試しにはもってこいのスポットである。
「それに化け物・・・・・・なんて言うのはお互い様じゃないかな? 君たちもそう思うよね?」
 そうメレムは同意を求めた。無論、目の前で狼狽している男に対してではない。
「・・・・・・くすっ、ひどいなぁ。これでも周りに気を配ってるんだよ? あんまり騒ぐと、後の始末が大変だからね」
 声をかけている方へと視線を向ける。そこには。夜の闇の中でもなお爛々と輝く、無数の赤い点が存在していた。それは瞳だった。小動物、それもネズミぐらいの大きさの小さな赤い瞳。
 男はさっきから逃げ出そうと試みていたのだが、それをこの瞳が許さなかった。男が少しでも逃げようとすると、それに合わせたように一斉に男を追いかけるのだ。
「ん・・・・・・どうやら、あっちもそろそろ終わるみたいだね。じゃあこっちもさっさと終わらせようか」
「―――舐めやがって・・・・・・」
 男は逃げるのを止め、メレムに飛び掛るタイミングを窺う。
 自分の駒をあっさりと倒した力は油断ならないが所詮は人間。その存在からして格下なのだ。冷静に相手をすれば負けるはずがない。
「別に舐めてないよ。それに・・・・・・もう、終わってるしね」
「何を言って・・・・・・っ!?」
 飛び退こうとしたがそれは僅かばかり遅かった。
 頭上の死角から飛来した幾条もの光は違うことなく男の身体を貫き、その四肢を分厚いコンクリートの床へと縫いつける。そして、絶叫。
 男を貫いた銀の剣を、メレムが無造作に真横へと、、、、振りぬいたのだ。それも、剣の腹の方に。
 情け容赦なく四肢をもぎ取られる激痛に、吸血鬼は恥も外聞もなく悲鳴を上げる。コンクリートごと、、、、、、、、もぎ取られた腕は無造作に投げ捨てられ、捨てられたその先で塵へと還っていった。
「灰は灰に、死者は死者に―――君らは塵から生まれたのだから塵へ還れ」
 言葉が紡がれると同時。絶叫は止まり、辺りを静寂が支配した。
 いかな吸血鬼。いかに人外とはいえ、頭部を失ってしまっては言葉を語ることなどできはしないのだろう。
 一拍。
 男の体は塵へと還り、後には淀んだ空気だけがその場に残った。
「はぁ・・・・・・こんなのに負けるなんて。埋葬機関も質が落ちたね」
 圧倒的な実力で吸血鬼を滅ぼしたメレムは、自分の所属している組織を思い少しだけ落ち込んだ。
「まあ、彼女みたいなのがたくさんいるのもどうかとは思うけど・・・・・・ん?」
 突然、眉をひそめる。
「―――へぇ・・・・・・僕の目に狂いはなかったみたいだね」
 が、それはすぐに愉快そうな顔に変わった。
「―――ははは・・・・・・最近の娘は積極的だねぇ・・・・・・こんなこと考えるなんて、僕もいい歳かな?」
 間違っても悪魔が言う台詞じゃないよね、これって。
 まったく、エミヤと出会ってから面白いことばかり続くものだよ。彼女との掛け合いも悪くはないんだけど・・・・・・ああ、そういえば最近会ってないねぇ。せっかく日本に来たことだし、彼女に会ってから帰るのも悪くないかな。
「殺されなきゃいいけど」
 そう、それが問題だ。
 主人の話からすれば姫君もおられるようだし・・・・・・死ぬのは嫌だなぁ。あれって結構痛いんだよね。
「まあそれはそれか。なんにしろ」
 これで風車は回りだした。後はどうなって行くかを見て楽しむだけ。
「できればハッピーエンドが望ましいんだけど・・・・・・やっぱり悪魔が考えるような結果じゃないようねぇ」
 自分の台詞にやれやれと肩をすくめると、メレムの姿は夜の闇へと溶けるように消えていった。